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しまったと思った時は既に色々な事が曖昧になっていて、当麻は足を止めて振り返った。
「……やっちゃったな…」
少し前にそういう意味で顔合わせをした伊達家の長から直々に、暮れと正月を伊達家で過ごさないかと誘われ、初めて仙台にある征士の
実家を訪れる事になった。
大っぴらに言えない関係を受け入れてくれただけでなく、家族として過ごそうと言ってくれているのだ。断るほど当麻は礼儀知らずではない。
それに征士が育った家や環境に少なからず興味はあった。
子供の頃に遊んだ公園や友達と歩いたという通学路、それに今でも密かに怯えているという姉と妹にも。
そうして寒いのが大嫌いな当麻は、好奇心と、恋人と一緒に帰省という初々しい喜びを抱えて仙台へやってきた。
仙台の駅の周辺は賑わっていたが、大きな道路を隔てて征士の実家がある辺りが近付くと景色は急に田舎風景に変わる。
田んぼも枯れ木も家も、何もかもが雪に埋まって真っ白だ。
それが面白くて当麻が目を輝かせていたのを、隣に座っている恋人が密かに横目で見て愉しんでいたのを彼は知らない。
優しく出迎えてくれたのは征士の母だった。
それに続いて征士の姉、妹と現れ、広間に通されると以前にも会った祖父の姿があった。
「あぁ、当麻さん。よくお出でになられた。寒かったでしょう」
そう言って征士に似た雰囲気の笑みで声をかけてくれたその人に、漸く当麻も緊張が解れた。
幾ら人とズレていると言われている当麻でも、流石にこういう状況で緊張しないわけがない。
母も姉妹も美しく、征士によく似ていたがどうも前情報のせいだろうか、ちょっと身構えてしまっていた。
だから見知った笑みに、ほっとした。
色々と準備があるから少しお部屋でゆっくりしてらっしゃい。
そう伊達の母に言われたのだが、何となく当麻はこの土地をもっと肌で感じたくなった。
寒いのは大嫌いだが、征士が育った土地の寒さを数字や視覚情報だけでなく、肌で感じたい。そう思った。
決めると当麻の行動は素早いもので、寝泊りするようにと用意された離れに荷物を置くと母屋へ戻り、少し散歩してきていいですかと
義母に聞いた。
すると彼女は少し驚いた後はまた上品な笑みを浮かべて、どうぞと言ってくれた。
「外は寒いですからお気をつけてくださいね。それからあまり遠くへ行ってはいけませんよ。迷子になってしまうとこの寒さですから風邪を引いてしまいます」
そうやって冗談を言いながら門まで彼女が見送ってくれた。
そんな風に言って見送られるのはいつ振りだろうかと考えて当麻は益々楽しくなった。
今でも知らない情報に知識欲を擽られたり、仲間と過ごして気持ちが跳ねることはあるが、それでももっと幼い頃の、純粋で単純な感情が
胸のうちに沸いてくる。
あぁ、楽しいなあ。
そう思いながら転ばないように雪を踏みしめ、一面に白くなった世界を堪能して気の向くままに歩き回った。
色が褪せた張り紙。錆びて所々が崩れた看板。
信号がある場所には必ず「飛び出し注意!」と書かれた子供の絵がある。
電信柱に通学路の文字を見つけると、ここを昔の征士も通ったのかもしれないと思って、夢中で歩き続けた。
その結果。
「………迷子んなった…」
ヤバイなぁと周囲を見渡す。
自分の足跡を辿ろうにも他にも通行人は居たのだから、きっともう跡形もなくなっているだろう。
あちこち気侭に歩いてきたから道なんて覚えていない。薄っすらと、何となあく、こっち…かな?くらいになら解るが、さあどうしようか。
思い悩みながら、一先ず区切りのいいところまで歩こうと決めて、目の前にある丁字路の突き当りを目指す。
「あ」
そこまで歩くと、交番が見えた。
外から見る限り、中にいるのは若い警官と40代くらいの先輩警官の2人がいる。
あそこで道を聞こう。
当麻はそこに向かって歩き出した。
こういう人との交流も楽しいナァなんて思いながら。
「すいませーん」
当麻が中を覗きながら声をかけると、若い方がすぐに顔をあげた。
「あの、実はですね、」
「あ、伊達さんところの、お」
「…お、前は!」
迷子になりまして、と切り出そうとした当麻に若い警官は被せるように喋り出し、そしてその途中で先輩の警官に頭を叩かれて言葉が途切れる。
当麻はそのイキナリの事に垂れた目を見開いて固まった。
「……………………はい?」
「はいはい、どうされましたかね」
先輩警官が胡散臭いほどににこやかな笑みで尋ねてきたが、当麻はさっきの言葉を聞き逃していない。
「……俺が伊達さんところの、…なに?」
これほど露骨だと気になる。
何だろうか。そう思って尋ねると、先輩警官は若い警官を睨みつけてから当麻に向き直って頭をかいた。
「いやぁ、…その………伊達さんところの、お客様、…ですよね?ってコイツが言いかけたモンですから」
客。
まぁ確かに、客は客だろう。
だが何故それを知っているのだろうか。
ちょっと変じゃないのか。
軍師でポーカーフェイスが得意な当麻にしては珍しくそんな思いが顔に出ていたのか、先輩警官は慌てて手を振った。
「あ、いやいや!だからね、ここは田舎だから余所から来た人はすぐ解るんですよ…!それにホラ、お客さん、髪の色が珍しいから余計に!」
「…あぁ、……まぁ、ねぇ」
言われてみればそうだ。
どこの交番にでもある物に紛れて、きっと地元の人が持って来てくれたのだろう千羽鶴や手作り品があちこちに見られる。
こういう土地でよそ者は目立つに違いない。
「それに伊達さんところの大旦那がお客が来るって言ってたもんですからね!それは知っててもいきなり言われたら不審に思うでしょう?
