インフォメーション



携帯電話をきちんと携帯しないことについて、当麻だって反省しないわけではない。
ただちょっと、ほんの少しだけ、何だか常に監視されているようで嫌だなと時々には思うけれど、携帯電話が何のためにあのサイズになったかを考えると
携帯していないことを指摘されるたびには多少は反省している。

だが携帯していない事は態とではないとは、彼としては言わせて貰いたい。
ついうっかり忘れるのだ。
気付くとポケットから出て車の中などに落ちてしまっているのだ。
そして、常に征士が傍にいるのだから、集中すると周囲の事などお構い無しになる自分なんかよりも、きっちりしている彼に連絡を
寄越してくれればいいのだ。
結局そういうワケで、半分だけ反省して、あとの半分は本人なりの理由(そして他人に言わせれば、言い訳)で完全に反省はしていない。

だから今日もまた、携帯電話を携帯していなかった。

今日の理由は、恐らくは車の中に落とした、だ。
征士の運転する車で、ファミリー向けのショッピングモールに買い物に来ていた。
本と服を買って、そして食事をするために。
その車中では助手席で携帯を弄っていた当麻だ。落とすとすればその後、カバンに入れた”つもり”になった瞬間に違いないと本人は推測した。
今から駐車場に行って確かめてもいいのだが、車のキーは征士が持っている。
当麻だけで行っても外から眺めることがせいぜいだ。
だったら征士と行けばいい。

のだが、それはできない。

何故なら当麻は今、本屋にいて気付けば征士とはぐれていた。
マズイと思ってすぐに店内を探し回ったが派手な容姿の彼はどこにも見当たらなかった。
いつから彼がいなかったのかは知らないが、腕時計で確認をすれば既に入店から50分も過ぎてもうすぐ1時間になりそうだ。
いつもなら当麻が居ないと気付いた征士がすぐに店内を探し回って見つけ出してくれるのだが、今日は場所が悪かったのか見つけてもらえなかったらしい。
何せ今日、当麻が一旦立ち止まって一言も言わずに勝手に進んだ先は、女子児童向けのコミックス売り場だった。
しかもすぐ近くにある更に低年齢向けの絵本売り場に併設されていた、背の低い椅子に足を折り曲げて座っていたのだ。
幾ら当麻が好奇心旺盛でもそんな所にいるとは征士も思わなかったのだろう。
探しに来たとしても手前にある少年漫画の棚で引き返したに違いない。

どうしてまた当麻がそんな所に居たのかと言うと、やっぱり”気になったから”だった。

漫画が平積みにされているのはどこの本屋でも大抵見かけるものだが、たまたま当麻の視界に入ってきたのは非常に絵柄の似た2つの漫画だった。
どちらもピンクのヒラヒラがついた不思議な服を着て、魔法の杖のようなものを手にした少女が表紙に描かれていた。
違う箇所といえば右側の表紙の女の子が高い位置で髪を2つに結わえているのに対して、左の女の子の髪は耳の横あたりの高さで結わえられているくらいだ。

まぁ漫画に限らず何でもかんでも飽和状態でネタだって尽きてくるしな。

最新刊の数字が同じなのを見た当麻はそう感想を持ったのだが、そこに小学校低学年くらいの女児が2人現れた。
そして右側のコミックスを手に取ると、やっぱりルルちゃん可愛いよね!と言い、左側のコミックスには見向きもせずにレジへと進んでいった。
それを何となしに見送ると今度は家族連れがやってきて、その中にいた小学校に通うか通わないかくらいの少女もやはり右側の漫画を手に取る。
しかも左側の漫画を父親が見せたが、やだー!と激しく首を横に振って拒んだ。
まだ2つの例しか見ていないが、そこまで拒まれるとなると内容が気になってくる。

しかし漫画にはビニール製のカバーがかけられていて、中身が見えない。
ただ裏表紙に粗筋が書いてあったので当麻は2つの漫画を手に取ると、そこに目を走らせた。

普通の女子中学生がある日突然、魔法少女となり戦いの日々に身を投じる事になる。らしい。
マスコット的なキャラがいて、主人公には同じクラスに好きな子がいて、仲間にはショートヘアーの子とロングヘアーの子がいて、
魔法少女だという事はみんなには内緒にしなければならないという掟があって。
これら全て、2つの漫画のどちらにもあった設定だ。
内容は非常に似ている。
当麻の目には絵柄も似ているように見える。
なのに、女子児童たちは何故か右側の漫画の方が好みらしい。

右の漫画がみんなの好み……?

