ナイトブルー
伸と征士の職場はそれなりに近く、昼を共にしようと思えば出来る距離にあった。
と言っても徒歩では難しく、公共の交通機関を利用するか、それか車での移動が必要だ。
伸は電車通勤をしているため、そういった場合の大概は車通勤の征士が移動をして伸の職場の近くで食事を済ませる事が多い。
だが征士の職場の近くより伸の職場の近くの方が彼ら好みの店が多い為、それが不公平になる事はなかった。
月に一度あるかないかのその顔合わせに、いつもの場所で伸が待っていると見慣れない車に乗った征士がその場に現れた。
「すまない、遅くなった。時間は大丈夫か?」
「いや、大丈夫だよ。それにしてもビックリした。そう言えば車、買い替えるって言ってたね」
「ああ」
「いやぁ………見事だねぇ」
どう見ても新車そのもののソレを見ての感想は感嘆の中に呆れが混じっていた。
征士と当麻の間で車を買い換えようという話が出たのは、その年の初め頃だった。
別に今の車で不自由をしているわけではないが割と長く乗っているというのと、そして最近の車の装備の方がやはりいい物が多いという理由からだ。
最初は当麻のほうが乗り気だった。
彼が様々な車をインターネットで見比べてあれやこれやと検討をしているのに対し、征士は現場で実物を見たい派の為、
その時点ではそこまで目に見えて楽しげではなかった。
暫く当麻の比較は続いたが、結局は運転することの多い征士の意見で今乗っている車と同じディーラーへ向かう事になった。
店に入ると販売員がすぐに近付いてくる。
ソツのない対応をする彼に既に幾つか車種を絞っていた当麻が色々と聞いている横で、征士はある車に目を留めた。
それは見事なまでの。
「……あれは?」
「え?ああ、あちらでございますか?あれは最近出たものではないのですが…良ろしければご覧になりますか?」
征士が見ていたのは何度かマイナーチェンジをしている車種で、確かに安定した人気のあるものだった。
だがこの時の彼は、彼にしては珍しくその車の特徴や性能などは二の次だった。
何故なら。
「色がいいな」
そう、それは見事なまでの。
「ええ、綺麗でしょう?ナイトブルーというカラーリングになります」
見事なまでの、綺麗な深い、青。
何となく嫌な予感がした当麻が征士を軽く睨む。
だがそんな物に怯む征士ではない。
何故なら、それは。
「似ているな」
何に、とは言わないが彼の口調から自分の想像でほぼ間違いないと感じ取った当麻は、販売員に見えないように征士の尻を抓る。
そのチクリとした痛みに征士の端正な顔が僅かに歪んだ。
征士が言いたいのは、当麻の髪や瞳の色に似ているという事だ。
それも昼日中のものではない。
陽の光を受ければ鮮やかな青を見せる当麻の髪や瞳だ、今目の前にある車ほど深い色はしていない。
そう、征士が言いたいのは。
「何を怒る。夜見るとあんな感じだぞ?」
それも、夜、ベッドで見る、と言いたいのだろう。
何が言いたいのか解るのは長い付き合いで嫌というほど思い知らされてきたからで、だからこそ当麻は心底、
征士のそういう考え方を辞めて欲しいと常々思っている。
誰が喜んであんな恥ずかしい時の事を思い出して欲しいものか。
「どうかされましたか?」
蚊帳の外になっていた販売員が不思議そうに聞いてくると、当麻が愛想良く笑って対応した。
「俺、あっちのが見たい」
隣の馬鹿な美丈夫の意識をとっとと違う場所へやりたい彼は、態と反対側にある車を指差す。
だがそうは問屋が卸さない。
「私はこれが気に入った」
征士は頑として動く気がないらしい。
そのナイトブルーの車を指差す。
「何言ってんだよ、色々見て決めた方がイイに決まってんだろ」
「気に入ったものが見つかったのだ。これで構わんだろう」
「比較検討って言葉知ってるか」
「知っている。だが主に私が運転するのだから、私が気に入ったものでいいではないか」
何だか大人気ない遣り取りを見せる2人に困るのは販売員だ。
どう割って入ったものかオロオロとし始める。
そもそも男2人で現れた彼らの関係性が見えない以上、どう商談を進めるべきかさえ悩んでいるのだ。
見たところ払いは良さそうだが、彼は厄介な客を引いてしまったのかもしれない。
「お客様、あちらの車種にも似た色味の物はありますので…」
「ではソレを見せてくれ」「俺ぁヤだね、赤がいい」
細身の青年は別の車種がいいといい、凶悪なほどに整った容貌の青年はこの色味が気に入ったというので折衷案を出してみたが、
どこか不機嫌さを漂わせる細身の青年に呆気なく却下された。
どうしたものか、と思っている販売員をよそに、今度は何故か美丈夫の方の機嫌が悪くなる。
「赤は駄目だ」
「何で」
「何でもだ」
理由は言わないが征士が赤を嫌がる理由はただ1つ。
遼の色だからだ。
当麻と遼は似た境遇で育っていたからか、言葉にせずとも無意識下で互いの孤独を理解していた。
別にそれで2人の関係がどうこうなるというワケではないが、それでも何よりも当麻を思う征士は面白くない思いをしてしまう。
その当麻が赤を選ぶというのが気に入らない。
勿論、それが単に征士の意見に反発したい為だけに適当に言われた物だと解っていても。
「せめて緑にしろ」
「緑の車なんて大概カマキリとかの虫みたいな色だろ?俺にもお前にも似合わないだろうが」
自分の鎧の色を言ってみればこの有様。
似合わないと言われてどんな顔をすればいいのか。(確かに光輪の鎧の緑に対し、車の色は黄味が強めではあるが…)
しかもこの譬え。