今のあんたみたいに」
「普通はそうだろうね」
「だから、……ねぇ?」
そう言ってもう一度先輩警官は、若い警官を睨んだ。
若い警官は申し訳無さそうにモジモジとしている。
「なるほどね」
「納得できました?」
「納得した。納得したから、そっちのお巡りさんもそんなに縮こまらないでくれよ」
そう声をかけると急に彼がぱあっと明るい顔になる。
まるで犬のような姿に当麻は思わず噴出してしまった。
「…それで?」
「…え?」
「いや、伊達さんのところのお客さんが交番に何の用なんですか?」
素直に迷子になった事を告げた当麻に、彼らは地図を出して丁寧に道を教えてくれた。
そしてお茶とお菓子も出してくれた。
更にちょっと話が弾んで、征士の事も少し話した。
昔から文武両道で有名だったんだなぁ。
伊達家の門をくぐりながら、聞いてきた評判を思い返して当麻はちょっと笑った。
真面目でカッコ良くて冷静で何でも出来て。
懐かしむような目で先輩警官が語り、若い警官も噂で聞いていた人物を純粋に尊敬しているらしく目を輝かせて当麻と一緒にそれを聞いていた。
「真面目は真面目だろうけどよ」
思わず声に出してしまう。
征士が真面目すぎて、それが却って面白くて仲間内ではよくからかったものだ。
当麻だってズレてるのをよくからかわれたが、征士のはまた別で面白かった。
カッコ良いのは今もだし冷静なのも変わらないが、当麻だけが知っている彼の姿もある。
アイツ、結構ムッツリだって誰も知らないんだな。
そう思うと面白くて仕方がなかった。
薄っすらと笑みを浮かべながら玄関を開けるとすぐに征士が飛んできて、寒かっただろう、と言いながら手を温めてくれる。
帰りが遅いから心配していた、とも言って。
そんな兄の姿を、たまたま通りかかった妹の皐月が驚きも顕わに眺めていた。
「征士さん、当麻さん。ちょっといらっしゃい」
夜になり食事も終え、広間でみんなで談笑していると、玄関で来客の対応をしていた伊達家の母が2人を呼んだ。
何だろうかと征士と顔を見合わせた当麻だったが、義母が呼んでいる。
何か用事なのだろうから、先ずは行こうかとなって玄関へと出た。
「おう、こちらが…!」
あがり口に腰かけていたのは、見ただけでも解る”魚屋さん”だった。
そしてその近くでは母が微笑んだまま正座している。
「どうかしたんでしょうか…?」
母と同じように正座した征士が尋ねると、”魚屋さん”がこれを、と言って桶を示した。
大きな桶には立派な鯛の他にも牡蠣や海胆などの魚介類が幾つもある。
それを覗き込むように当麻も征士の隣に正座した。
「ああ、とても立派ですね。魚壱で扱っているのはどれも立派だが、これはまた格別のようですね」
征士が余所向けの笑みで、それでも心から褒めると魚壱とやらの主人は嬉しそうに笑った。
「でしょう?一番いいのを朝からよけておいたんでさ。本当はうちのモンにもっと早くに届けさせようと思ってたんですが、何せ年の瀬でどこも子供たちが
帰ってきてるからって店が忙しくてね……いや、本当に申し訳ない」
「そんなにお気になさらないで下さい。ご主人のそのお心だけで充分ですわ。ねぇ?」
