アイ・ウォント



海外で生活する恋人の母親からの電話はいつだって火急の用事という事ではないし、すぐに出なくたって文句を言われることもないが、
それでも征士はいつも彼女からの着信はなるべく早く出るようにしている。
仕事中にかかってきたその日の電話もやはり、ディスプレイを確認するなり席を立って使っていない会議室に入って応対した。

当麻の母親はパワフルだ。
伊達家の女どもとはまた違った方向性に強烈な彼女の電話は、「伊達君元気ー?」という、同棲中の恋人では到底出ないだろうと
思われるほどのテンションで勢いよく始まり、続いて互いの近況についてマシンガンのように確認が入り、
流行の話題(困った事に政治的なものからゴシップまで幅広い)を目まぐるしく聞かされた挙句、「それじゃ頼んだからね!」と
対面していればウィンクされていたかのような言葉で締めくくられて漸く終了した。

その間、僅かに5分。
あまりに濃すぎる内容に征士の体感時間は20分ほどだったが、実際はたったの5分。
時計を一度見て、再確認でもう一度見て更に携帯の通話記録で時間まで確認して、5分。
征士は1人、誰に向けるでもない溜息を吐いた。




「当麻、何か欲しい物はないか?」


愛しい恋人との愛の巣に帰宅した征士は、帰るなり尋ねた。

恋人の母親からの用件は、要約すると「当麻君に次の誕生日は何が欲しいか聞いといて」という、極めてシンプルなものだった。
今はまだ7月で、当麻の誕生月まで3ヶ月近く猶予がある。
それでも母親は息子のリクエストを聞いてきた。


「欲しいものって…………さてはお袋だな?」


そして3ヶ月も早いというのに息子はその言葉だけで察しがついたらしい。
特に彼女から内緒にしておくよう言われていない征士は素直に頷いた。


「ああ。お前に直接聞いても特に無いと言われるだけだから、と」

「だからって征士を通したって一緒だろ」

「だがお義母様は自分が聞くより私からの方が、我侭を言いやすいのではないかと思っているようだぞ」

「そりゃ………まぁ…認めるけど」


確かに実の親にさえ本音を上手く伝えられない当麻だが、征士には何くれとなくズケズケと物を言う。
共に暮らした時間は少なくとも息子の事については流石は親というべきか、彼女の考えは当たっていると征士も当麻も頭の隅で感心した。
しかし幾らそう言われたところで。


「でも俺、お前に聞かれたって特に欲しいものなんか無いぞ」

「だろうな」


誕生日だからと言って特別欲しいものがない事を当麻が伝えると、それが解っていた征士は苦笑いを浮かべながら同意した。

たとえば普段の生活の中で本当に些細なもの、それこそ暑い日のアイスだったり冬の限定チョコレートだったり、は欲しがる当麻だが、
誕生日などの特別な日にプレゼントを強請るような事は滅多に無い。
勿論その時にちょうど欲しい物やして欲しい事があればリクエストはするものの、それだって征士限定の話で、
彼以外から聞かれると答えは貰えず、これには過去に散々仲間たちも苦労したことだった。
(今でこそ彼らは当麻本人に聞くのではなく、征士に聞くか、そうでなければ勝手に話し合って決めてくるようになった)

だがそれでも何を、と聞いても、何も、と答えられる。
しかし決して当麻だって好意を蔑ろにしたいわけではない。
だから何かを強請る代わりにいつだって言うのが。


「母さんが俺にとって必要だと思ったものでいいって返事しといてくれよ」


で、ある。これの”母さんが”の部分が、過去は”みんなが”になっていただけだ。


「当麻、みな相手ならそれでいいが、折角お義母様がお前のために言ってくれているんだから、何か1つくらい」

「そうは言うけど俺、本当に欲しいものって特にないんだって」


欲しいって思ったら自分で買っちゃうし。
そう続けられた言葉には、控えめに頷いた征士だった。

フリーランスで働いている当麻のギャランティが如何程のものか征士は知らないが、どうやら結構な額を稼いでいるらしいという事だけは解っている。
そんな当麻だから欲しいと思ったものは自分でさっさと手に入れてしまうのだ。
よく目にするような物から用途不明の物まで様々な購入品は、実際に強請られても困るのだろうが、それでも征士だって同年代より
遥かに稼ぎはいいほうだから偶には甘えて欲しいと思うのに、遠慮なのか何なのか、当麻は自分で買ってしまうのだった。

幾ら恋人とはいえ、冷たく言えば”他人”の自分ならばその寂しさも堪える事は出来るが、血の繋がった母親は
それでは寂しかろうと征士が言っても、当麻はやはり何かを考える気配は無い。
あまり一緒に暮らせなかったことに後ろめたい気持ちが無いわけではないだろうから、征士としては母親の気持ちを尊重してやりたいというのに。


