バスタイム・テレビジョン
「それで、何と言っていた?」
家に帰りついた征士がネクタイを緩めながら当麻に尋ねると、テーブルの上にあった幾つかのカタログのうちの1つを手に取って
渡された。
「修理は出来るけど、経年劣化も考えると買い換えるのも1つの手だってさ」
「そうか。…では今夜は?」
「自動で湯はりが出来ないだけだから、風呂は普通に入れる」
「なら結論は急がんでもいいわけか」
征士と当麻がマンションで暮らし始めて早7年。
購入当時は新築だった建物も、同じく築7年になっている。
そうなると当然、中に入っている設備も同じく、だ。
そんな折、給湯器の調子が悪くなった。
先で当麻が述べたとおり、湯はりが出来なくなっただけだが、故障は故障だ。
今朝来てもらった修理業者は、念のためにとパンフレットと簡単な見積もりを幾つか残していった。
昔の機械はどれも機能がシンプルなため中の回路も単純なのだが、最近のものは何でもアレコレと多機能だ。
それはとても便利ではあるが内部は非常に繊細で、脆弱性は否めない。
それが解っているから当麻は買い替えを言い出した業者に対して眉を吊り上げる事は無かったし、それならついでにと
見積もりも同時に頼んでいた。
金額は機能によって差があり、工事費を含むと一番安い物と一番高い物で10万円ほどの違いが出ている。
働き盛りの男の2人暮らしだから金銭的な余裕はあるので、買い換えるとすれば後は機能に対する好みのみだ。
「お前はどれがいい?」
機械に対する知識が当麻ほど深くはない征士だが、当麻が見積もりを依頼している時点で業者の押し売りではないという事だけは
解って、渡されたパンフレットを捲りながら聞く。
当麻は右に首を傾けて少し悩むフリをすると、2番目に安い物を指差した。
「これがいいのか?」
こういった物の値段は、その性能の高さに伴って金額が上がっていく。
それを考えると当麻が選んだものは、あまり高性能とは呼べないものになってくる。
「うん」
「また……どうして」
幾ら高性能でも使用する側が使いこなせないのであれば、それは宝の持ち腐れだ。
これは何でもそうだ。これから伸びていくであろうパソコンでも携帯でも、そうなのだ。
だが当麻は自身の知能指数の高さも然る事ながら、好奇心も並大抵ではない。
電化製品からオモチャまで、じっくりと向き合ってしっかりと使いこなせる。
なのに、その彼が選んだのが思った商品とは違っていたのを不思議に思って征士が聞くと、当麻は首を傾げたまま頬を掻いた。
「だってこれからもっといい機種が出てくるし」
「だがそれまでは今回選んだものを使っていく事になるんだぞ?」
「それだって今使ってる給湯器よりはプラスの機種なんだ。それにこっちなら配管や配線の工事が少ない」
立ったままの征士に向かいの椅子を勧めながら当麻の説明が始まった。
「だけどこっちにすると、大掛かりな工事が必要になる。でも今回工事して、次に壊れてまた買い替えってなった時にもう1回工事を入れるより、
その時に初めて全部まとめた方が費用としても拘束される時間にしても楽なんだよな」
「なるほどな。…しかし本当にもっといい機種が出てくるのか?」
知識が多方面なら、付き合いも多方面な当麻だ。
持っている情報も多い事は解っているが、征士は敢えて尋ねた。
「出るよ。今の流れだと、ちょうど新しいのに替えて、それが傷んでくるくらいじゃないかな?」
だから今はこれで充分なの。
その言葉を聞いて征士も納得して頷いた。
当麻の意見に文句があるわけではないが、自分だってこの家の住人なのだ。
気持ちの上でも”相談した”という実績が何となく欲しかった。
でなければ共に暮らしている意味が無い。
それは当麻も充分心得てくれていて、だからこそ征士の質問に嫌な顔一つせずに答えてくれた。
そのことも解るから、征士は更に嬉しくなるのだ。
さぁ、ではもうカタログに用は無いな。
そう思った征士が、テーブルの上に散らばったカタログを纏めると、ふと気になる文字が目に入ってきた。
「…………浴室テレビ?」
リビングにあるような、普通サイズのものだ。
ただ浴室に入れるものだからブラウン管のような厚みは無く、プラズマテレビや液晶型のような薄さしかない。
