夏の夜



俺と征士って確か付き合ってたよね?という疑問を言葉にはせず、だが視線は前を歩く広い背中に強く突き刺しながら、
当麻は黙ってその後ろをついて歩いた。
真っ暗な道は静かで、昼間、充分に熱せられたアスファルトは熱い。
今夜もきっと、気温が25度を下回る事はないだろう。


今年の春、高校を卒業した征士と当麻は大学進学を機にそれぞれ上京した。
お互いに借りたマンションはすぐ近くという程ではないが徒歩圏内だ。
気が向いたときに連絡をして、気が向いたときに会うという事を繰り返した3ヶ月目、征士の方から突然、切り出された。

ずっと好きだった。と。

その言葉の意味が判らない当麻ではない。
寧ろ気持ちは多少なりとも、いや、素直に認めるのなら充分にあった。
だから躊躇いながらも彼の気持ちに応えた。

だがその後すぐに大学は夏休みに入り、征士は早々に実家に帰っていった。
仙台から東京に向けての連絡は毎日ではなかったが、あった。
付き合いたてという事を考えると寂しい気もするが、 高校時代に付き合った何人かの彼女たちから頻繁に連絡を求められただけで
面倒になってしまっていた当麻には、征士のその距離感は有り難かった。
有難い事は有り難かった。

だが、あれ?と思う事もあった。

付き合っている。はずだ。
なのに電話をしてきても征士の態度は過去とものと何ら変った様子がない。
簡単に近況を話してそれだけで終わる短い電話。
時々他愛もない話で長引くが、それだって夜も更ければ電話は切られる。
規則正しくて四角四面な征士らしい、今の関係を考えると少し物足りない、長距離電話。


そんな生活も盆が明けると同時に終わった。征士が東京の一人暮らしの部屋に戻ってきたからだ。
じゃあこれから恋人同士(男同士だから大っぴらにはできないけど)っぽい毎日が始まるのかと思いきや、そうでもない。
連絡をして双方の家を行き来して、何気なく過ごして食事して、そして夜になれば帰宅する。
付き合う以前とまるで何も変わっていない。
征士の態度も、2人の関係性も。

これって”付き合ってる”意味ってあるのか?

日を追うごとに当麻がそう考える事は増えた。
今までの彼女達との関係でそんな事を考える必要はなかったのに。
何故なら彼女達は自分たちからアクションを起こし要求してきた。
そしてその頻度が気侭でいたい当麻のペースに合わず、最後は擦れ違いで終わるというのがこれまでのパターンだった。
一方的な表現をするなら、当麻が何かを思う前に彼女達は勝手に盛り上がり、勝手に憤慨、または呆れて勝手に関係を終わらせていた。

だが征士はそうではない。
相変わらずのペースで、相変わらずの態度で接してくる。
確かに征士の態度が急に変わったりしたらら怖い。
「とうまたん」なんて真顔で呼ばれたりしたら、当麻は迷わずあのお綺麗な顔目掛けて蹴りを出す自信がある。
しかしこれ程までに付き合う以前と以後での変化が見られないとなると、いっそそれでも良いから何か変更点が欲しくなってしまう。


そんな中、征士が突然「映画でも見に行かないか」と誘ってきた。
普段誘う時よりもずっと緊張した様子が見れたので、当麻は少しだけ楽しくなってすぐに「行く」と返事した。

なのに、征士の態度はやっぱり何も変わっていなかった。 歩く時の距離も会話も、何もかも。

男同士の恋人だ、人目を憚るのは解る。
解るが、少しくらい、と思ってしまう。
そうなると面白くない当麻の機嫌はゆっくりと下降し始めて、映画が終わる頃には立派な低空飛行を見せていた。

それでも征士の態度は変わらない。

何も映画館の暗がりの中で手を握ってくれなんて要求はしない。
観たのはアクション映画だ。肉弾戦有り銃撃戦有り、ビルの横につけたヘリからの一掃射撃有り、そして派手な爆発もあった。
そんな物を観て、「ぎゅ。」なんてなるのはマジョリティだ。
それくらいは当麻も解っているのだが、何と言うか、そう。

