拝啓、親父へ。



『拝啓 親父へ

 元気にしていますか。俺は元気です。
 日本は相変わらず暑いです。スウェーデンは涼しいくらいですか?
 結局今年も盆休みを仙台にある伊達の家で過ごしましたが、来年こそは親父に会いに行こうと思います』



ここで当麻はペンを一旦置いた。
滅多に書かない手紙は、メールと同じように文章を認めればいいとは言えやはり紙に書くという時点で気持ちが違うのだろうか、
なかなか思うように文章を繋げられず、たったの数行で詰まってしまった。
それでも手紙を選んだのは、いつもメールでの遣り取りのため、こちらの方が受け取り手に緊急性を感じさせられるからだ。




今年の盆を過ぎて数日が経った。
その時期は毎年、征士に連れられて当麻は伊達の家で過ごす。
二人の関係を想像以上にアッサリ、寧ろ何故か好意的に受け入れてくれた彼の家族は当麻が行くたびに、
来訪ではなく帰省だと言い、家に上がる際などには「お邪魔します」ではなく「ただいま」と言うようにと告げてくれる。

征士が当麻の事をどう話していたのかは、知らない。
けれど彼の家族は当麻にとても優しく、本当の家族のように接してくる。
それがくすぐったいような心地いいような、不思議な感覚で当麻はなかなかに気に入っていた。


そんな理由で伊達の家に行くのは嫌ではない当麻だが、少々困ることもある。
この家を自分の家と思って欲しいと言ってくれた家族は、やはりと言うべきか、自分たちの事も家族と思って欲しい、と言っていた。
実際そう言われて嬉しかったし素直に甘えていたが、彼らはそれでは物足りなかったらしい。
「お父さん」と。
「お母さん」と。
そう、呼んで欲しいと、当麻に告げた。
これには当麻も参った。
だって自分は男で、幾ら征士と思いを交し合っても血族的な意味で家族になれない人間がそう呼ぶべきではないだろうし、
それに自分にだって離婚はしているが父も母もいる。
それ以外の人間をそう呼ぶのは何だかアレだし、ああいう感じだし、その、つまり、恥ずかしい、わけで。

征士のお父さん。と、征士のお母さん。
今のところこれで勘弁してもらってはいるが、たまに期待を込めた目で見られるとどうにか応えてやりたい気もするが、
やはり恥ずかしさが先に立ってしまって其処から逃げ出したくなる。

けれど当麻だってそれなりの努力はしていた。
ごく稀に、ではあるけれど、征士の、という言葉を飲み込んで、彼らに呼びかけようとする時がある。
そういう時はまるで赤子が遂に初めて立ち上がろうとする瞬間を息を潜めて見守るような、そんな勢いで彼の両親は当麻を見守るものだから、
ますます当麻は真っ赤になって、俯いて、そして最終的に、結局、やっぱり「征士の」と言ってしまうのだ。

何もこの家族はそうやって真っ赤になる当麻を面白がっているわけではない。
征士の家族だ、大真面目にやっている。
突っ込む人間が誰一人いないというのは、結構に酷な事なのかもしれない。

因みにコレが当麻の母と征士だった場合は、全く別の状況になる。
ママと呼んでね!と言う母と、お母様と呼ぶ征士。
噛み合ってはいないが、案外にアッサリとその状況に馴染んでいるのだから、組み合わせというのはやはり大事だ。




さて、先日の帰省の際の事だ。
家に着いて少し休んで。
落ち着いてきたので、暇でもあったし昼食の準備を手伝おうと当麻が台所に入った時だ。


「………?」


妙に視線を、感じて振り返ると、其処には相変わらず征士の母親が立っているだけだった。
ただしその視線は、当麻の後姿に張り付いている。
いや、もっと絞って、尻に、だ。


「……あ、あの……?」


誰だって尻を凝視されるのは恥ずかしい。
それも大真面目な顔で見られているのだ。
幾らなんでも止めて欲しい。


「あの、えっと……何か…ついてます?」

「当麻さん」

「は、はい」


視線は外されないままに名を呼ばれ、思わず身構える。
身体ごと振り返ってその視線から尻を隠したかったが、蛇に睨まれた蛙、それは無理だった。


「相変わらずお尻が小さいですわね」


ほうっと溜息。
残念そうというか、可哀想、というか。
そういう溜息。


「…えぇ、まぁ……そう、ですかね?」


回答に困る。
別に女ではないから子供は産まないので、尻が小さくて困ることはない。
確かに男としても少しくらいは小さい方かもしれないけど、そんな極端に小さくはない。
しかし彼女だってそれくらいは理解しているはずだ。


