No puedo entender



高い天井。キュートでポップだけれど温かみのある壁紙。そしてピカピカに磨き上げられたシンク。
床から天井に届くガラスで外と仕切られたそこを通り過ぎ様に覗く者は、先ずその部屋独特の雰囲気に引かれ、
そして次にその部屋の中にある、異常ではないだろうけど異質な存在に気付いて目を奪われる。

講師が1人と3人のアシスタントが前に立つ部屋は、外から丸見えのキッチンスタジオ、料理教室だった。
今日の受講内容はホワイトチョコでコーティングされたケーキ。
月会費を払っての定期受講は勿論、参加費を払って1回限りの受講も可能な教室だ。
ただその席には限りがあり、なかなかに人気のあるこの教室は申し込めば誰でも参加できるというものではなかった。

3月の第二土曜日。
周囲からの視線を受けつつ、伸は軽く溜息を吐いた。


「…………………」


ちら、と上げた視界の端で数人の女性がこちらをコッソリと盗み見ているのが解る。
もう一度、そっと溜息。
そして今度はその視線を自分の左隣へと注いだ。


「……………」


熱心に講師の挨拶を聴いている男は元々背が高くてただでさえ目立つというのに、生来の姿勢の良さが手伝って明らかに周囲から浮いている。
今度こそ伸の溜息は、盛大に吐き出された。


次の土曜日は空いているか。
ある日の仕事の休憩時間に突然、電話をかけてきた相手は挨拶もそこそこにそう言った。
そして伸は「空いてるよ」と軽く返した。

どうしてそう返したんだ、僕は…

溜息は幾らでも出るが、それが何かの解決に繋がる事がないのは解っていても、それでも。


もう一度隣を見る。
電話をかけてきた相手、征士は、講師のただの冗談や場を和ませるためだけの他愛のない話に真剣に聞き入り、時に頷いたりするから、
それがまた余計に目立ってしまっていた。

征士は随分と見目のいい男だ。それだけでも人目を集めてしまう。
伸だって、征士とは種類が全く違うが、やはりいい男だ。
そんなモノが2人、気を遣って言えば圧倒的に女性が多い、遠慮なく言えば彼ら以外は女性しかいない教室に居たりしたら、
それだけで内外問わず注視される。
のに、征士は大真面目な顔でいつまでも続く講師の話を聞いている。
しかもよく見ればメモまで取っている。
季節に絡めたちょっとしたオモシロ話をメモして、彼は一体どこでそれを活用するつもりなのか全く解らないが、本人、大真面目なので
伸は特に何かを言う事をすっかり放棄していた。
それは何もこの場に限ったことではない。
昔から、そう、それこそ少年だった頃からずっとそうだ。
嘗ての仲間はそれぞれに個性が強かったが、その中でもかなりの変わり者ぶりを発揮していた征士は、時々こちらの理解の範疇を飛び越えていく。
それは常ではない。ちゃんと理解できる事だって沢山ある。
けれど、こちらの理解を超えるときは物凄い勢いでぶっ飛んでいくのだ。
だから伸は征士に対して世間で言う”ツッコミ”は放棄する事にしていた。

ふと視線を落とした先に、今日の材料が並んでいる。
卵に砂糖、薄力粉。
溶かしバターにココア、それから生クリームとホワイトチョコレート。
そして最後に飾りとして乗せるためのミントの葉。

お菓子作りが好きなのはどちらかと言うと伸の方で、料理はするにしても征士にその趣味はない。
ましてや甘いものは得意ではない方だ。
なのにその彼が、態々仕事が休みの日に、態々、これも得意ではない女性だらけの場に(伸を巻き込んで)踏み込んだのには理由があった。

そして、伸にはその理由が解っていた。本人にとっては、とても悲しい事に。





あれは伸が東京の大学に進学する事が決まった年の春だ。その祝いと、引越し手伝いを兼ねて仲間が集まった。
伸の借りた部屋はワンルームで、幾らみんなの仲が良くてどれだけ頑張ってくっついて寝ても、流石に男5人で寝るのは些か苦しい。
だから夜には柳生邸に移動し、そこで姉代わりだった女性の手料理を食べながら話していた時だ。


「ねぇ、僕はもう受験は終わったけど、みんなは進路、どうするの?」


仲間の中で唯一学年が違った伸がそう尋ねると、まず遼が顔をあげた。


「俺、父さんについて写真の勉強をするんだ」


プロの写真家である父に、息子としてではなく弟子として教わるのだという遼はどこか誇らしげだった。


「俺ぁうちの店に入るぜ。いずれは継ぐんだから、気合入れてっかねーとな」


既にバイトとして店で修行を始めている秀は、口にエビフライを入れたまま得意げに話した。
それをナスティが微笑ましそうに眺めている。
彼ら2人の進路は何となくそうなるだろうと解っていた伸も頷いた。


