プレイ・ウィズ・ビアード
征士は顎鬚を伸ばす決意をした。
但しそれは次の盆休みの間だけ。会社勤めをしているのだ、顎鬚など生やすのは良くない。
だがその期間だけ、顎鬚を伸ばそうと征士は心に決めた。
その為に盆休みの前後に有休もとって、いつもより長い休みにしようと決めた。
今日はまだ6月21日だった。
先日の誕生日だ。自分の、6月9日の。
休みを取るよう当麻から言われていたのに忙殺され、すっかり失念していた。
誕生日に休みを取るのは常だが、それは当麻の誕生日であって自分の時に取るという感覚がない征士は、忙しさのあまり
恋人から言われていたことをすっかり忘れていたのだ。
当日の朝になってネクタイを締めている征士を見た当麻はまず驚き、そして不機嫌を隠しもせずに顔を盛大に顰めた。
怒鳴るわけではないが明らかに機嫌を損ねたその様子に征士は誠心誠意謝り、そして早く帰ってくることを約束した。
なのにその約束を守れなかった。
当麻は会社に行ったらせめて午後からの休みを取れと刺々しいまでの命令口調で、だが拗ねたような甘えたような表情で征士に告げた。
それには行ってみないと解らないと答えたが、早く帰る事は約束した。
なのに、守れなかった。
出社すると己の領分以外の仕事で起こったトラブルに巻き込まれた。
その上、何処からバレたのかは知らないが誕生日おめでとうコールとプレゼント攻撃まであった。
社内だけなら未だ良かったが、取引先や出入りしている業者、挙句の果て征士には見覚えのない近隣の会社の人間からも。
祝いの言葉を聞き流す事もプレゼントを無碍に断る事も出来ずに、ある程度お座成りではあったが、それでもいちいち律儀に受けていると
自分の仕事さえ遅々として進まない。
定時に上がりたい征士は焦ってしまう。
約束をしたのは自分からだ。
それを破るのは嫌だった。
元よりそういう性格ではあるが、何より当麻をガッカリさせたくなかった。
なのに定時に上がれなかった。
それだけでもマズいのに、プレゼントの山だ。
別にそういう物を貰って帰って当麻がそこで怒る事はないかも知れないが、何だか申し訳なくなってくる。
しかもその8割以上が女性からというのも、征士の中で申し訳なさを更に倍増させた。
兎に角、少しでも早く帰って当麻を喜ばせたい。
定時のチャイムを聞きながら征士はそう思っていた。
が、実際に家に辿り着いたのは誕生日が終わってしまう10分弱前だった。
足取りが重い。
エレベーターのガラス越しに映る自分の顔が酷く疲れているのを見て、自嘲的な笑いさえ浮かべられない。
自分の誕生日に休みを取るよう言っていた当麻だ。
きっと何かしらイベントを考えてくれていたのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。
子供のように聞き分けのない事を言うでもなく、女のようにヒステリックに喚き散らすでもない。
ただ、傷付いたような顔をしていたのが征士の心を重くした。
仕事の合間に何度かメールを入れていた。
午前中は返事があった。
昼になると返事がすぐには返ってこないし、来ても単語だけだったがそれでもまだ、あった。
定時を過ぎた頃にはどれほどメールを送っても返事は1度も来なくなってしまった。
今も未だきっと傷付いた顔をしているのかも知れないと思うと、征士の足は益々重くなる。
殆ど1人で生きてきたような当麻は誰かと誕生日を過ごすことも、誰かの誕生日に何かをすることも、思い出の中でそう沢山はなかった。
だから柳生邸での日々の中で、誰かの誕生日の時は率先して色々とアイデアを出していたし、自分の誕生日の時はいつだって照れ臭そうにしていた。
2人で暮らすようになってからは毎年ではないけれど偶に休みを取るよう言われ、その度に喜ばせようという姿勢が見れた。
征士にとって大事な誕生日は当麻の方であって、自分の方にはさして比重を置いていないのだが、それでも当麻が楽しそうにするのを見るのが好きだったから、
それなりには大事にしていたはずなのに、今年は失敗してしまった。
足を引き摺るようにドアノブに手をかける。
ガチャリと重い音がするだけで開かない。
鍵がかかっていた。
征士はそれに溜息を吐くとポケットから鍵を取り出して、静かに回してドアを開ける。
廊下は、真っ暗だった。
その先にあるリビングも。
「………ただいま」
若しかしたら寝ている可能性も考えて極力声を殺して、足を忍ばせて入る。
リビングには人影がなかった。
キッチンを覗くとシンクには食器さえない。
きっと彼は食事をとっていないのだろう。
征士はそれを知って心底申し訳ない気持ちが沸いてくる。
ひょっとしたらと期待をして当麻の部屋を覗いたが、そこにも彼はいなかった。
家出されたかと一瞬考えたが、シューズボックスに彼の靴は全てあった。
どうやら家にいる事に安心して、まだ覗いていない寝室に入る。
「とうま、」
ベッドが膨らんでいた事に安堵して声をかけたが返事がない。
完全に寝入っているのだろう。いつも自分が入り込んでいる側に背を向けている彼は規則正しく寝息を立てるだけだった。
ゆっくりと近付いてその寝顔を盗み見る。
そこにはいつもの気持ち良さそうな姿はなく、背中を丸め、何かから己を守るような寝姿の当麻がいた。
「……当麻」
きゅっと、きつくシーツを握り締めている手を解かせて、細い指に唇を寄せる。