もっと他に言いようもあるだろうに、特に意識して物を言っていない当麻は素直に思った事を口にする。
彼のこういう気の回らない所も普段なら気にしない征士だが、今はそうではないらしく、その発言が彼の不機嫌に油を注いでしまう。
「兎に角私はこの色がいい」
一途な征士は、行き過ぎて頑固になる時がある。
今が正にそうだ。
こうなってくると本格的に可哀想なのは販売員だ。
2人の間でどうしたものか…と困るばかり。
「……………ではお客様、思い切ってお2人の仰っている色と全く違うものを選んでみるのはどうでしょうか」
そもそもこの2人、まだ色の話しかしておらず、肝心の車の特性に関しては一切聞いていない。
自社の車に自信を持っている販売員としては悲しくてやってられない。
兎に角、せめて車種の決定をと思い必死に出した彼の提案は、再び運転をする頻度を持ち出した征士の意見にアッサリと当麻が折れ、
結局は色味で車種を絞る事になりまた却下されてしまった。
それでも色で絞ると、随分と話は早かった。
事前にある程度当麻が下調べしていたことと、試乗した結果で征士がハッキリと意見を言ったためだ。
もう購入が決定しそうな勢いである。
それは店側としては有難いが、値引き交渉やまた後日改めて…という客が多い昨今、こうなってくると逆に心配になってくる。
「あの……それで、…こう言っては何ですが…他メーカーの物と相見積もりや比較はされなくて宜しいんでしょうか…」
「うーん、どう?」
「いや、私はアレの色も乗り心地も気に入ったから…」
「だよなぁ。うん、どっちかって言わなくても、俺らはOKかな」
「はぁ……そう、ですか」
何だか肩透かしを食らった販売員は、値引き交渉さえしない彼らに、せめて何かサービスを、と思いエクステリアの話を振ってみる。
「あ、そう言えばそっち考えてなかったな」
「言われて見れば……」
装備に関してはある程度自分達の希望を伝えた2人は、内装の色も幾つかあると聞くとまた少し揉めた。
「何でサイドギアのヘッドまで青にすんだよ!」
「折角選べる色の中に青があるのだからいいだろう」
「馬鹿じゃねーの、お前!もうソコ弄んなくていいだろ!」
ここにきて販売員は薄々思ってはいたが目を逸らしていた事実と否が応にも向き合わされる。
さっきから色味で揉めているその理由。
やたらと青に拘る美丈夫の向かいにいる細身の青年の髪も目も、珍しい色味で、それはそれは綺麗な、青、で…
それはつまり、この2人は所謂………であって。
客に対して偏見や持論を持ち出すほど彼は愚かではなかったが、それでもナイーブな問題は必要以上に気を遣ってしまう。
彼はお客様のいる手前、溜息を吐かなかったが、きっと彼らが帰った後は1週間分の疲れを感じるのだろう。
色で落ち着けば今度はナンバーの希望の有無でまた揉める。
征士が真っ先に口にしたのは「10-10」という数字で、それを聞いた途端当麻が最早誰が見ていようとお構いなしに彼の頭を叩いた。
あからさまだ!と当麻が怒鳴ったので、販売員もそれが恐らく彼の誕生日だと見当が付いてしまった。
そして次に「10-07」と言ったのには、暫く黙った当麻だが、
「………まさか、…ウマ…?」
と呟けば征士が嬉しそうに微笑んだので、また叩く。
10という数字と、そして干支で数えれば午年は7番目。
10と07。とお、と、うま。
つまり、とうま。
流石にコレは販売員には解らなかったが、もう考えないようにするのに必死だ。
寧ろ考えたら負けだと思い始める。
最終的にナンバーだけは当麻の、何でもいい、という意見が通された。
取敢えず概算を出して、具体的な見積もりは後日郵送します、と言った販売員は、改めて確認をする。
「あの……本当にこう言っては失礼なのですが、…値段のサービスと言いましょうか…値引き交渉など、よろしいのでしょうか」
ここまでストレートに購入決定する客はこの不景気の時代に珍しく、何だか申し訳ないやら怖いやら、様々な感情でつい言ってしまった。
だが彼は言わなくて良かったのだ。
言ってしまったがために墓穴を掘ったのだ。
何故なら、美丈夫はうっすらと微笑んで、
「今後のメンテナンスの事や作業の事を考えて、私としてはそちらの金額が妥当だと思っているので構いません」
と言った。
それは一言も言っていないが、つまり、隣にいる彼の為ならば何も惜しみません、という盛大な告白を聞いているようで、
赤くなっていいのか青くなっていいのか解らない気分に陥る。
敢えて言うなら、早く今日が終わって欲しい、だろうか。
兎に角、そんな一悶着があった車は、それでも納車してしまえば結局2人して気に入り、仲良くドライブに出かけたりするのだから、
こういう手合いの事には口を閉ざし耳を塞ぎ、何も見ないようにしてやり過ごすのが一番正しい対応なのかもしれない。
事の顛末を聞いた伸の目の前にある、綺麗な深い青のボディに、内装の至る所にも青が散りばめられた車のナンバーは「19-73」。
奇しくも彼ら5人の生まれ年の数字で、それを当麻がいたく気に入っているという話を、それはそれは大層嬉しそうに話す征士に、
もしこの車に傷でも付けようものなら、文字通り雷を落とされるのだろうか。
などと考え、征士が話すその時の当麻がどう可愛かったかという話は一切耳に入れていないあたり、
伸は彼ら2人の扱いをよぉっく心得ていると言える。
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青い車に乗って毎日機嫌良く仕事に行きます。