「私は上京して、進学する」


続いた征士の言葉に、そうだろうなと伸は思っていた。
伊達の家はご立派な家柄で、征士はそこの後取り息子だ。
大学進学は想像が出来ていた伸は、それにも頷いた。
さぁ、問題は後1人。
当麻を見ると、目も合わせず、料理をパクパクと食べながら言った。


「俺も征士と一緒」

「…っえ」


思わず伸が声に出した。。


「……なに、俺が上京しちゃ悪いのか」

「そうじゃない、そうじゃないんだよ、ただ………物凄く、…意外って言うか…」


当麻が大学に進むことまでは想像できていたが、てっきり彼は国外に出て行ってしまうと思っていた。
人が正常を保てる範囲ギリギリの数値をたたき出す知能指数を抱えた彼は、実際に頭の回転が早く、好奇心も知識欲も旺盛だ。
その彼が留学もせずに3年間きっちり日本の高校に通っていた事もどこか不思議だったが、まさか大学まで国内を選ぶとは思っていなかった伸は
つい声に出して驚いてしまった。
決して当麻に海外に出て行って欲しいわけではない。寧ろ、実際に行ってしまうととても寂しい。
けれど彼が、まさか国内に残ってくれるだなんて思いもしなかったから、つい。

伸に悪気は無かったが気を悪くしたかとそろりと様子を伺うと、何故か当麻の耳が赤い事に気付いた。
先程の発言に対して怒っているのではない。
これはどちらかというと、照れているようだ。何故かは知らないが。


「……………とうま?」


何照れてんのと言うように伸が呼びかけると、征士が突然箸を置いた。


「………え、何…?」


征士が姿勢を正している。
急に何だと思っていると、今度は食卓に着く仲間を見渡して、征士は「聞いてほしい事がある」と改まった。

聞いてほしいこと。何だろうか。
当麻を見ていた伸の視線が、その隣にいる征士に向けられる。
すると征士の袖を当麻が引っ張ったらしい。
左肘を引く当麻の手を宥めるように触れた征士は、一度頷いて一度目を閉じて、そして再び紫の目を開いて。


「私と当麻は現在、恋人関係にある」


凛とした声でそう告げた。

食卓は……………水を打ったように静まり返ってしまった。

恋人、と征士は言った。
それも、相手は当麻だと。


「え、いつから?」

「先日の…3月14日からだ」


目を輝かせて聞いたのは遼だ。
それに征士が真摯な態度で答える。


「えー、んじゃぁ何、お前ら、遠距離恋愛中ってワケか?」

「そうだ」


秀が暢気に聞くと、征士がこちらにも丁寧に答える。


「あら、じゃあ若しかして大学に行ったら一緒に暮らす計画でも立ててるのかしら?」

「実はそうだ」


ナスティが微笑ましい表情のまま聞くと、そこで漸く照れたように笑って征士は答えた。

その間中、当麻は顔を真っ赤にして俯いたままだ。
それも、征士の服の引っ張ったままで。

うわーそっかぁ全然知らなかったなぁ。あっでもよぉお前ら仲良かったもんな。そう言えばいつも一緒に居たものね。

なんて仲間はわいわいと盛り上がっているが、伸はそれどころではない。
頭が真っ白だ。
征士と当麻が恋人になって、それで来年の春には同棲しようと計画を立てていて、それでえっと何だ。


「…え、…ええ、…ね、ちょっと、ねぇ、ちょっと待って…!」

「なぁに?」

「どうしたんだよ、伸」

「いや、いやいや、…っえ、せ、征士、当麻と付き合ってるの?」

「今そー言ったじゃんか」

「わ、解ってるよ、でもそうじゃなくって、えっと……えぇっと、」

「………あまり良しとできん意見があるのは、私たちも重々承知の上での関係だ」

「いや!征士、そうじゃない!僕は別にキミたちの関係に反対じゃないし、否定的な感情もないよ、でもえーっと、なんていうか…!」


そう、何て言えばイイのか、さっぱり解らない。

征士と当麻の事は祝福してやりたい。
潔癖症で仲間以外に対しては心を開ききれない征士と、天才故の孤独から他者との接し方が不器用な当麻の2人が、
認め受け入れあえる相手を見つけたのは、とても喜ばしいことだ。
それに仲間内での関係ならば、自分たちとは違う縁を外に持つこともなく、正直に言うとそういう面で寂しい思いをしなくても済む。