青い髪を撫でてから征士もパジャマに着替えてベッドに潜り込むとその細い身体を抱き寄せ、起こさないように気遣いながら、
愛していると何度も耳元で囁いた。
出会った頃より想いは強くなり、今までも、そしてこれからも欲してやまない彼が、ちゃんと腕の中にいる事に感謝しながら征士もそのまま眠りに就いた。
唐突に目が覚めた。
時計を見ると明け方のまだ4時にもなっていない頃だった。
眠った時と全く同じ体勢で当麻を抱き締めたままにいた征士は、しっかりと抱き締めていたはずの当麻がいつの間にか腕の中で寝返りをうったらしく
自分の方を向いていた事に穏やかな幸せを感じる。
寝顔を伺えば、表情は既に気持ち良さそうないつものものになっていた事にも。
あまりに嬉しくてつい、寝ている当麻に頬を寄せた。
「………んっ…」
その感触に当麻が無意識に声を漏らした。
くすぐったがりの当麻だが、いつものソレとは明らかに違う。
かなり、艶っぽかった。
不思議に思ってもう一度頬を寄せると、また。
それに征士の雄が刺激される。
微かに齎される感触にピクリと反応する薄い身体が、漏れる吐息が、寄せられる眉根が愛しい。
しかし何にだろうか。
不思議に思って征士は自分の顔を撫でてみた。
チクリとしたものが掌に当たる。
「………………もしかして、」
昨夜、随分と疲れて床に入った。
いつもはそうではないが、そのせいなのだろうか。
顎鬚が少し伸びている。…ような気がする。
普通の会社勤めをしている征士は性格的にも身形はきちんとするべきだと考えているために、毎朝髭を剃っている。
体毛といえば女性にも生えている部分にしか生えなかった当麻は、それを見るたびに勿体無いとかなり本気で嘆くのだった。
髪より少し濃い、金より茶に近い色をしたそれを、羨望の眼差しで見つめながら。
カッコイイんだから生やせ、と。
1回でいいから!としつこく言われた時期もあったが、一社会人として髭を伸ばすという事に抵抗のあった征士は今までそれを実行した事は無い。
だが今のこの当麻の反応はどうだ。
くすぐったさと同時に明らかに感じている声色を出したではないか。
いつもと違う反応は、決してマンネリなどしてはいないがそれでも征士には刺激的だった。
その反応を見たくて何度も繰り返していると、徐々に当麻の意識が覚醒してきたらしい。
薄く目を開け、そして寝起きの掠れた声で、なに、と短く聞き返してきた。
「おはよう、当麻」
欲に濡れた目で、至近距離でそう囁くと当麻の頬が僅かに赤くなった。
「………おかえり、征士」
言われてから征士も、ああそれが先だったかと思い、挨拶をしなおす。
「ただいま、当麻。それから……すまなかった」
約束を何一つ守れなかった事を詫びれば、寝起きで頭がハッキリしていないのだろうか、随分と素直に、いいよ、という返事が返って来た。
そして征士の胸元に顔を寄せて甘えてくる。
「……寂しい思いをさせたか?」
その仕草が可愛くて聞くと、
「うん……」
と、また素直な返事が返って来た。
そんな彼がいじましくて愛しくて、その細い身体を抱く腕に更に力を入れて抱き寄せる。
胸元にある当麻の小さな頭を見下ろせば、綺麗な青の旋毛が見えた。
そこに唇を落として、その後で顎鬚を摺り寄せる。
「………ぁ、んっ」
可愛い!
また漏れた声に征士は確信を持った。
やはり当麻はこの髭の感触に、常に無い感触に感じているのだと。
その後はどうしたかというと…
当麻の目が完全に覚めたのが午前4時頃。
征士が普段起きている時間まで大体2時間半ある。
それぞれに先日の寂しさもある。
そして征士の顎には少しだけとは言え伸びた髭も。
それらの要素に朝から2人して盛り上がってしまい、征士も仕事があるというのにいつもの起床時間までの2時間半、たっぷりと愛し合ってしまった。
抱き締めてみれば肩に触れ、キスをすれば顎に、乳首を舐めれば肌を刺激し、熱を持ち反り返った下肢を咥え込めば膨らみを嬲った。
征士の顎に生えた髭が。
その度に当麻は甘い声をあげ、征士の腕の中で肌を粟立たせたのだった。
朝からたっぷりと愉しんで清々しいまでの表情をした征士は、未だベッドに臥せっている当麻に声をかけて会社へと向かっていった。
それが誕生日の翌日の事で、そして今日が6月21日。
仕事中にふと閃いた征士は、自分の有休の残り日数を確認すると通常の盆休みの前後にそれぞれ2日ずつ休みを取る事を決めた。
そしてその期間、髭に関しては揃える程度にしか手入れをしないことも決めた。
当麻と共に仙台の実家へ帰るのは毎年のことで、そしてそこで二泊するのも毎年のことだが今年は一泊だけにしようというのも決めた。
他の日数はホテルに泊まるつもりだ。
仙台ををゆっくりと散策して美味しいものを沢山食べ、そして夜はホテルで色々楽しい事をしようと決めた。
決めたったら決めたのだ。
帰ったらホテルの手配もしなければならないし、実家に今年は一泊しかしない旨も伝えなければならない。
それに何より当麻を説得する必要がある。
本気では嫌がらないだろうけれど照れ屋で恥ずかしがり屋の恋人を、じっくりと攻略するのも征士は割と好きだったから、
これはこれで楽しみではあるけれど。
今年は盆休みまで忙しいなと思った征士は、取敢えず髭の手入れの仕方も調べる必要があるなとパソコンを開くのだった。
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レッツ髭プレイ。