話が良く見えてこないが、魚壱の主人は平謝りだし伊達家の母が笑っているから征士も当麻もそれに合わせて曖昧に笑った。
何となくわかった事は、多分コレをくれると言っているのだろうことだ。
だが何故その受け取りに態々自分たちが呼ばれたのか解らない。
重みもあるから男手が必要だったのだろうか。それなら魚壱の主人が帰ってからでも良かったのではないのだろうか。
当麻がそう思っているように征士も同じ事を思っていたらしく、ちょっと首を傾げている。
すると魚壱の主人が姿勢を正してそんな2人を改めて見た。
そしてちょっと涙ぐみ始める。
「…え、」
「ちょ、……」
涙ぐまれる理由が解らない青年2人は思いっきり困惑した。
そんな彼らに魚壱の主人は、すいやせん、と目元を拭って断った。
「いや、…若旦那が立派になられたと思いまして……!」
この場合の若旦那は、征士のことなのだろうと当麻は推測した。
「あれほど堅物だったから……私ぁね、子供の頃から若旦那を見てたモンですから…ですから、こんなに聡明そうな奥様を貰ったってのが
嬉しくて嬉しくて…!」
拭いても拭いても涙が溢れてくるのだろう。
魚壱の主人は持っていた手ぬぐいで何度も目元を擦る。
それに驚いて当麻が征士を見ると、完全に思考が停止していた。
伊達の母はと言うと、こちらも涙ぐんで持っていたハンカチで目元を押さえている。
奥様。
確かに今、彼はそう言ったはずだ。
当麻は一歩引いてこの状況を見る。
若旦那。が、奥様を貰った。
若旦那は征士だ。絶対そうだ。さっきそう考えた。
では奥様とは誰だ。浮気でもしてたのか。いや、その場合俺が浮気相手か。
無理矢理に考えたが、絶対に違うという事は当麻だって解っていた。
この場合の奥様と言うのは……
「お、……お、俺が”奥様”!!?」
征士ほど逞しい身体ではないし仲間内でも一番細い。
けれど身長はある方だし、子供の頃ならいざ知らず、大人になった今、女子に間違われたことなど当麻は1度もない。
それを指して、奥様、とはどういう事だ。
「あ、いや…失礼しました…!正確には”若奥様”でしたね!」
奥様はこっちでした、と照れながら泣く主人は伊達家の母を示している。
伊達の母も、そうですよお、なんて言っている。
のが、当麻には理解できない。征士は駄目だ、思考が停止したまま固まっている。
「そ、そそそ、そういう意味じゃなくて、お、俺、おと、」
よもや見間違えてはいないだろうかそれとも何かの冗談かと当麻が必死に男だと言おうとしたのを、魚壱の主人は手を突き出して遮った。
「いやいやいや!いや、それはよぉっく存じ上げてますよ!こんなにイイ男だ、今風に言うとイケメン?ってやつですかね!若奥様が男だって事ぁ、
私ぁよーっく解ってますよ!」
いや、解ってたら若奥様が男って大問題だろ。
その言葉は脳の中にあるのだが、どうも頭の回転速度と気持ちの速度が一致してくれなくて声にならない。
そんな当麻を置いて主人の言葉は続く。涙交じりで。
「でもね、今時そう滅多とねぇことだ!男が男に惚れる。この人に一生ついていこう、この人と一生共にいよう。そういう、男だけの世界だ!