「そんなお尻では大変でしょう」

「大変?」

「えぇ、征士の相手をするのは」

「っっ!!!!!!!!!!?」


何て事を言い出すのかこの昼日中に!
よくよく視線を辿れば、尻、というよりも、もっと具体的な箇所に視線を注がれてはいないだろうか。
慌ててシンクに背を向けその視線から逃げる。

その時シンクの近くにおいていたアルミ製のボウルに身体がぶつかり、ガシャンと耳につく音を立てた。


「どうしたの?」


それを聞きつけて征士の妹・皐月が姿を見せる。

台所では母親と、兄の恋人(当麻からするとそう呼ばれることさえ恥ずかしい)が、無言で向き合っているところだった。
母親はいつもの通りだが、その兄の恋人の方は顔を真っ赤にして後ずさっている。


「お母さん、当麻さんに何かしたの?」

「何もしていませんよ。ただ、お尻が小さいと申し上げただけです」

「なんだ、そんな事かぁ」


そんな事と言った皐月は、母と同じように今は自分達から見えないはずの当麻の尻を見る。


「確かに当麻さん、小さいね」

「どちらかと言えば細身ですしね」

「あんなに食べるのに羨ましいなぁ」

「当麻さん、そんなに細くて大丈夫ですか?征士のあ」

「へ、へ、ヘーキですって!」


またトンデモナイ事を言われては堪らないので、先に答える事でそれを遮った。
しかしまぁ、何が”平気”なのか。
心の中で自分を罵倒してしまう。
いや、実際平気だし大丈夫だし、大変は大変だけどそれは征士が所謂絶倫というヤツのせいで、自分は何という事はない。
けれど、そんな事を口に出来るはずがない、当然だが。

そもそもその”征士の相手”という単語だって、別に尻を見て言われなければ何とか自分の中で誤魔化せる単語なのだ。
例えば将棋の相手だとか囲碁の相手だとか。
なのにもう、彼女らの視線は立派に完全に一点集中視なのだから、逃げ場がない。


「もう、お母さん、当麻さん困ってるじゃない!」


どんな会話をしていたのか、どうやら皐月にもばれたようだ。
居た堪れない。
逃げ出したい。
穴があったら入りたい…。


「ホラ、当麻さん、穴があったら入りたいって顔してるじゃないの。…あ、ごめんなさい、穴、だなんて」


だからそういう変な所で気を遣わなくていいから!!!

当麻の顔はもう赤くなったり青くなったり大変である。
本当に逃げ出したかったが自分が背にしているのはシンクで、彼女達が居る方向に出入り口がある。
現状、逃げる事さえ叶わないのだ。



ああ、征士、助けて、助けて征士…
いや今来たらちょっとマズイか…


「何をしているのだ」


ってこんな時に限ってソッコーで来てんじゃねーよ!!!


「何って会話をしていただけです。それより征士さん、あなた少しは当麻さんの身体を労わって差上げているのですか?」

「?そのつもりですが」

「つもりとは何です、つもりとは。そのように推測で満足している内は充分でないと昔から教えているでしょうに」


真面目な顔で息子を窘める母親。
そしてその言葉を受ける息子。
親が子の至らなさを指摘するのは別に普通のことであるし、親としての義務であろうが、如何せん今指摘されているのは
非常にデリケートで、もう会話を切り上げていっそなかった事にして欲しい話題である。
兎に角、止めて欲しいの一言に尽きる。

なのに。


「当麻さんの身体を御覧なさい。あなたの事ですから些かやりすぎの時があるのではないですか?」

「それは……否定はしきれませんが…」

「常でなければいいという問題ではないのですよ?それに当麻さんが幾ら優しいからといってそこに甘えてばかりいるものではありません!」

「…肝に銘じておきます」

「伊達家の男子たるもの、それくらいの事は言われる前に気付きなさい!」

「はい」


しかも。


「こんなに小さなお尻で相手をなさっているのですから、もっと大事になさい!」


などと、思いっきり当麻の尻を指差しながら言ってくれるのだ。
こんな状態で当麻が耐えられるはずもなく。
その後、彼はギャーと悲鳴を上げて蔵に閉じこもってしまったのが、今回の盆の思い出である。






キーボードを避けて作ったスペースに額を押し付けて、長い長い溜息を零した。
もう一度ペンを手に取る。




『拝啓 親父へ

 元気にしていますか。俺は元気です。
 日本は相変わらず暑いです。スウェーデンは涼しいくらいですか?
 結局今年も盆休みを仙台にある伊達の家で過ごしましたが、来年こそは親父に会いに行こうと思います。
 いや、年明けをそっちで過ごそうと思います。
 男同士で気兼ねなく、久々に話がしたい気分なので、予定が決まったら連絡を下さい。
 母さんは呼ばなくていいです。寧ろ暫く女の人は怖いので、呼ばないで下さい。 当麻  』




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でもきっと正月も、仙台へ行く。