オメデトウの日の風景2



30代最後の誕生日は土曜日。
10年前に集まった仲間たちは、今年それぞれの事情で集まることが出来ない。

当時はまだ駆け出しのカメラマンだった遼は世界を転々としながら色んな物を撮り、資金が手薄になってくると現地で何かしらの
仕事を見つけては補給する毎日を送っていた。
中々に厳しく思える環境だったが当事者に言わせると、それでも他のカメラマンよりは随分と恵まれていたらしい。
彼の父親は著名なカメラマンで、その伝手もあって幾つかの仕事を分けてもらえていたし、現地での仕事も融通を利かしてもらいやすかった。
だからと言ってその環境に胡坐をかくことなく、持ち前の素直さで雄大な自然やそこに生きる命に向き合って写真を取り続けてきた結果、
今では遼は、名は知らずともその写真ならば見たことがあると言われるくらいの写真家になっていた。

10年前も人気料理店の厨房の要として腕を奮っていた秀は、今では店そのものを任されている。
雑誌やテレビで紹介されるほどの店だから訪れるのは観光客は勿論だったが、店には地元の人間が常連客としても気軽に訪れることができる雰囲気も漂っている。
特別な感覚を味わわせつつ、どこか家にいるように落ち着くことが出来る店内。そして一度食べたら虜になってしまうほどの料理。
誰もが認めるその素敵な空間は、偏に秀という人間のなせる業だ。
だからと言って驕ることなく、常に周囲のスタッフとの協力があるからだと心から常に思っている彼を慕う者は多い。
今や料理人としてだけではなく、人との繋がりを示す特集などでも彼がメディアに姿を見せる事も増えてきた。

大学進学を機に上京していた伸は一流商社勤務という身での忙しい時間を縫って、今も山口の実家へはマメに連絡を入れているらしい。
そして、同じように嘗ての仲間全員にも。
そのお陰で彼らは互いが直接会う事は出来ずとも、常に細かい近況を知る事が出来る。
それこそ電話や手紙では見えない部分でさえも。
例えば一時期陽に焼けて真っ黒になった遼が見違えるほどワイルドになっていたとか、秀のお腹が最近出てきてつまみ食いを考え直し始めたとか、
征士と当麻は相変わらず下らない事でムキになったりして仲睦まじいだとか。



陽が傾いてきたので、征士は薄いカーテンを引いた。
誕生日の今日、真っ先におめでとうの言葉をくれたのは隣で眠っていた恋人だ。
一番に聞く祝いの言葉が愛しい人からのものだった事に幸せを噛み締めていると、触れるだけのキスも贈られる。
「39歳、最初のキスな」と言って悪戯っぽく笑う恋人の体には、夕べ自分がつけた執着の跡が幾つもあった。
それにまた征士は幸せを感じる。


「20代最後の誕生日は、騒がしかったものなのにな」


ふと思い出して言うと、後ろで雑誌を捲っていた当麻が笑った。


「騒がしかったなー。秀のヤツ、日曜も店だって言ってたくせに結局アイツが一番酒飲んで騒いでたもんなぁ」

「寝たら寝たで大鼾までかいていたな、そう言えば」

「そうそう。俺らの部屋まで聞こえてたよな。それで伸が眠れないって言って、折角客室に布団強いてやったのにソファで寝てたんだ」

「しかし遼は布団でぐっすり眠っていなかったか?」

「あ、それはアレだって言ってた。タイに行ったときだったか、ホテルの壁が薄くて道端の喧騒が筒抜けだったのよりは、うんとマシだったからかな?って」


どこか暢気でズレている大将を思い出して、2人して笑う。


「そうだったか」

「うん」


39歳の誕生日。
何度も繰り返してきたその日を迎える胸の高鳴りは、幼い頃に比べると随分と落ち着いたものになってきていた。
特に当麻と暮らしてからのここ数年は、プレゼントはサプライズではなくて一緒に買いに行くようになってきているし、
料理だって少し手の込んだものを作る程度でどこかへ食べに出る事も減った。
外での食事は充分美味しいし後片付けの手間もないのだが、同性同士の恋人は外では仲のいい友人として振舞わねばならない。
幾らわくわくした気持ちが落ち着いてきたとはいえ、年に一度の特別な日だ。
それを理由に身を寄せ合って甘えあいたい日でもあるのだから、それならば思う存分くっついていられる自宅の方が快適だとして、
殆どの時を自宅でささやかに祝うことが増えてきていた。


「……みんな集まれないの、寂しいか?」


窓辺に立ったままだった征士が振り返ると、雑誌を閉じた当麻が頬杖をついていた。

お互い、もういい歳だ。それぞれの生活がある。
それに年に数回は集まれるのだから、何ももう何年も会っていないというわけではない。
ただその会える日が、誰かの誕生日という特別な日でなくなっているだけで。


「当麻、背骨が歪むから頬杖はやめないか」


ただ、寂しいかと言われると確かにそういう気持ちもある。
だが言ってもどうしようもないことだし、その気持ちが全ての感情を覆っているわけではない。
答えに困った征士は、当麻の日頃の姿勢の事をつついた。

10年前の日は、みんなで集まった。
本来なら主役の日なのに結局キッチンに立たされたし、騒ぎすぎて翌日の誕生日本番は疲労感が酷かったし、みんなが帰った後の掃除が大変だった。
思い出せばあの時、手伝いをしたのに当麻からのキスは一瞬触れるだけの、本当に短いものだったのも悔しい。
それほど昔でもないのに思い出すととても懐かしくて、とても幸せな記憶だ。
では今がそうではないのかと言うと、勿論そうではない。
長年付き合っている恋人の当麻と2人きりで祝うのだ。
充分に幸せで、何物にも替え難い喜びだ。
ただ時々思うことだが、今の自分たちは2人だが、5人の中の2人だという風に感じるときがある。
それはどういう時にと決まったものではない。
ふいに思う。
それが、たまたま今だっただけだ。