つまり若旦那は若奥様の男気に惚れ、そして若奥様も若旦那の男気に惚れた!今時の若いヤツは軟弱で頼りないし不甲斐ないのばっかりだってのに、
そんな中でお2人は硬派な契りを交わしたんだ!これが…これが私ぁ嬉しくて…!」
男気とか硬派だとか、そんな色々言われましても…
確かに男気に惚れたところもあるが、どちらかと言うと平たく言って普通の恋愛をしたつもりだ。ちょっと相手が同性だっただけで、内容は普通だ。
硬派と言われても家じゃ誰もいないことをイイ事に結構イチャイチャしてるし、実は征士はムッツリだ。一昨日もテレビを観ているときに尻を揉まれた。
そもそも契りと言ったが、任侠な感じで盃を交わしたんじゃなくて本当に”夫婦の契り”みたいな事をやってるわけだ。昨日もした。
大体、そういう風に考えていけば尚のこと、若旦那と若奥様はおかしい筈だ。
いや、征士を昔から若旦那と呼んでいるのなら仕方がない。
だとしても自分が若奥様というのは嫌だ。照れも混じって、嫌だ。
まるで夜の関係性をそのまま示されているようで、居た堪れないから、嫌だ。
「兎に角、本当に押しかけで申し訳ないですが、これを…!これをお2人の祝いに、どうぞお納め下せぇ…!!」
そう言って桶を差し出す主人はもう鼻が真っ赤で涙がボロボロ流れている。
伊達の母なんてもう声を出すのも苦しそうに、涙を堪えながら「ありがとうございます」とか言ってしまっている。
征士はまだ固まったままだ。いい加減動いて欲しいと当麻は頭の片隅で思ったが、自分ももうマトモに頭が働いてくれないから言えない。
そこに。
「夜分にすみません、合田酒造の者ですが…」
そう言ってこれまた主人といった風格の男が現れた。
手にはどう見ても酒を持っている。
「おや、魚壱の」
そして田舎らしく知り合いらしい男に呼びかけると、解ってるよ!と言いたそうに下手糞なウィンクをして征士と当麻のほうを向いた。
「この度は若様のご成婚、おめでとうございます。ささやかではありますが、これは私からの祝いの酒でございます。
どうぞ、その魚壱の活きのいい海の幸と一緒にお納め下さいませ」
そう言って深々と頭を下げる。
次に頭を上げた時には彼も涙目になっていた。
「若奥様がどんな方かと思っていましたが、一目でも聡明だとわかる方だ…!男が男に惚れる、実に素晴しいことです…!」
そして、またこの言葉だ。
だから若奥様って何だホントどういう事だ。
男が男に惚れましたけどちょっともう、何だどういう事だ。
そもそも本当にどういう事なのか当麻としては説明して欲しい。
自分たちの関係を伊達家の人間が知っているのは当然としても、部外者である筈の彼らが知っていると言うのがおかしいではないか。
「あ、あの…!」
だから当麻は思い切って声を出した。
するときょとんとした顔が3つ、当麻に向けられた。
征士の顔は未だに正面を向いたままだ。
「はい?」
「何でしょうか、若奥様」
「そ、その若奥様って………って言うか、ど、どど、どこから、……誰からその、俺と征士の事を聞いたんですか…!?」
間違えないで欲しいのは、当麻は怒っているのではないという事だ。
確かに恥ずかしいしギャア!とはなるが、今回の帰省はそういう意味での帰省だ。
けれど情報の出所だけはハッキリしておきたい。
だから極力表情が険しくならないよう、声がキツくならないよう心がけて言った。
結果としてその表情は頬を染めて困ったように眉尻を下げ、いい年齢の大人たちには、初々しく照れているように映った。
「誰ってそりゃ大旦那でさ」
「ええ。家に来て教えてくださいました」
「お爺様はあなたたちの事を本当に喜んでらしたからね」
にこやかに返された言葉に、当麻はくらりと眩暈がした。
伊達家の長は孫の事も、孫の恋人の事も大層気に入ってくれているというのは嬉しいが、だが何も余所に言わなくてもいいではないのだろうか。
「あ、でも大丈夫ですよ。お爺様は昔から付き合いのある方々にしかお話していませんよ」
当麻の懸念に気付いたのか伊達の母が言った。
それならそれで良かった。と思ったが、そこで気付いた。
昼間、立ち寄った交番の彼らも若しかして知っているのではなかろうか。
若い警官が言いかけた”お”は”お客様”の”お”ではなくて、”奥様”の”お”だったのではなかろうか。
「夜分失礼します。若君にお祝いの花を届けに参りました」
そして更に来訪者だ。
今度は着物姿も板についた、明らかにお華をやっていそうな初老の男性だ。
高すぎるIQを誇る頭脳ももう何の役にも立たない。
この場合どう振舞うのが正解なのかサッパリだ。
泣いていいのか喚いていいのか、それとも笑って良いのか解らない。
するとさっきまで固まっていた征士が漸く動きを見せた。
「ありがとうございます」
と思ったら礼の言葉を口にして床に手をつき、深々と頭を下げている。
いや確かにお礼は必要だろう。
どれもこれも態々贈り物を持って来てくれたのだから。
だがそこで礼を言うと、彼らの言う”男が男に惚れた”硬い世界を認める事になるんじゃなかろうか。
若旦那と若奥様というポジションを受け入れた事になるんじゃなかろうか。
そう色々思う事はあったものの、当麻は見事に思考回路がショートしてしまい。
「ありがとうございます」
征士の隣で同じように仲睦まじく頭を下げたのだった。
それはまるで夫に寄り添い従う貞淑な妻のようなタイミングだった。
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11月22日がいい夫婦の日なので、いっそ馬鹿馬鹿しく。私がしたかっただけです。
元旦から数えると11月22日は326日目。