たいせつなもの



「災害時には自分にとって大事なものだけに絞って持ち出すよう、私たちも日頃から心がけねばならんな」


自然災害のニュースを見ながら征士がそう言い出した。
だから当麻は、


「だったら俺、この前買ったハードディスクだな」


と、ふざけるでも無く、ごく普通のように答えた。



「……外付けのか?」

「そう、ソレ」

「……他にもっと…………」


大事な物があるだろう、と渋い顔をして窘めようとした征士だったが、ふと思い当たる事があって黙った。




当麻の外付けのハードディスクは容量が非常の多く、購入する際に一体何に使うのかと聞いても
言葉を濁したり話を逸らしたりして答えてくれた事は無かった。
仕事以外でそんなにパソコンを触ることのない征士からすれば その無駄に大きく宇宙規模にも感じるような単位ほどの容量が
どう必要なのかと首を捻りたくなるが、当麻はそれくらいなきゃ駄目だと言い切ったのだ。


在宅でプログラムを組む事を仕事としている当麻は確かにパソコンが必要不可欠品ではあるし、容量も沢山いるのだろう。
パソコン自体も征士からすれば充分にハイスペックなものを持っているし、データを盗まれたり壊されたりしてはたまったものではないと、
セキュリティにもこれでもかという程に気を遣っている。
そしてやはり多すぎるデータはパソコンだけに留めるには難しくそこでも外付けのハードディスクは必要ではあった。
けれどそれは専用で別に持っているし、一番新しいソレの容量より遥かに少ない。
仕事で使うものよりも遥かに大きな容量を必要とするそのハードディスクは、あくまで当麻のプライベートのためだった。



中身を征士は覘いた事が無い。
お互いにいい大人なのだし、個人の領域というものは幾ら親しくなろうとも侵害する気は無い。
そんな事をしなくたって充分に分かり合えているし信頼だってしているからだ。

因みにそのハードディスクに結局何を入れているかも聞いたことも無い。

ハードディスクを繋いでせっせと何かを保存している姿に、軽く嫉妬めいた感情を抱く事だって時にはあるけれど、
だからといってどこか嬉しそうな彼を見るとそんな感情は馬鹿らしくなってしまう。

征士にとって、当麻が嬉しそうにしているのはやはり何よりも嬉しくなってしまうのだから。



その当麻が嬉しそうに保存していっているソレ。

征士には何となくの見当は付いていた。


好き勝手して生きているとあまり好意的とは言いがたい表現を使ってはいるが、彼なりに愛している親から連絡があった時だとか。
遼が撮った鮮やかなまでの生命力を感じさせる写真のデータを送って来てくれた時だとか。
伸からのさり気ない気遣いのある優しい便りが届いた時だとか。
秀とその家族の近況を知らせてくれる手紙がポストに入っていた時だとか。
今はもうフランスに行ってしまったナスティからの季節ごとのメールだとか。
弟のように可愛がっていた純からの学校での出来事を綴った他愛のない話だとか。

そういった物をデータであればそのまま、紙や物の場合はスキャナやデジカメで撮って取り込んで、
この時ばかりは面倒臭がりの彼が甲斐甲斐しくハードディスクを繋いで保存していっているのだ。

ある時には昔のアルバムを引っ張り出して写真の1枚1枚を丁寧にデータ化して保存しているのを見かけたこともある。



つまり、当麻にとっての”全て”がそこに詰まっていた。


人並み以上の頭脳と、人並み以上に整った容貌のせいで周囲と差をつけられ同等に扱われる事が無かった彼の、
ごくごく平凡で、人からすれば大した事の無いその日々の積み重ねは何よりも大事なもので。


人が望んでも得られない物を持って生まれた彼は、有事の際には自分の培った知識や仕事に必要なものではなく
その大事な人たちとの些細でささやかな思い出を持って逃げる、と暗に言うのだ。

譬えその身一つで放り出されても生きていけるであろう当麻が、それでも生きていく糧として必要なのは、そういう”もの”。






そう思い当たってしまったので、征士は渋い顔をやめた。
そして小言の代わりにいつも当麻にだけ向けている優しい顔で、だからこそハッキリと告げてやるのだ。


「では私はお前を抱えて逃げよう」


と。
ソレを聞いた当麻が思いっきり顔を顰めたあとで真っ赤になり、アホだーと言い出したら
後は二人で笑い転げるだけだ。




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実際征士は逃げる時はちゃんと事前に全部詰めた非常袋を背負って当麻を抱えて逃げると思います。