だがしかし、何というか、急すぎると言うか、常識人を自負する伸としてはちょっとどう言えばいいのか。
例えば明日には恐竜が街を闊歩しているだとか、ゾンビがコンビニでバイトをしているだとか、宇宙人が先祖よと母から告げられるようなというか、
えぇと、つまり。


「何でみんな、そう普通に、もうフッツーにイキナリ受け入れてるの!!?もっと驚こうよ!!!」


そう、つまりはそうだ。
仲は良かったけどそんな素振りは無かったではないか。
その2人が突然恋人同士、それもつい先日だ、しかもそれは自分の誕生日だ、その日に恋人同士になったと言うのだ。
なのにどうして誰一人驚くというリアクションを返さないのか、伸には全く理解できなかった。
それに対して姉も含めて仲間が全員、「え?」と言いたげに首を傾げるものだから、尚更。




あの日からもう何年も経った。
キッカケは征士がバレンタインに贈ったチョコレートだったと後で教えてもらった。
それ以降、征士は毎年当麻にチョコレートを、バレンタインに贈っている。
そして何故か、ホワイトデーにも。(こちらは勿論当麻も返しているそうだが)


「……ねぇ、征士」


ふるいに入れたココアパウダーと薄力粉を混ぜ終えた伸は、そこに溶かしバターを加えながら同じ作業をしている征士に話し掛けた。


「何だ」

「…………………来週、…僕の誕生日があるね」


伸は敢えて、ホワイトデーとは言わなかった。
それは征士も解っていたようで、そうだな、という声が返ってくる。


「このケーキ、若しかしてその日、あの子にあげる用?」

「そうだ」


チョコレートたっぷりで、完成すれば18センチのホールが仕上がるわけだが、それの使い道を尋ねればそれにも簡潔な言葉が返ってくる。


「…………ねぇ」

「何だ」

「……キミさぁ、バレンタインにもチョコ渡してるのに、なんでまたあげるの?」


それも毎年毎年、ご丁寧に。
そう聞くと、征士がふっと笑うのが空気で解った。
同じテーブルで作業する女性が、たったそれだけの彼の仕草で頬を染めた。
恐るべし、美形。と伸は心の中でだけ呟く。


「私がしてやりたいと思ったことでアレが喜んでくれるのなら、当然やるに決まっているだろう」

「あ、そー」


聞くんじゃなかった、と思う。
オーブンの設定温度は160℃から170℃。
これで25分かけて焼き上げる。
その間にホワイトチョコを湯煎にかけた。

甘い匂いが部屋中に立ち込めてくる。
普段からお菓子を作る伸からすればそれは慣れた匂いだが、甘いものが得意ではない征士は少し眉間に皺を寄せていた。


「そんなに苦手なら無理して作らなくたって良かったんじゃないの?キミ、いつもどこかで買ってなかったっけ?」


3月14日が近付くと毎年、征士は伸に美味しいケーキの店を教えて欲しいと連絡を寄越していた。
なのに今年に限って手作りとは。
その疑問を直球でぶつけると、征士は湯煎したホワイトチョコに卵黄、粉砂糖、水を加えて慎重に混ぜ合わせながら首を緩く横に振った。


「いいや、今年だけはそうもいかん」

「……なん、」


何で。と言いかけて伸は言葉をすぐに飲み込んだ。
こういう時に聞き返してロクな目に遭ったことが無い。今までの経験と勘がそれを伝えている。
だから伸は聞く代わりに視線をくるりと天井に向けて考えてみた。

甘い匂いだけで顔を顰めるくせに、女性ばかりの場所は苦手なくせに、折角恋人の当麻と一緒に過ごせる休日なのに、今年だけは態々
料理教室に参加申し込みまでして(それも人を巻き込んで)、手作りに拘った理由。


「……………………………あ…」


そう言えば次の誕生日で自分が28歳になる事に伸は気付いた。
それはつまり。


10周年か……


硬派に見えて意外とロマンチストだった仲間のどうしようもなく甘い思惑に気付いて、伸は溜息をまた吐く。


「………ところで征士、僕はこのケーキをどうしたらいいんだろうね?」


オーブンのパネルに表示された残り時間を横目で見ながら、伸はぼやくように呟いた。




**END**

2012.02.01-2012.03.14まで期間限定でオープンしていた企画参加時に書かせて頂いたお話。

自分の出したお題『理解できない』で、あれから10年後の彼ら。
理解できない征士の思考と、理解できない方が気疲れも少なかったであろう征士の思考についての伸兄ちゃん。
見事なバカップルに成長しました、次兄と末弟。

征士と当麻は家で、あーん、ってしながら食べます。
伸の分は切り分けて秀とナスティ、日本に居れば遼にもお裾分けするんだと思います。