個体差



帰ってきた秀は、元気がないとまでは言わないがどこか様子がおかしかった。
それに気付いたのは廊下で出迎えた伸だ。


「どうしたのさ、変な顔して」

「いや、顔の事は言ってくれるな。俺の顔はどうせ愛嬌しかねぇ顔だ」

「そんな事言ってないでしょうが。そうじゃなくてさ、…何かあったの?」


いつも伸からはよくからかわれているせいか、言葉に反応した秀もさらりと返したのだが、そうではないと兄はすぐに応える。
普段、遼からすれば辛辣ではないかと時々ドキドキとしてしまうような遣り取りを楽しむ2人だが、いつだって元気で愛想のいい秀の様子まで
からかうほど攻撃的な関係ではない。
心配があからさまにならないよう気を遣いながら尋ねれば、その優しさを汲み取った秀も頬をかきながら「大したことじゃネェんだけどさ、」と切り出す。


「大したことじゃなくたって、何か違和感程度の事はあったんでしょ?」

「うん。…いや、……まぁ」


そう言いながら秀はカバンを漁り始める。
中から出てきたのは、2つに折りたたまれたB5サイズの紙だ。


「これ?これって…今日の身体測定の結果じゃない」

「おう」

「何で持って帰ってきてるの?」


4月最後の週、連休を目前に行われた行事は身体測定だった。
1日がかりで身長体重をはじめ、視力検査も挟んで簡単な体力テストも行われる。
生徒はそれぞれで自分の記録用紙を持って指定された教室を廻り、結果を記入してもらう。その用紙は最後に教師によって回収されるはずだ。
しかし秀は何故かその紙を持って帰ってきていた。それも、体力テストではなく、身体にまつわる測定の方の用紙だけ。


「それがよ、俺も変だなと思ってたんだけど……やっぱ、こっちの紙も回収するよな?」

「て事は何かい?君の担任は体力テストの紙だけ回収しちゃったの?」

「おう。こっちは要らねぇのかなーとか気にはなったんだけどよ、せんせ、何も言わねぇもんだから」

「持って帰ってきちゃったんだ。まぁそれはそれで、明日出せばいいんじゃない?きっと今頃先生も、あちゃーって思ってるだろうし」

「だよな」

「あれ?それ、何だ?」


やっぱそうだったか、と呆れたように笑った秀がカバンに紙を戻そうとしたところに、遼が通りかかった。

遼や征士のように運動部に所属している生徒の一部は、文化部や部活動に参加していない生徒に先立って、先週のうちに測定を済ませている。
そして当日の今日は教師達の補助として簡単な測定の助手をしていた。
ただそれは一部であって、全ての部員が行うことではない。現に征士は剣道部に所属しているが測定は今日に行い、当麻と一緒に廻っていた。
だが遼は測定する側だった。不器用な彼にどうしてそのお鉢が廻ってきたのか、恐らくは完全にランダムだったのだろうと密かに仲間は思っていたことだ。

その遼が片付けを終えたらしく、いつもの部活の時間よりは早く、そして通常授業だけの日よりも遅く帰ってきたばかりのところなのだが、
興味深そうに仲間の手元を覗きこみ、そして、あれ?という顔をする。


「これね、秀のクラスの先生ったら回収するの忘れちゃったんだってさ」


その顔の意味することを読んだ伸が、秀と同じように呆れた笑顔でそう告げたのだが、遼は首を傾げて表情は同じままだ。


「…どうしたの?」


すぐに理解して納得すると思っていた相手の異なる反応に、今度は伸も首を傾げた。
遼は首の角度を戻さずに、秀の手元の紙をじっと見ている。
すると秀は遼に見えやすいように心持、紙の角度を変えてやった。
見えやすくなった遼は「あれ…」ともう一度呟く。


「どしたんだよ、遼」


わけが解らず秀も重ねて尋ねると、遼は小さく唸ってから、


「いや、秀って……伸とあんまり体重が変わらないから…」


とそのまま言い、そして言葉を区切るとハっとした顔になって、


「その、……ゴメン!そういう意味じゃないんだ!」


と謝るから、言われた事の意味など考えもせず普通に聞いていた秀だって何が言いたいかが伝わってしまい、そして眉間に皺を刻む結果になってしまう。


「悪かったな!伸みたいにスマートじゃなくって!」

「そ、そういう事じゃなくって……!その、ほら…!」


激昂しているではないが、伸や当麻との遣り取りの時にお約束のようになってしまっている反応をすると、普段なれていない遼は慌てて謝罪の言葉を口にする。
その横で伸は合点がいったと言わんばかりに手を打った。


「そっか、きみ、何で僕の体重知ってるのって思ったら、サッカー部は体重の担当だったね」

「え、あ、…うん。そう。ちょうど伸のときに俺、読み上げる係りだったから…」

「それでそうか、僕と秀の体重があんまり変わらないってことか」


そうかそうかと納得しながら伸も秀の持っていた紙を覗き込む。
さっきはさっと見ただけだった数字を、今度はしっかりと読んだ。


「………あ、ほんとだ。それに身長もそんなに変わらないね」

「え!?」

「マジ!?」


また、遼。それに重なって秀も一緒に驚く。
2人の目はまん丸になっていた。


「うん、本当。身長も体重もそんなに差がないよ」


そう言って教える伸も多少は驚いているのだが、弟2人の反応があまりにも強すぎて感情を出しそびれてしまった。
お陰で随分とクールな態度になってしまう。


「えー!?マジ!?つーかお前、知ってたのかよその反応は!」

「知らないよ、僕だって」

「じゃあ何でそんなに落ち着いてるんだ!?だって2人とも、体型は全然違うのに!」


対する遼と秀の声は大きくなる。
すると。


「なに。何か面白い話?」


無駄に強い好奇心を擽られた当麻が目を輝かせてリビングから出てきた。
それにつられたのか、単に表情が変わらないだけで本人も興味心身なのかいまいちよく解らない征士も、その後に続いて出てくる。
一般家庭に比べれば広いが、それでも育ち盛りの男子高校生が5人も集まると、廊下は一気に息苦しい空間になった。