付き合っている意味が、ないように思えてしまう。



夕食のために入った店は普通の店だ。定食屋ではないが、ムードたっぷりという店でもない。(男2人でそういう店に入ると好奇の目に晒されそうだし…)
店内にいる客の男女比率は適当で、カップルというより同性同士での組み合わせが多く、付き合いたての2人でも気兼ねなく過ごすことが出来た。
そしてやっぱり、その店内でも征士は何も変わった様子はなかった。
映画に誘った時のあの緊張感はどこへ行ったんだと問い詰めてやりたいほどに。

こうなってくると愈々当麻の機嫌は自動的に回復できる限度を越え、苛立ちが募り始める。
つい、酒でも飲んでやろうかと考えるのだが、相手は真面目な征士だ。
その彼を前にして未成年飲酒は避けた方がいい。
ただでさえ苛々しているのに説教などされた日には、それこそ修復不可能なほどの喧嘩になりそうだ。
それも、理由が同性同士の色恋沙汰だなんて、まだ20年も生きていない身ではヘビー過ぎる。
それだけは避けたいので、当麻は渋々コーラを頼んで我慢する事にした。向かいの征士は烏龍茶を飲んでいた。


映画も観た。食事も終わった。
時計は夜9時を回った。
そして店を出た征士が「そろそろ帰るか」と呟いた。

これで今日の”デート”は終わりらしい。
デートと言っても付き合う前と何も変わっていないけど、きっとこれはデートだったのだと当麻は自分に言い聞かせた。
正直、惨めな気持ちにしかならないが、苛立ちが募り過ぎてトコトン自虐に走ろうと思ったので、もう今日は惨めなまま帰宅しようと
ネガティブな目標を立て、少し前を歩く征士について歩き始めた。





夜の道は人気がない。静かだ。

苛立っている当麻は何も喋らないし、元から口数の少ない征士も何も喋らないから、2人の足音以外には虫の声しか聞こえてこない。
田舎とも言えない町だから、その虫も疎らだ。
その中を2人、微妙な距離で歩き続ける。

前を歩く征士が右に曲がった。
当麻をマンションまで送ってくれるつもりのようだ。


今の関係に疑問を持っている当麻が自らアクションを起こさないのには理由があった。

この関係の始まりは、征士からだ。
それに対して済し崩しではなくて応えたのは当麻なのだから、双方気持ちのある関係だとしても、兎に角征士から始まったものだ。
「ずっと好きだった」と言ってくれた征士は、今まで誰とも付き合ったことがないと言う。
だったら征士の好きなように恋愛させてやりたいという気持ちが当麻にはあって、だから自分から動いてリードしよう気にはなれない。
というのと、本来なら自分の中で有耶無耶にして、自分自身にさえ隠したままにしておきたかった気持ちを掘り起こすような事を言ってくれた征士に対する、
一種の意地のような気持ちもあった。

だから、当麻としては先ず征士から何かをして欲しかった。
些細な事でいい。
部屋に居る時に以前より少しくっついて座るだとか、ほんのちょっとだけ甘えあうだとか、そういう事で良かった。
それなのに。


そんな事をぐじぐじと考えながら歩いていると、余計に苛立ちは増していく。
征士に対しても、そして今までの彼女達のそういった部分を面倒に思いながら、同じようにこうして女々しいことを考えている自分の身勝手さにも。


「着いたぞ」


俯きがちに歩いていると、征士がふいにそう言った。
顔をあげると確かに自分のマンションの前だ。


「………あぁ、そうね」


気分の盛り上がらない当麻は、どんよりとした声で答える。
征士の反応はない。
いつもと同じだ。

それがトドメになって完全に落ち込んだ当麻は、征士の顔もろくに見ずに「じゃあ」とだけ言ってエントランスに向かう。
気持ちはもうこの場ではなく、自室の冷蔵庫に向けられていた。
征士には内緒だが、部屋には缶ビールのストックがある。
晩酌の習慣があるわけではないが、昔からどこかヒネていた当麻は時々飲酒していた。
自棄酒をするのは人生初になるが、今日はもうそうしようと密かに決め、冷蔵庫に何本冷やしていたかを考え始める。