何となく気持ちの置き場を見失って、征士は当麻の横を素通りしてキッチンへと向かう。
今日の食事は、昨日のうちに当麻と2人仲良くキッチンに立って下準備をしていたものだ。
2人で並んで料理をして、合間にキスをして、少しだけ色っぽいこともして。

5人でいないことが、寂しい。
けれど恋人と2人きりで迎える誕生日が、嬉しい。

不思議な気持ちだなと思いながら、征士は用もないのに冷蔵庫を開けた。


「…………………………おい、当麻」


そこで思わず硬い声が出た。
それに対して当麻が「んー?」と間延びした返事を寄越した。


「これは、…何だ」

「これって?」

「この白い箱だ」


征士の目の前にあるのは、冷蔵庫の中の一番下の段にある、収納スペースに置かれた白い箱だ。


「白い…………。あぁ、それ、ケーキだよ」

「いや、それは何となく予想できている」


誕生日の日に冷蔵庫に見慣れない箱があれば、それは大体ケーキだというのは征士にだって解る。
絶対に、誕生日ケーキだ、と。だがそういう問題ではない。
すぐ上の段のトレイがスライド式で、それを動かすことで背の高いものも収納できるそこにある箱は、大きさもさることながら高さもある。
中身の想像はつくのだが、あまりにも異様な大きさなので思わず尋ねた。


「………じゃあ何?」

「この大きさは何だと聞いている」


要領を得ない当麻に頭痛を覚えつつ、間髪いれずに追撃をかける。
流石に当麻も解ったのか、ああ、とやっぱり暢気な声を出した。


「奮発したんだよ。ほら、だって30代最後の誕生日だろ?」

「ふんぱ……っ」


当麻は嬉しそうに語ってくれたが、征士は絶句した。
確かに30代最後の誕生日だ。
20代最後の日はみんなで集まって騒ぐという”特別”があったと考えるのなら、それが出来ない今回の”特別”はコレなのだろう。
だが冷静に考えなくたって今年は2人きりで祝う誕生日だ。
幾ら当麻が10代の少年の頃から衰えず大食漢で甘いものが大好物だといっても、ものには限度がある。
滅多とお目にかかれないサイズのこのケーキを2人で消費するのは幾らなんでも無理だ。
それを”奮発”という言葉で片付けようという恋人は天才過ぎて馬鹿なのか、天才の分野以外は全て馬鹿なのか解らない。

白という控えめな色ながら圧倒的な存在感を見せ付ける大きな箱に眩暈を覚えていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。


「あ、誰か来た」


当麻がどこか嬉しそうに言う。
だが立ち上がってモニターを確認する様子がない。


「征士、誰か来た」

「……………出てくれ、当麻」


キッチンにいる征士よりダイニングチェアーにいる当麻の方が、インターホンのモニターには近い。
だからお前が出ろと告げたのだが、当麻はまた頬杖をついて動こうとしない。


「当麻、」

「征士が出てくれよ。俺、何かヤだ」

「……………………」


誕生日なのにか。と思ったが、ケーキのせいで色々な気力がごっそりと減った征士は言い返す気力も勿論なかったので、
のそのそとモニターへと向かう。
その日の主役だとしてもこき使われるというのは、10年前にも経験したことだ。
ならばこれは10年サイクルでくるものなのだろうと無理矢理に自分を納得させると同時に、では10年後はどんな形で振り回されるんだと
どこか冷静な頭が考えようとしたが、それを考えると落ち込みかねないので征士は頭の中の自分を黙らせた。

モニターに接続された方のインターホンが鳴るという事は同じマンション内の住人の訪問ではない。
オートロック解除の必要がある外部からだ。
この時間だから宅配だろうかと征士はうっすらと思った。

大体の人間が見やすいようにと位置設計されたモニターは、長身の征士には少し見え辛い。
僅かに身を屈めてそのモニターを覗く。


「…………………………………」


一瞬、目を疑った。
そして当麻を振り返る。
ついていた頬杖をやめた恋人は、自分の様子を見ていたらしい。
目が合うと垂れた眦を更に下げてニッコリと笑った。


「誰が来た?」

「誰ってお前………、…」


驚きのあまり声は出ず、ただでさえ普段活躍しない表情筋がどう動くべきか迷ってしまって変な顔になっている征士の背後から音声が聞こえてくる。


『……え、若しかして留守?』

『マジかよ!?んだよ、当麻のヤツ人を集めたの忘れてデートかっつーんだ!』

『そんな事ないと思うよ。部屋の中みたいな音、聞こえるでしょ?』

『………………ホントだ。おーい、とうまー、せいじー、聞いてるかー?』


日に焼けて真っ黒になった遼と、昔より丸くなって更に愛嬌が増した顔の秀と、仲間内では一番よく会う伸がモニター越しに騒いでいるのが見える。
いい大人が寄って集ってモニターを覗き込もうと顔を寄せ合っている様は微笑ましいやら、滑稽やら。


「何してんだよ、征士。さっさと開けてやらないとアイツら、もっと騒ぎ出すぜ?」


30代最後の誕生日。
2人きりで祝うのも捨て難いけれど。


『おーい!お誕生日様ー!いねーのかぁー!?』

「今開ける…!近所迷惑だから騒ぐな!」


年甲斐もなく浮かれる気持ちを必死に抑えながら、征士は鍵を解除した。




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2012.06.01-2012.06.30までオープンしていた企画に参加したお話。

伊達征士、39歳の誕生日。