「何だ、それは。…身体測定の用紙ではないか」


だが誰もそこから移動するという考えは浮かばず、すぐに話題は秀の持つ紙に集まる。
征士がその紙に気付くと、眉間に皺を寄せた。


「秀のクラスの先生、回収するの忘れちゃったんだよ」


秀が間違えて持って帰ってきたのではないと、すかさず伸がフォローを入れると征士の眉間が戻った。
それをちゃんと見えていた秀は少し複雑な気持ちになったが、すぐに気持ちを切り替えて頷く。


「そーなんだよ」

「で、盛り上がってたのか?それだけのことで?」


今度は当麻が訝しむ。好奇心の先がそんな程度の話題で落胆したらしい。


「いや、そうじゃなくってさ。伸と秀の身長と体重があんまり変わらないから、ビックリしてたんだ」


それには遼がフォローを入れた。
征士は「ほぉ」と驚いた顔をして見せたが、当麻の表情はあまり変わらない。
秀が片眉を上げた。


「え、ビックリしねぇ?俺と伸だぜ?」


しつこくからかいを受けるのは好きではないが、事実は事実だし、仲間のうちであればコミュニケーションの1つとしての信頼があるため、この話題に対する
秀の不快感はほぼ無いに等しい。
少し遠回しに、数字と見た目の事を言ったのだが、当麻は首の後ろを掻いて「そうかぁ?」と応えた。


「だって伸だろ?」

「おう」

「伸ってなぁ…確かに見た目はこうだけど、脱ぐと結構筋肉あるだろ」


風呂で一緒になった時の記憶で言えば、伸は優しそうな外見と異なり、実は案外に筋肉がついた体をしている。


「でも秀だって筋肉ならあるだろ?」

「だからさ、その筋肉の違いだって」

「違い?どんな」


興味をそそられたのか、遼が首の後ろを掻く当麻の腕を引っ張った。


「いや、ほら。伸は海で泳いでただろ」

「うん」

「だから、そういう筋肉。で、秀は元々格闘技系やってたから、そういう筋肉」

「………うん?」

「えっとな、…そのー、筋肉の種類も、つき方も、遣い方も全然違うから、体型が変わって来るんだよ」


今この場に対する興味が薄れ始めている当麻は説明をするのがどうやら面倒に感じているらしく、如何に完結に切り上げるかに頭を使う。
しかし遼相手なので、どう言えばいいのか悩んでしまう。


「筋肉って違うのか?」

「違うよ。遅筋と速筋。授業でやったろ?」

「ちきん…何か聞いたような……でもそれが何だ?」

「いや、だからさ、えーっと……」

「確かに秀は胴回りにもついているのに対して、伸は肩や背中だな」


そこに征士が言葉を挟んできた。
何も当麻に助け舟を出したのではなくて、彼自身が納得して呟いただけの言葉だ。
だがそれで遼の意識が筋肉の種類の話題から逸れてくれたので、当麻としてはそれだけで万々歳だ。
何せ受験を控えたばかりの頃、解らない箇所が出るたびに電話越しで何度も泣きつかれてきた事は記憶に新しい。
あの時の説明に苦しんだ事を思い返すと、暫くは説明に労力を使いたくは無いと密かに思っているくらいなのだから。


「そう言えばそうだな」


遼の視線は既に当麻から秀と伸に向かっている。
それに密かに当麻は胸を撫で下ろした。


「そう言えばサッカー部とバスケ部の筋肉も違うかな」

「プロレスラーとマラソン選手も違うもんな」

「鍛え方や遣い方で、随分変わるものではあるからな」

「それに個体差もあるしね」

「そういうこと」


さーこの話は終わり、ご飯ご飯。と言いたげに当麻は踵を返してリビングに体を向ける。
その背に、遼がまた首を傾げた。


「じゃあ当麻の身長も数字にしたらあんまり差が無いのか?」

「それよかもうちょっと高い」


ぶっきらぼうながらも律儀に答えは返って来た。へぇ、と頷いた遼は更に、


「じゃあ体重は?」


と追い討ちのように尋ねる。
出会った頃に比べ、当麻の身長は随分と伸びた。
だが主に縦に成長したせいか、元々他の仲間より若干細いなというくらいの印象だった体は、今でははっきりと細身に分類されるものになっている。
それを密かに気にしている当麻は、さっきよりさらにぶっきらぼうになって、


「…………もうちょっとだけ、軽い」


と足早にリビングへと入っていった。




*****
彼らの成長の一部分の話。

ニューヨーク篇あたりだったか、確か伸と秀の身長差が1cm、体重差が1kgという時があったように記憶してるんですよね。