薬局へ行こう
5時の定時を知らせるベルが鳴ると同時に征士は携帯を取り出した。
暫し画面を見つめた後、眉間に僅かに皺を寄せ、次に溜息を吐くとさっさと帰り支度を始める。
「アレ?伊達、帰るのか?」
ちょうど外から戻ったばかりの同僚がそれを見つけ声をかける。
征士は頷いて答えた。
「急いで帰らねばならなくなった」
「あ、もしかして恋人に何かあった?」
どこまでも真面目な征士は仕事を半端にして帰ることを基本的にはせず、定時ちょうどで退社する時は決まって恋人絡みだという事は、
社内で密かに有名だった。
入社当初からただでさえ目立つ美丈夫が、一途に想い続け、大事にしている人がいる。
付け入る隙あらばと狙っている女性社員は多く、それだけに彼の恋人というのは姿を見た事はなくとも知れ渡る存在となっていた。
「昨日から少々風邪気味だったのだが…」
「本格的に引き込んだ?」
「いや、そうなる前に病院へ行くように言っておいたのだが、行ってないらしい」
「病院嫌い?注射が怖いとか…可愛いなぁ」
「まさか。本人に言わせると、初期症状で病院に行けば下手にウィルスを貰って余計に悪化するとか何とか言っているが、
恐らく単に外出するのが面倒なだけだろう」
「とか言ってお前に構って欲しいだけじゃないのか?」
ニタリと笑う同僚の言葉に、そうであれば可愛いが…と恋人の顔を思い浮かべる。
………着替えて病院へ行くという行為そのものが面倒だと言って、只管に寝る事を優先している姿が浮かんだ。
初期症状だと言っていたくらいだから寝ること自体はしんどくないのだろう。
寝るのが大好きな彼ならば、寝て済む事は全てそうするに決まっている。
「どうだろうな…市販の薬とレトルトの粥の買い置きをメールで寄越してくるくらいだから、大丈夫だと思うが…
如何せん、メールの内容だけでは様子が解らんのでな。兎に角、帰りに薬局へ寄らねばならんのだ。……先に失礼する」
同僚に見送られ駐車場に向かうと車に乗り込み、会社から家までの道の途中にある薬局へ入った。
初めて入る店なので勝手は解らないが、常備している風邪薬ならパッケージを覚えていたのですぐにそれは見つかった。
次は頼まれていた粥である。
征士としては本当はこんな物ではなく手作りのものを食べさせたかったが、当麻が嫌がるのだ。
そこまで世話を掛けられないし、もしかしたら食欲自体がなくなる可能性だってある。
そうなってしまっては作ってくれた征士に申し訳ないし、食べなければという気持ちが負担になってしまう。
だから何の気兼ねもないレトルトの粥がいい、そう言って。
商品棚をいくつかすり抜けていくと、ある物が目に飛び込んでくる。
避妊具…コンドームだった。
征士と当麻の関係は長く、当麻に言わせると年中発情期の征士が彼を求める日は多い。
同性同士のため、本来そうする為にはない器官を使って体を繋げるのだ。
衛生面としても健康面としても当麻の身体を非常に気にする征士にとって、コンドームの着用は当たり前のことだった。
だが当麻は違った。
女性と違って潤いの足らないそこは、コンドームを着けると擦れて痛いのだと言う。
だから極力、着用を拒んだ。
別に子供が出来るわけではないのだからイイ、とも言って。
それでも何度か新しい物を見るたびに、試しはしたのだ。
薄いもの、ジェルつきのもの。
けれどやはり当麻はいつも痛がったし、それでもどうにか最後まで行為を終えた後に見れば、
切れて出血している事や、皮膚が傷んでいることもあった。
これには征士も酷く悩んだが、当麻に痛い思いをさせたくはない。
いつだって彼を気持ちよくさせたい。
だから行為の前には丁寧に洗ったり、行為の最中も丁寧に扱う事で補い、滅多にそれの着用をしなくなっていた。
目の前にあるのは「新発売」というポップと、それが張られた「極薄」という文字のパッケージ。
「……………」
着用をしなくなったとは言え、やはり気にはしていたので思わず手に取ってしまう。
家にある、1つ使っただけの物とは全くの別物のようだった。
これならば或いは大丈夫かもしれない。
そう思って既に何箱も無駄に捨てているが、こればかりはどうしようもない。