その腕を、急に掴まれた。


「…………。なに」


苛立ちと驚きで上手く頭が回らない当麻は、酷く低い声で聞いた。
腕を掴む力は変わらないままだ。


「…いや」


しかし掴んだままの征士から明瞭な理由が返って来ない。


「おれ、眠いんだけど」

「ああ」

「うん、じゃあ…おやすみ」


曖昧な返事にも苛々として当麻は言ったのだが、征士は理解を示しながらもやはり腕は離してくれない。
それに焦れて腕を僅かに揺すってみても、しっかりと掴んだままだ。


「……」

「なに。何か、」


機嫌が悪いって気付けよと心の中で悪態をつきながら振り返った当麻は征士と目が合って、言葉を飲んだ。


「…………………その、…」


さっきは何か用かと問おうとした当麻は、征士が今にも切り出そうとしている”何か”に気付くと、途端に顔色を変えた。

マズイ。
そう思って、さっきまでとは別の理由で腕を振り解こうとしたのだが、長年剣道を嗜んできた征士の握力は強く、そう簡単に離してはくれない。


「せい、」

「当麻」


兎に角この場から逃げ出したい当麻の呼びかけをかき消すように出た征士の声は、出した本人もその大きさに驚いたのか、
普段は落ち着きを見せる眼差しが驚きに見開かれている。
それが余計に当麻を焦らる。
しかし征士はすぐに直前の彼に戻り、愈々逃げ場がない事を悟った当麻はせめてと思って俯いてからきつく目を閉じた。

腕を掴んでいる征士の手が汗ばんでいるは、湿気を帯びた夏の夜のせいではない事だけは解っている。
観念した当麻が蚊の鳴くような声で「…何だよ」と言うと、唾を飲み込んだのか征士の喉仏が上下した。
俯いたままの当麻からは見えなかった。


「当麻、……こういう時、どう伝えればいいのか解らないのだが、…」



キスをさせて欲しい。


真摯な、訴え。
当麻が恐る恐る目を開け顔を上げると、自分を真っ直ぐに見つめる征士と目が合った。

いつもの直向な紫の瞳。
なのに、いつもより優しくて、初めて見た僅かな情欲。
それが怖くて再び目を閉じてしまった当麻の腕の戒めがさっきより緩くなった。


「……………その、…やはり気持ち悪いだろうか…男相手では」


これまで当麻に何人か彼女がいた事を征士は知っている。
男の自分では駄目かと問う彼の声には、いつもの堂々とした響きはない。

当麻は弱々しく首を横に振って答えた。
嫌ではない。寧ろ、したい。して欲しい。
けれどあまりにも突然の事に、上手く答えられない。


「…当麻?……いいのか?」


キスくらい、今まで何度もしてきたし、それ以上の事だってしてきた。
キスなんて気持ちよくて幸せな気分になって、ただそれだけの行為だ。
付き合っているのだから征士とだって、それくらい簡単に出来る。
筈なのに、妙に恥ずかしい。

そして、その程度のことで恥ずかしいと感じる自分が余計に恥ずかしくて、上手く言葉にして返事してやれない当麻は、
小さくとも精一杯縦に首を振ることで征士の問い掛けに答えた。



腕を掴んでいた手が離れ、肩を抱き寄せられてそのまま背中に回される。
剣を握っていた大きな手はいつもより熱く、そから彼の緊張がよりリアルに伝わってきて、つられて当麻も初めてのキスのように緊張してしまう。


ゆっくりと綺麗な顔が近付いて来る。
真正面から来るので、キスしやすいようにと当麻は少しだけ首を傾げた。
そっと目を閉じる。遠慮がちな唇は、優しく触れただけですぐに離れた。

