ひだまり



当麻は寝るのが昔から大好きだ。
柳生邸での日々でも勿論、遡れば大阪のマンションで1人きりで暮らしていた頃から。

その当麻の眠る場所は様々だ。
何気なく寝転んだソファの上、テレビを観ながら横になったラグの上、調べ物をするために座っていたはずの机の前。
自室のベッドで眠ることも勿論、時には食卓でと、つまり様々な場所で、辛くないのかと問いたくなるような場所でも平然と眠っている事が多かった。

ただ1つ、その眠りには条件がある。




それじゃあ行ってくる、と感情の乗りにくい低い声で、渋々ネクタイを締めたスーツ姿の征士が玄関から出て行ったのは土曜日の朝10時の少し前だった。
原因は、急な会社からの呼び出しだ。
今日は休日出勤の必要性などなかった筈の征士は、携帯電話が鳴るや否や先ほどまで見る影もなかった深い皺を眉間に作った。
征士の膝に頭を凭れさせてテレビを観ていた当麻は、自分の髪を撫でる征士の指から伝わる緊張で、それがあまり良い報せではない事を悟った。

しかし別にそれで当麻の機嫌が悪くなるという事はなかった。
サラリーマンって大変ね。
そう思って同情する程度だ。
勿論、その言葉を口にすれば征士が拗ねる事は解っている。
何年も付き合ってきて、それもいい大人が、外では決して見せないほどに落ち込む姿はオモシロくて可愛いのだが、面倒だ。
幾ら愛があってもそれはそれ、だ。
大体その程度のことは、そこまで気落ちする事でもない。
当麻からすれば彼が必ず帰ってくる場所は2人で暮らしているこの部屋だし、そして自分が帰る場所もこの部屋だ。
しかも征士は絶対に、用が済めば寄り道もせずすぐに帰ってきてくれるし、もし遅くなるにしても必ず連絡を入れてくれる。
いつ帰ってくるか解らない親に期待することの愚かしさを知りつつ、心の隅で待ち続けていた少年期から考えれば、
当麻にはそれだけで充分幸せなことだった。
ただ、そんな事を言えば征士がとても悲しそうな顔をするので、それこそ絶対、口が裂けても言わないけれど。




「さ、てと」


征士が居ない。
急遽必要になったデータファイル閲覧のためのアクセス権を、電話の相手は持っていなかったそうだ。
そんな人間にデータを閲覧させていいものかと流石に当麻も思ったのだが、最近異動になったばかりの彼は休み明けにパスを発行してもらう
予定だったのだという。
まさかそんな急にパスが必要になるとは誰も思っていなかったようだ。
だから仕方なく、それを見せるためだけに征士は出て行った。


さぁ、征士が、居ない。
さっきまで彼が座っていたソファにその名残があるだけで、姿は家のどこを探しても、もうない。


「じゃあ、するコトは1つだな」


ニタっと笑った当麻は3人掛けの白いソファからお気に入りのクッションを1つ取ると、南側のフローリングにぽいっと投げた。
そして下手糞な鼻唄交じりにそこを目指す。

本日の転寝の時間の始まりだ。

春が近くなってきたこの時期の陽は長くなり、室内にさえ居れば陽だまりは暖かい。
フローリングは硬いが、そんなもの、寝れば都という当麻には大した問題ではなかった。



昔から当麻が眠る場所は、必ず陽が当たっていて暖かい場所だった。
眩しいほどに陽が差し込む場所で眠る姿に、伸などは「そこ、眩しいでしょ。部屋で寝たら?」と最初の頃は何度か声をかけていたが、
幾ら言っても肩を揺すっても当麻はううんと唸るだけで起きる気配がないので、遂には呆れてそのままにするようになっていた。
夜に眠るベッドの寝心地には拘る割に、どうも昼寝程度の場合はその優先順位はぐっと下がるようだ。
そして代わりに上位に上がってくるのが、この”陽の当たる場所”という条件だった。

暖かい場所は気持ちがいい。
それは誰だってそうだ。
けれど当麻はそれが顕著だった。
だが誰だってそうだ。特に春はそうだ。
だから自分の睡眠にも理由など特にはない。本人もずっとそう思っていた。

だがそんな当麻は、ある日気付いた。
陽の暖かさに、自分の寂しさを紛らわそうとしている事に。

気付いたのは征士と付き合い始めてからだ。
2人で居る何気ない時に、さり気なく征士は手を握ってきたり、抱きしめてくれる事が多い。
その時の彼の体温に、どうしていいのか解らないほどの気恥ずかしさの陰で、深い安心感を得ている自分に気付いた。
思い返せば子供の頃から1人でいることが多く、抱き締められた記憶もあまりない。
だから誰かの体温がこんなにも安心するとは知らなかった。
けれど、無意識に心はそれを求めていた。

慣れっこだと思っていたことなのに、ずっと求めていた。

今まで付き合ってきた彼女たち(両手で足りる数だけど)を、抱きしめる事はあっても、抱きしめてもらう事はあまりなかった。
彼女達の身体は、長身の当麻よりずっと低かった。
抱きしめることでも体温は感じられるが、それでも自分は抱き締められる事をずっと求めてたのだと思うと、
こういう時に身長差のあまりない男同士って便利だな、と態と色気のないことを考えて照れ隠しをしてしまうほどに、何だか恥ずかしくもなった。




「特にこの時期のは征士に近い気がするなぁ」


素直に受け入れることが出来る今ではもう、恥ずかしくなることなんてない。
夜、眠る時に後ろから抱き締めてくれる彼の物理的な理由以外での温かな身体は、柔らかいこの時期の日差しに何となく似ている。
暖かくて優しくて気持ちよくて、包み込んでくれるところなんてソックリだ。
戦いの中の彼は雷の光に似て激しくも真っ直ぐだったが、普段の彼は厳しい面があるもののとても優しい。
この日差しに似ている。


暖かな場所。
どこに居ても彼を感じることが出来て、そして安心感を得られる場所。
当麻が気持ち良さそうに眠るのは、いつだってそんな場所だった。

誰もその理由は知らないし、誰かに態々教えるつもりもない。
そんな場所で当麻は気持ち良さそうにうとうととし始める。



征士が帰ってきたら、今日はハグしてやろう。

家を出る前に肩を落としていた彼だ。
慰める意味と労わる意味で、ぎゅうっと抱き締めてやろう。
穏やかな白に意識を溶かしながらそう考える当麻が気持ち良さそうな寝息を立てるまでに、そう時間はかからなかった。




*****
帰ってきた征士が「身体を痛めるから起きろ」と起こすと、その腕に掴まってぶら下るみたいにぎゅうっと当麻が抱きつきます。
で、何故かソコから腕ひしぎ十字固めに入ろうとしたりマウントをとろうとしたりして、2人でしばらくギャーギャーじゃれつくのかな、とか。