「当麻、……何かないか?」

「そうは言うけどさぁ……」


しかしそう言われたって当麻だって困る。


「お前、今年で30も半ばになる男がママから何か買ってもらおうって気になると思うか?」


そう、羽柴当麻、次の誕生日を迎えれば35歳になる。
その息子から母へと言うのなら何かプレゼントしようと思っても、この歳になってまで親からというのは照れる感情を音速で通り越して、
寧ろ恥ずかしい。
大体ここまで言い募っているが、征士だって伊達家から誕生日プレゼントなんてもう貰っていない。
精々誕生日を祝う言葉を電話越しにかけられるくらいだ。
それを指摘すると、流石に征士も黙った。
自分に置き換えてみると、なるほど、と思うのだろう。
腕を組み思案して、首を捻って考えて、天井に目を向けて、目を閉じて、やっぱり思案して。


「………しかしお前の家は少々事情が世間とは違うから…」


結局、この結論に達した。
共に過ごした時間を世間一般の家庭に当て嵌めた場合、母親にとって当麻はまだ小学生の可能性がある。
あの時、仕事を選んだが故に息子に注ぎきれなかった愛情があるのではないかというのが、征士なりの答えだった。

が。


「俺が恥ずかしいだろ!それにそんな事を言われたって、俺、ホントに何にも欲しいもんないし!」


当麻は顔を赤くして、喚いた。
その表情に理知的なものは一切なく、子供のようだったが征士は言わない事にした。
これ以上怒らせても厄介だ。

しかしそこで、ふと何かが引っ掛かった。
どこかでこれに似た遣り取りをしている。

はて、いつだったか。征士はまた考えた。


「……………………………………あ」

「…何だよ」

「タオルだ……」




あれはお互いの関係を身内に打ち明け、当麻が伊達家で正月と盆を初めて過ごした年だった。

10月が近くなってきた頃、祖父から征士に電話があった。
先ずは敬老の日の贈り物のお礼の言葉。
それから変わりは無いかという言葉。
そして、


「当麻さんの誕生日が近いだろう。何か欲しいものは無いか、聞いておきなさい」


という言葉。

嫁でも婿でも、伊達家と親類関係を結んだ者は年齢問わず、その次の誕生日に必ず本家からプレゼントが贈られる。
征士の叔父も伯母も、そして従兄弟たちもそうやって伴侶に何かしら贈られている。
それは伊達の家に列なるものとして初めて迎える誕生日にのみ贈られるのだが、征士の伴侶として認められた当麻にもそれは適応された。
親戚の集まる席で温かく迎えられた当麻が、本格的に受け入れられたようで征士はそれが嬉しかった。

そして同時に祖父の当麻への特別性も感じられた。
いつもならば本家の娘である征士の母が連絡を入れるのだが、当麻には祖父が直々に連絡をしてきた。
祖父が恋人の事を相当気に入ってくれていたのは解ってたが、これは想像以上だなと征士は苦笑いを浮かべる。
そしてすぐに当麻に尋ねた。
「何か欲しいものは無いか」と。

だが当麻は少しだけ困ったような顔をして、そして。


「…………………無い」


と答えた。
最早恒例行事となっているこのプレゼントに対して、それは流石に拙いと征士も当麻に伝えたのだが、当麻はやはり無いと言う。
自室に妙なものを増やしている恋人だから、無い筈が無いだろうと征士は食い下がった。
それこそ祖父の言葉をそのまま引っ張ってきて。


「当麻、お爺様は何でもいいと言っていたぞ。それこそ車でも別荘でも」


これは大袈裟な喩えではない。
征士の祖父は当麻が欲しがれば本気で高級車でも一等地の別荘でも、何でも買い与えようと言ったのだ。
それは古書などに興味のある当麻だから、入手困難な古書でも探し出してくる勢いでもあった。

金に糸目はつけない。それは金に物を言わせたいという気持ちからでは、決して無い。
大事な孫の、大事な人だ。
その人に出会うことで孫は人間的に成長できた。
感謝の気持ちも込めてその人に何かを与えたいが、しかし気持ちは表しきれない。
だから、下世話かもしれないがその人の望むものを何でも与えてやりたいと伊達家の長は本気で考えていた。