1秒にも満たないキスは充分なほどに心を満たし幸せな気分にしてくれて、それまで回復の見込みも無かった当麻の機嫌をたったそれだけで直しまう。


「……………」

「…………………………ありがとう」


恥ずかしいけど嬉しいという気分に浸っている当麻に、征士は心を込めて礼を述べた。
それが何だか妙におかしくて、当麻はつい噴出した。


「………何だ」

「何だって、何だよ。お前、ネタ?」

「ネタとはどういう意味だ。私はキスさせてもらったから礼を述べたというのに…」

「させてもらったって、」

「……悪いのか?」

「いや、いいよ悪くない。寧ろイイ」


色んな意味で。
最後は言葉にしないままにいると、征士が訝しい目を向けてくる。
生真面目で律儀な彼が面白くて、愛しくて堪らない。
すっかり機嫌の直った当麻は、その広い背をく叩いた。


「ところでお前、今日帰ってなんか予定あるの?」

「……いや、特にはないが…」

「だったら家、泊まってけよ」

「と、泊まる!?」


このまま離れるのが惜しくなった当麻が言うと、征士は狼狽え始める。


「………え?うん、泊まる」


変なこと言ってないよな?と自問しながらもう一度誘うと、今度は征士は耳まで赤くして首を物凄い勢いで横に振り始めた。


「泊まるだなんて、そんな事できるわけがない…!」

「何で」

「何でってお前…!き、……きき、キスしたばかりだぞ…!」

「だから何」

「それでお前、泊まるだなんて、そんな急すぎるし、い、いくら何でも、」

「え、お前、若しかして今日泊まったらヤるつもりなの?」


あまりに狼狽えるものだから「まさか」と思って聞くと、征士の動きはピタリと止まった。
色の白い頬が真っ赤になっているのが夜目にも解る。
図星のようだ。

それがおかしくて当麻は更に笑い出す。


「お、…まえっ…!っぷ…!幾らなんでも考えが飛躍しすぎだろ…!付き合ってからキスまでどんだけ間空いてんだよ、なのにお前、もうヤる気って…!」

「そ、そういう事ではない、ただこういう事はきちんと順序を踏んで、」

「順序って…!順序は間違ってないだろ、行動が遅いだけで。それをお前、」

「付き合ってすぐに手を出すだなんて、フシダラではないか!私は真剣に、本気でお前を大事にしたいから、こういう事は時間をかけて丁寧に1つずつ、」

「わーかった!解ったから!それは家で聞くから!ここ、外!俺のマンション前!お前、自分の声が通るって自覚ないのか!
俺が変な目で見られるだろ、部屋行くぞこの馬鹿!」

「いや、だから当麻…!」

「柳生邸でだって同じ部屋で寝泊りしてただろうが!それと一緒!変なコト考えてないで黙って入れよ、アホンダラ!」


お前の脳味噌の方がよっぽどフシダラでイヤラシイわ!と一喝すると征士は返す言葉がないのか黙り込み、しかし背中を押す当麻への
僅かな抵抗なのか歩みだけはノロノロとしながらも、それでも一緒にエントランスに入ってくれる。
それがオカシくてオカシくて、当麻は笑いながら征士をエレベーターへと押し込む。



キスした時、お前のトンカツに乗ってたおろしポン酢の味がしたけど、お前はソースの味がしたの?
お前、もしかして仙台にいる間中ずっと悶々としてたの?
付き合ってからキスまで2ヶ月くらい空いてるけど、お前の予定じゃ何ヵ月後にヤるの?

聞きたい事が山のようにある当麻は、今日は久々に2人で夜更かしかと思うと楽しくて仕方ない。
その気持ちを堪えようともせず笑いながら自分の部屋の階のボタンを押すと、冷蔵庫だけは覗かせられない事を思い出し、
質問よりも先に如何にして征士を座らせっぱなしにするかを考え始めた。




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光輪愛風の風宮様の無料配布本と、2012.10.01-2012.11.08までオープンしていた企画に参加したお話。

大学生がイチャイチャ。