「あー、そうそう。そこの修理業者、リフォーム業者とも提携してるみたいで、良かったらこういうのも…って置いてったんだよ」
「風呂でテレビを見ろと?」
「そ」
その冊子を手にした征士はつい眉を顰めてしまった。
というのも、征士は元々”ながら”での動作が好きではない。
ご飯を食べながら本を読む、ラジオを聞きながら勉強をする、までは兎も角、ジョギングの際のミュージックプレイヤーも実は好きではない。
これは元々1つの物事に集中するべきだという考えが彼にはあり、そして実際、集中した方が効率もいいという経験からくるものだ。
「まぁアレだな、ちょっとでも時間が惜しい現代人にはイイ商品なんじゃないの?」
「そこまでして観たい番組があるなら、それまでに風呂を済ませればいいだろう。無理だったとしても録画すればいいだけの話だ」
「だからさ、”明日のみんなの話題”に付いてっく為にも、テレビは欠かせないんだろ」
「ニュースくらい、新聞でも読めるではないか」
「そうじゃなくて、ドラマとかバラエティだよ」
古風で真面目過ぎる征士は、どこか考えも硬い。
それを当麻が苦笑と共に指摘すると、さっきまで顰められていた征士の眉は、今度は眉尻のほうから下がっていく。
「井戸端会議の話題について行くためだけに、自分の好みでもないものを観るのか」
「そこまできっちり考えんなって。食わず嫌いしてただけの番組だって、人にあわせて観たら面白かったって場合もあるんだろうからさ」
「……人に合わせることが滅多に無いお前に言われると、これほど違和感のある説得も無いな」
「失礼な!」
テーブルの下で征士の臑を蹴ると、短い呻き声が返って来た。
「………少しは手加減をしろ」
「した」
「…………。……しかしテレビか…」
「…?なに、興味持っちゃった?」
可愛げのない事を言う愛しいタレ目に苦笑した征士は、改めてパンフレットに目を落とす。
詳しく読んでいないのでどういったものかは解らないが、写真の中のモデルは浴槽に入ったままテレビを観ていた。
「これは放送されているものしか観れんのだろうか…」
「どういう事だ?」
「通常放送されているものだけで、例えばデッキに接続して録画したものを観る事は出来んものなのかと思ってな」
「録画?何のために」
さっき、見たいテレビがあればそれまでに風呂を済ませろだの、録画して観ればいいと言っていた男の突然の発言に
当麻は訝しい目を向ける。
彼のいう事をそのまま今の彼に当て嵌めるのなら、テレビが観たければ風呂を済ませ、録画したものが観たければ後で、
すぐが無理なら休みの日にでも観ればいいだけの話しのはずだ。
それを急にどうしたのだろうか。何か急ぐもの、或いは隠れて観たいものでもあるのだろうか。
例えば、こっそりとレンタルショップで借りてきたAVだとか…
同棲する2人の入浴は基本的に、それぞれで入っている。
偶には一緒に入ってナニヤライチャイチャ楽しむこともあるが、大抵は1人ずつだ。
そして征士はAVや、所謂エロ本といった物に対する興味が同世代の男に比べると極端に薄い。ゼロと言っても過言ではない程だ。
そもそも彼は女性に対して苦手意識が強く、では男の方が好きなのかと聞かれるとそれだってご免被るというのが伊達征士のはずだ。
付き合っている相手は男だがそれは性別云々ではなく、羽柴当麻だから、というシンプルで一番大切な理由を持っているのが、彼のはずだ。
その彼が、風呂という閉鎖空間でこっそりと見たい録画映像。
当麻としても、気になってしまう。
傍から見れば征士のほうが愛情過多かも知れないが、照れ屋なだけで当麻だって同じくらい征士のことは愛している。
AVを見たくらいで浮気だと攻め立てるつもりはない(そこは同じ男だ。気持ちは解らないでもない)が、隠されているという事が
どうも引っ掛かってしまう。
それをあからさまに態度に出すのは何だか業腹だが、気にはなるのでさらっと聞いてみた。
するとどうだろう、一瞬ではあるが、征士が答えるのを躊躇う素振りを見せるではないか。
これは一体どういう事だ。
当麻は眉間に皺を寄せた。
「征士?」
