におい
当麻は基本的に在宅でパソコン関係の仕事をしているが、時には研究者になる。
そちら側へ行くには勿論オファーを受けているわけだが、正直この数には征士も最初は驚いた。
嘗て仲間と暮らしていた時に人付き合いが下手だと思われていた当麻だが、実は予想以上に知り合いがいた。
それは子供の頃から父を通じて知り合った者であったり、大学時代に知り合った者であったり、
時にはその経緯さえ征士には理解ができないような繋がりを見せている者であったりと、様々だった。
中には直接の知り合いではなくとも誰かの知り合いであったり、はたまたどうやらそちらでは割りに名前が通っているらしく
突然の連絡というパターンもあったが、そういうのはあまり気乗りがしないらしい。
曰く、人となりが解らないのは嫌だ、と。
判断基準をきちんと設けているので征士も安心はしているが、それにしてもやはり想像以上の知人の数に征士は驚くばかりだった。
当麻に言わせると、普通に付き合う分にはこなせるらしい。
智将は処世術にも長けているのだ、と薄い胸を張って威張っていた。
そしてその処世術に長け、無難な人付き合いならこなせるという当麻には、また少し違ったオファーもある。
それは時にはパソコン関係で。
時には天文科学的な事で。
時には環境に関する事で。
講義、という形での仕事を当麻は時折請け負う。
今回受けた遺伝子に関する講義は、全部で4回。
場所は元は女子大で今年から共学になった、割りに有名な学校だった。
入ってきた青年に、室内が俄かに騒がしくなる。
一応2回生をメインに据えた講義のため教室の中は女性ばかり。
対して入ってきたのが自分達の年齢とかけ離れているとは思いがたい男となれば、仕方のないことだった。
当麻も慣れているので嫌な顔をしたり溜息を吐いたりはしない。
担当している教授による紹介を受けたあと、軽く自己紹介をする。
いつものようにダルっとした雰囲気ではなく、あくまで硬い挨拶。
実年齢より若く見られることの多い当麻は、その原因である垂れ目を今はメタルフレームの素っ気無い眼鏡で覆っている。
(若く見られる理由を垂れ目としているのは本人だけであって、それは他の仲間に言わせると、行動の酷さが原因だが本人は聞かない)
それだけでなく服装だって身体に合わせて作ってもらったスーツを着ていた。
ネクタイをしないのは仕方がないとしても、身体にしっかりとあった物を着ることで、こういう場に慣れている、という印象を与えるためだ。
余談ではあるが、このスーツは征士と一緒に作ったものだ。
そして一度、悪ふざけでスーツだけでなくシャツからネクタイまで征士の物を着てみた事があったが、
あまりにサイズが違い過ぎた為、悔しいを通り越してもう笑うことしか出来なくなった事がある。
(そしてその後、何故か火のついてしまったらしい征士に思いっきりヤられてしまった)
しかしそれでも実際に浮き足立ったスタートとなってしまうのもいつもの事だが、それで最後まで集中してもらえなくては意味がない。
当麻の講義は容赦ないことでも有名だった。
生半可な気持ちで受けるととんでもない地獄を見るという。
なので最初にその空気を適当に追い払うのも、もう馴れた事だった。
質問を、何でも受け付ける、と言って。
最初の方の質問なんて可愛いモノだ。
今回の講義内容に興味を持ったのは幾つの頃だとか、天才と聞いたが勉強はどうやっていたのかとか。
けれどそれも暫くすると段々と全く関係のない横道に逸れていく。
「せんせえ、最近腹が立った事はなんですか?」
「阪神が巨人に負けた事」
「せんせー、パンツは何派ですか?」
「ボクサーブリーフ」
「せんせー、お風呂ではどこから洗いますか?」
「頭」
「寝るときは何を着ますか?」
「殆ど全裸」
「ねぇ、せんせ、彼女いるのー?」
「美人の彼氏ならいる」
最後の答えに生徒たちも、いよいよマトモに答えてもらっていないと思ったらしく、質問の数が一気に減る。
因みに当麻は嘘なんて言っていない。
が、どう受け取るかは自由だし、いちいちそれを説明する気もない。
頃合かな、とスーツの上を脱いで椅子にかけると、シャツの袖口を捲くり始める。
「さて、じゃあそろそろ講義内容の説明に入らせてもらってもいいか?