ここで当麻の無駄に広い好奇心が擽られた。
本当に右側の漫画が人気なのだろうか、偶然が続いただけで本当は左側の方が人気なのではないだろうか。
どちらが人気だとしても、そこを分ける決定的な理由は何だろうか。
いや、どちらも人気は五分五分の可能性だってある。
ではその場合、一体何を基準に少女達は漫画を選んでいるのだろうか。

それが気になってしまった当麻の足はもうその場から動かず、しかし立ち尽くしていても不審者にしかならないので、カムフラージュとして近くの
絵本売り場に行き、そこで子供(それは自分のでも他人のでも)にプレゼントする絵本を選んでいるフリをして観察する事にした。





ら、気付けば夢中になりすぎて征士とはぐれていた。


「…………マズイな…」


今日、当麻が携帯電話を持っていたことを、征士は当然知っている。
だったら彼は先ず携帯電話を鳴らしただろう。
だがそれに出ないと知ると、彼の予想できる範囲内で店内を隈なく探し回ったに違いない。
そこで見つからなかったので、何かに気を取られて他の店に入ってしまったと考えを切り替えて、きっと今頃彼は恋人の入りそうな店を片っ端から
探し回っている事だろう。

まさか恋人が、絵本を眺める視界の端で少女漫画の棚に来る女児たちをチェックしているだなんて夢にも思わずに。



当麻は急いで本屋を後にした。
建物の中央が吹き抜けになっているタイプのショッピングモールだが、それで全てが見えるわけではない。
それにモール自体がとてつもなく広いというわけではなくとも店舗は幾つもあり、やろうと思えば1日ここで過ごす事だって出来る程だ。
その全部の店を探す必要はなくとも、急いだ方がいい。
勝手にはぐれてこの様では、自分を探している征士に申し訳ない。


本屋は最上階の4階にあり、同じフロアにはCDショップの他は携帯ショップとレストランが並ぶだけだ。
このフロアで一応探すとすれば携帯ショップだが、そこは外からでも確認が出来る。
当麻は横目で見て派手な男が居ないと知ると足早に通り過ぎた。

次にすぐ下のフロアに降りる。
3階はメンズファッションが半分ほどで後は雑貨などの店が多い。
そこを一通り見て回ったがやはり征士は居ない。
そうなると更に下に、となるが2階は全てレディスファッションだ。
幾ら当麻が細身だからといっても流石にここには用がない。征士だってそれは解っているだろうから当麻はここを素通りしようと、離れた位置にある
下りのエスカレーターへと急いだ。

その途中でだ。

うわぁあああん。
大きな泣き声が聞こえた。
見ると小さな男の子がボロボロと涙を流して1人、立ち尽くしていた。
泣きながらも何事か必死に叫んでいるが、大きく開いたままの口では「あうあー、あうあー」としか聞き取れない。
状況からして、迷子だろう。
きっと言っているのは、「ママ」だ。

あれくらいの子供は好奇心旺盛で、そして自分の足でどこまでも歩けるくらいにはなっている事もあり、親がほんの少し目を話した隙に
すぐにどこかへ行ってしまう。
声はさっき聞こえたところだし、今頃母親も探しているだろうからすぐに見つけてもらえるだろうが、見ていて痛々しい。
足元には彼のものだろうか、ヒーローの人形が落ちていた。
きっとお気に入りだから持ち歩いていたのだろうけど、それが手から離れた事さえ気付かずに彼は泣き続けている。


「……………………」


子供を連れて1階にあるインフォメーションセンターに向かおうか。
一瞬、そんな事を考えた。
だがさっきも考えたことだが母親はきっとこのフロアにいるだろうし、子供の泣き声は大きい。
すぐに母親が気付いて駆けつけるかもしれないものを、態々連れて行く必要はあるのだろうか。
ちょっと考えて、ない、と結論付けたがやはり足は動かない。
泣き続ける子供があまりにも可哀想に見えてくる。
いっその事、インフォメーションセンターに連れて行って館内放送で子供の特徴を伝えてもらった方が自分の心も痛まないかも知れない。
だがそれでは母親が近くにいる可能性を考えるとそちらの方が時間のロスで、何より単なる自己満足でしかないんじゃ…?