「いや、…………………その、…例えばの話だが」
「なに」
「風呂場にカメラを設置するだろう」
「……………………カメラ」
今はテレビの話をしていたはずだが、何故かカメラを設置すると征士は言う。
実際にやってみても湯気で曇るのがオチだろうが、兎に角、設置するという仮定を立てられた。
「……うん、まぁ、いいや。…カメラ設置ね、はいはい」
「それで撮った映像をな、こう、…テレビに繋ぐことは出来るのかと」
「何で」
意味が解らない。
何がしたいのかも解らない。
当麻は間髪入れずに征士に重ねて尋ねた。
すると征士は何故か少し照れたように、はにかみながら、だが眼差しだけは真剣になって向かいに座る当麻を見つめ返してきた。
「お前の入浴を撮っておけば、お前が長期不在にしても寂しい事はないなと思って」
つまり、海外に急に当麻が飛び出してしまっても、入浴する映像の当麻と共に自分も入浴が出来るな、という事。らしい。
「…………っはーぁ!?」
言った方は嬉し恥ずかし恋人との”夢の競演”だが、言われた方はどうリアクションすればいいのか悩んでしまう。
このムッツリスケベ!と言うのが今のところの一番正しい選択かもしれないが、その言葉を当麻が叫べなかったのは、
恥ずかしさで瞬間的に頭が混乱したことと、ストレートな欲を見せる征士に驚きが隠せないこと、
そして何よりそこまで想われている事に素直に嬉しいと思ってしまったせいだった。
しかもその嬉しいという気持ちが全体の80%を超えていて、だがそれを素直に喜ぶのが恥ずかしくて、「はーぁ!?」としか言えなかった。
のは、内緒だ。とりあえず。
きっとバレてるだろうけど。
「録画したものは見られないんだな…」
浴槽に背を預けて、征士は残念そうに呟いた。
「見なくていいよ、アホタレ!」
その征士の胸に背中をくっつけて凭れている当麻が、背後にある征士の耳を引っ張る。
「当麻、痛い」
「知るか!」
更にぐいぐいと引っ張ると、抗議のつもりか何なのか、征士が当麻の腰を擽った。
「っこら!や、……んっ!や、メロ!」
それも自分の耳から手が離れると、すぐにやめてくれる。
そしてそのまま腰を抱き寄せた。
肩口に征士の頭の重みを感じて、当麻はその髪を撫でる。
「まぁいいじゃん。たまにこうして一緒に入ってるんだし」
「それでもお前が居ないと寂しい事に変わりはない」
世間で言う完璧な大人の男は、すっかり恋人に甘えている。
それが何だか可笑しくて当麻はこっそり笑った。
「風呂に限らなくたっていいだろ」
「…………?」
「パソコンのさ、webカメラあるだろ。アレで話せば顔、見れるし」
「…………………それはそうだが…」
「何なら今度、モニター越しにテレフォンセックスでもしてみるか?」
遠く離れた土地で、時差を超えて電波で繋がって。
そう提案すると征士が笑ったのか、濡れた肌に息がかかった。
そして。
「……お前、想像しただけで勃ったのか」
抱き寄せられた腰に触れる、知った感触に当麻は呆れた声を出すが、その表情は満更でもない。
それくらい、すぐに解ってしまう征士は口先だけで謝ると、腰を抱く腕に更に力を込めた。
「そうだなぁ………ここで、する?」
「後処理は楽だが、お前を存分に抱くには少々不便だな」
「お前、ちょっとは表現を選べよ」
当麻が肩に乗ったままの征士の頭を叩くと、征士はそのまま今度は声を立てて笑い、当麻の股間に手を伸ばす。
「お前ねぇ、……ぁ、…」
「ここで少し楽しんでから、ベッドに行こう」
耳元で囁かれた言葉に、当麻はもう否定的な言葉は口にしなかった。
かわりに、今度は征士に甘えるように顔を寄せる。
征士が触りやすいように脚を開くと、身体の位置を少しずらした征士から口付けてくれた。
その優しい感触を受け入れながら、今度海外へ行く時までにパソコンとwebカメラを浴室に持ち込む方法を
探しておこうと考えるのだった。
*****
2012.08.06-2012.08.31までオープンしていた企画に参加したお話。
男2人でイチャイチャと。
年齢にして31歳頃の設定です。少し時代が古い。
入浴にまつわる、というか浴室にまつわる感じになってしまいましたが。