講義は全部で4回。初回の今回と2回目はいいが、3回目と4回目にはレポートを提出してもらう。
最初に出すのは個人でのレポート。次は、その内容からこちらで幾つかグループに分けるから、そのグループでの研究レポート。
因みにどの分も、ネットや書籍からの丸ごと引用は認めない。勿論、語尾や言い回しの変化だけというのも駄目だし、
友達同士での見せ合いもだ。先に言っておくがバレなきゃいいという事はないぞ。
俺の頭、ナメてると何度でも再提出させるから覚悟だけしといてくれ」
この言葉が嘘やハッタリではなく、本当のことだと言うのは彼の講義を受けた人間はイヤと言うほど身を持って知る破目になる。
思考能力もそうだが記憶力に関してもずば抜けている当麻への提出物は、数こそ少ないものの中々にヘビーな内容となるのだ。
「ただいまー」
当麻が家に帰ると、いい匂いがしていた。
「おかえり。疲れただろう?」
「うーん…そうでもない、かな?慣れっこ。それより今日、ハンバーグ?」
玄関まで迎えてくれた征士はエプロンをつけており、まだ調理中である事を示していた。
今夜のメニューは匂いからしてハンバーグ。
美味しいものは何だって好きだが、特にお子様な食べ物は当麻の好物だった。
「ああ。……昼は何を食べた?」
「えーっとね、唐揚げ定食とラーメン」
「だけか?」
「うん。あんまし外でガツガツ食うと、またそれで話し掛けられるの面倒だし」
「………………匂うな」
「何が」
「お前、学食で食べてきただろう」
「うん。よく解ったな」
「香水の匂いが……色々混じっていて臭い」
当麻の髪や服に僅かに残っていた匂いを征士は敏感に嗅ぎ取り、顔を顰めた。
こういった匂いが彼はあまり好きではない。
「そう?もう俺、解らないトコまできちまった。ヤだな、帰りの電車でも臭いと思われてたのかな?」
「それはどうか解らんが私には兎に角臭いとしか言えん」
食事の前に風呂に入れ、と征士は当麻を浴室へ押し込めようとする。
けれど当麻はその手をすり抜けて思いっきり彼に抱きついてやった。
「…!コラ!やめんか!!匂いが移る!!」
「だって征士ハンバーグの匂いするんだ、あーすげーイイ匂い。腹減ってきちゃったー」
「私はお前の匂いで鼻が曲がりそうだ!離さんかっ!それにまだ焼いていないんだ!そこまで匂うものか!!」
玄関先での攻防。
結構本気で嫌がられると、日頃の鍛錬が物を言う。
当麻はアッサリと征士から引き剥がされてしまった。
「っちぇ、何だよーたまに恋人が甘えてやってるってのに」
「人をからかっているだけの癖に何を言う。さっさと風呂に入って洗って来い。スーツもクリーニングに出すぞ」
征士の機嫌がよろしくない。
理由なんて当麻にはよーっく解っていた。
自分の恋人が女だらけの所で、色気づいた目で見られまくってきたのだ。
いっそ征士はそれを”視姦”されたと言ってやりたいほどには、気に食わないと思っている。
素直に口にするのはあまりにも情けないのでしないが、本当は行き先が女子大の時は断って欲しいとさえ思っていた。
それを知って請け負っているのだから、当麻も性格が悪い。
何も別に征士に妬いて貰おうなどと考えているわけではない。
ただ、純粋に。
「じゃあさ、征士、洗ってよ」
普段、素直に甘える事ができないから、こういう事に便乗したいのだ。
ただ、それだけの為に。
だから、いい性格、とは言えない。
「まだ焼いてないなら大丈夫だろ?」
髪も身体も、全部その手で洗って、お前の知ってる匂いに戻して。
雄弁に語り誘ってくる青い目に征士は暫し逡巡して。
「…………………シャワーでいいか?」
「そんなに腹減ってんの?」
「いや、お前が構わんのなら食事はもっと後だ」
それはガッツき過ぎだろ、と思っても声には出さない。
誘ったのは自分だし、こういう事になるというのも少し、いやかなり予測していたし期待もしていた。
だから。
「いいけどさ、じゃあ、ハンバーグのタネ、冷蔵庫に入れてきたほうが良くないか?」
征士は返事もせずにそのままリビングの奥にあるキッチンへと向かって行った。
その背中を当麻は笑いをかみ殺したまま見送ると、クサイと言われたスーツを一先ず部屋へ放り込んだ。
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当麻に美人の彼氏がいると言ってもらいたかったんです。