買ってみようか。
そんな風に思いながら何気なく棚を見渡す。
家の近所の薬局と商品のラインナップが違うらしく、見たことのないパッケージが多かった。
「……これは?」
イチゴ味。
そう書かれた物が目に付く。
味など、必要なのだろうか。
例えば着用後に口に咥える場合に、ゴムの味ではなくイチゴの味がすれば確かにする側も抵抗が少ないのだろう。
しかし実は征士は当麻にそうされるのがあまり好きではない。
当麻が下手なのではなく、これは単に趣味嗜好の問題だ。
同じ中に入れるのなら当麻の体内のほうが断然、征士は好きだった。
それに”される”より”する”方が好きでもあった。
では当麻にコレを付けさせて咥えるかと言うとそれも不要だ。
自分の口の中で出してしまった時の当麻の表情を見るのも、好きだからだ。
何味であっても、味は不要。
小さく頷いて、そう結論付けた。
「…そう言えば………」
はたと思い出す。
潤滑油を買っておいた方がいい事を思い出した。
行為自体に慣れ、加減も具合も解ってきたので殆ど必要とする事が無いため使用頻度も少なく、前に買ったものがまだ家にあるだろうが
中身が変質している可能性がある。
いつ使うか解らないが、万が一にも必要となった時になくては困るだろう。
お互いのデリケートな所に使う物だ。
慣れたものがあればそれが一番いい。
しかし此処で征士は困ってしまった。
滅多と使わないソレのパッケージも商品名も、そしてメーカーも、覚えていなかった。
取敢えず手当たり次第にパッケージを手に取り裏の説明書きに目を通していく。
成分なんて覚えてはいないが、大事な問題だ。
解る限りで肌に優しいものを吟味していくその姿さえ、目の保養になるのだから美形と言うのは恐ろしい。
さて、こうなってくると困ってくるのは周囲の客である。
見たこともない程の完璧な男が真剣に何か悩んでいるのだ。
何かお困りですか、そう声をかけてみたい衝動に駆られるが如何せん、彼がいるのは”そういう売り場”で、
しかも手に取っているのは”そういう商品”なのだ。
そういう物を手に、何に納得しているのかは不明だが、時に小さく頷いている。
そんな姿に迂闊に声など掛けれないし、そんな物を見ている時点で特定の相手がいることなどすぐに解る。
悩む征士と、悩む周囲の客。
妙な空気は暫く続いた。
「粥は……いつものメーカーのが…ああ、これだな」
当麻の気に入っているメーカーの粥を見つけて安心する。
基本的に何でも食べる当麻だが、病気で弱っている時はやはりレトルトと言えど好むものを食べさせてやりたい。
それでいて身体に優しいもの。
使われている原材料もチェックした上で、決めているメーカーがあった。
征士はそんなところでも常に当麻が一番であった。
彼の持つ籠には風邪薬と、そして幾つかのコンドームと潤滑油が入っており、そこにレトルトのパッケージも幾つか放り込まれる。
そんな籠を余りにも堂々とレジに出す姿に、周囲が逆に困惑する。
男性客は、実際自分が買うときには妙にドギマギしてしまうような物を堂々と出す美形に畏敬の念を抱き、
女性客は、恥ずかしがってレジに一人で行かせる自分の彼氏を思い浮かべ、こうあって欲しいと羨望の眼差しを送る。
そしてレジを担当した店員は、避妊具の多さに思わず商品と征士の顔を何度も見比べてしまった。
しかし周囲の様子など征士が気にするはずなどない。
元々そういった性質の男だが、今は兎に角風邪で寝込んでいるであろう恋人の事で頭がいっぱいだ。
風邪と解っているのに、ついでの買い物内容が如何なものかと思わせるが、それだって彼の事を思えばこそ。
征士はいつだって真面目だ。
早く帰って当麻の顔を見たい。
この時の征士は、買い物袋から出てきた商品の数々に当麻の怒りが爆発することまで考えが及ぶ事はなかった。
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何考えてんだと怒鳴って、くらっときた当麻を抱きとめるのが征士です。
タイトルは好きなバンドの歌(?)から。
薬局にコンドームを買いに行く気持ちだそうです。