子供の泣き声に僅かに動揺した当麻は、すぐに判断がつかずその場で困り続けていた。

その耳に、館内放送を知らせる音が聞こえてくる。


『本日はご来店いただき、まことにありがとうございます』


咄嗟に反応した当麻は、天井に埋め込まれたスピーカーを振り仰いだ。
母親が迷子放送を依頼したのだろうか。


「……カズくん…!!!」


だが前方から悲痛な母親の声が聞こえてきた。
アレ!?と思った当麻はもう一度視線を正面に戻す。
そこには泣き続けていた子供と、その目の前に出来る限り必死に身体を曲げている、お腹の大きな母親らしき女性の姿があった。


「あぅ、あぅ、……っヒック、……ま、…んまー!」

「カズくん、どこ行ってたのー!ママ心配したよー!」


一生懸命に子供を抱き締めて頭を撫でている若い母親の声は涙ぐんでいる。
本当に心配だったのだろう。だがどうやら2人目の子供を身篭っている身体では駆けることも出来ず、子供の泣き声を頼りに
それでも懸命に向かって来たに違いない。
その光景に、小さいころに近所の遊園地で母親とはぐれた時の事を思い出した当麻は、鼻の奥がツンとした。

聞き分けのいい子だと言われ、物覚えの速い子だと言われてきた当麻だったが、あの時はもう母にも父にも会えないのではないか、
二度と家に帰れないのではないかと思うと不安で仕方なく、係りの職員が幾ら宥めても泣き止むことが出来なかった。

小さな子供にとって親はそれだけ、大きくて、世界の全てだ。


『お客様にお知らせを致します』


目の前の子供は、無事に母親に出会えた。
だがまだこのショッピングモール内には他にもまだ迷子がいるらしい。

その子も早く会えるといいな。

思うというよりも願うようにして、当麻は漸くその場を離れた。


『羽柴当麻様、羽柴当麻様。お連れ様がお待ちです。1階、インフォメーションセンターへお越しください。
繰り返します、……………』


が、すぐにその足は止まって、大きくつんのめる。


「………………っはぁ!?」


思わずまた天井のスピーカーを見た。
確かに今、この館内放送で自分の名を読み上げられた。
聞き間違い、そうでなければせめて同姓同名の誰かであって欲しいが、そう滅多とない苗字と、あまり聞かない名の組み合わせだ。
間違いなく、今呼ばれたのは自分なのだろう。
だとすれば呼んだのは間違いなく。


「…………………せぃ…っじ…!!!!」


通路脇の柵に駆け寄り、インフォメーションセンターを探した。
右を見て、左を見て、………いた。
そこらのスーパーの衣料品売り場で買ったものだとしても、まるでブランド物のように着こなしてしまうモデルのような、
その実、普通のサラリーマンという派手な男が、インフォメーションセンター横の長椅子に腰掛けて長い足を悠然と組んでいる。



携帯電話を携帯していない。
思い当たる場所を探しても見つからない。
そこにくると館内放送はこういった場所ならどこにいても誰にでも聞こえる、非常に有効なツールだ。

だがとっくに成人した大人がそれで呼ばれるのはあまりにも情けなく、あまりにもひどい辱めだ。
知り合いがいたらと思っても恥ずかしいし、自意識過剰かもしれないが暫くはここにも来れない。

ただ間違えてはいけないのは、征士は決して嫌がらせでやったのではなくて、怒っているからでもなくて、ただただ真面目にこの選択をしたという事だ。

最良は尽くす。
それも合理的に。

伊達征士はそういう男だ。
それは当麻だって解っている事だ。
自分の恋人は生真面目でいつだって一生懸命で、そして、世間の感覚とはズレている男だ、と。



どのツラ下げて出て行けばいいんだよ…………!!


柵に懐いたままへなへなと脱力した当麻の視界の端では、相変わらず征士は悠然とした態度で、だが周囲に絶えず目を配っていて、
そして突然現れた完璧な男を、インフォメーションセンターの受付嬢たちがチラチラと横目で見ているところだった。




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この後、観念した当麻が下りていくのが先か、征士が2階にいる当麻に気付くのが先か。