それでも当麻はやっぱり。


「だって無いんだ」

「当麻、」


愈々征士が困った顔になると、一方で当麻も益々困った顔になっていく。


「だって俺、欲しいものは何でも自分で手に入れるし」

「それは解っている。だが当麻、頼むから何か」


ここで断ってしまっては、祖父の顔も丸潰れだ。
それは当麻も解っているらしくて、だからこそ困った顔のままなのだが、そうは言われても無いものは無い。らしい。


「とうま……」

「爺ちゃんの気持ちは嬉しいけどさぁ…………………俺、……一番欲しいものってもう手に入れちゃったし…」


20代半ばを越えた恋人は、何故か泣き出しそうな顔で俯いてしまった。
ただその表情は悲しいだとか辛いといった負の感情ではないらしいことだけ解って、当時の征士は特に追求はしなかった。




考え抜いた末、あの時の当麻が祖父に強請ったものは、バスタオルだった。
征士の使っているものが段々とヘタってきていたので、それならお揃いの物が欲しいと言って。
祖父は当麻のそのオネダリを、何と慎ましいと感心しきり、悦び、胸を打たれ、職人に言いつけてまで特別に製作させた
タオルを贈ってくれた。
そのタオルもこの10年近くの間に痛んでしまって、今では掃除用の雑巾に進化を遂げている。


「当麻……………………一番欲しいものは、もう手に入っているのか?」


ふいに思い出した記憶の中で、思い当たるものがあった征士が聞くと当麻は少し驚いた顔を見せて、照れたように笑った。


「……とっくに」

「ずっと変わらず?」

「変わらねぇな」


征士が微笑みながら聞くと、当麻は素直に頷く。


「……自惚れても構わないか?」


しかしその問いには素直な返事は返ってこなかった。


「……………とうま…?」


当麻のこの沈黙が、単に照れているのではないというのが解って、征士の表情が翳る。
てっきり恋人の一番欲しいものが”自分”だと思ってしまった分、ダメージは大きい。
そのショックが普段は乏しい表情にありありと浮かんでいたのか、当麻は眉尻を下げた笑みで噴出した。


「そうじゃないって。確かに征士のことも、当たりだって。…でもそれは半分…よりちょっと多いかな?」

「……ではどういう事だ」


残りは嘗ての死闘を共にした仲間かと征士は考えた。
だとしたらほんの僅かに妬かないでもないが、それでも半分以上は自分ひとりで占めていると思えば少しは気も鎮まる。
例えば自分が7割なら、残りの3割が彼らなのだ。
仲間という単位で考えれば当麻を含め全員平等に大事な人間だと言える征士でも、やはり個人として思えば当麻からの
贔屓は欲しい。

……うむ、何とか立ち直れる。
どうにか気持ちも上向いてきた征士の目の前で、今度こそ当麻は照れた顔を見せた。


「まぁ…………何ていうか………当たり前の生活を、貰ったわけだし…」

「……………何?」

「だから、その………………征士はさ、絶対、帰ってくるだろ?ここに」

「ああ…」

「………そういうコト」


いってきます。いってらっしゃい。
ただいま。おかえり。
いただきます。ごちそうさま。
おはよう。おやすみ。

自分からの言葉が、或いは相手からの言葉が、山彦ではなくて返ってくる。
テレビを観て一緒に笑ったり、寒いといってくっつきあったり、時には下らない事で言い合いをする。
人によっては当たり前の生活が、一過性ではなくてずっと続くという安心感。
多忙な両親の下に生まれたからこそ、喉から手が出るほど欲しくて、叶わないからこそ諦めていた、もの。
それをくれたのは何よりも大切な人で、その人がその安心感を与え続けてくれている。
金銀財宝を幾らつぎ込んだって手に入らないものは、10年以上前に彼がその魂と共に与えてくれた。

だから本当に欲しいものは、もう当麻には無いのだ。
あるとすれば、それは。


「だからさ、……母さんが俺にコレが必要に違いないって探しぬいて納得したものなら、俺、何でもいい」

「……………そうか」


母親が自分を思って選んでくれるのなら、それが”欲しいもの”だと言う恋人は、やっぱり血の繋がった親であっても
本音を聞かせるのに抵抗があるらしい。
だけど伝わって欲しいから、恋人にだけその本音を伝える。
強気で我侭でやりたい放題の恋人はとても純粋で不器用だからこそ、人の助けが必要なのだ。

残る問題は、如何にしてその本音を含みつつ、それでも巧みに隠してかの母親に伝えるかだな…

自身も言葉巧みでない征士は、当麻の髪を優しく撫でつつ彼女へ伝える言葉を模索し始めた。




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そして贈られて来たのは、イタリア製の革のブックカバー。
色は赤・水色・オレンジ・緑・青の5色セットあたりだといいなと思います。
お母さん、息子が反応する色をちゃんと知ってる、みたいな。