屋根の上の雪
山の中にある屋敷は冬になるととても寒いが、悪いことばかりではない。
雪が降ると美しい景色を見せてくれる。
雪が積もると成長期真っ只中の少年達は年相応、否、少し幼いほどにはしゃいでみせる。
が、困る事だって起こる。
「このままではマズイぞ」
と言い出したのは征士だった。
彼の見上げる先は屋敷の屋根だ。そこに降り積もった雪がどっしりと乗っている。
「……やっぱり?」
そう返したのはナスティだった。困ったように征士同様に屋根を見上げている。
先日も雪が積もったことがあったがその時はまだ良かった。
征士には見慣れた光景だったが他の仲間はそうではないようで、彼らは存分に雪に塗れて遊び倒した。
しかし昨日の午後から雪は猛烈に降り、5人が普段、通学に遣っているバス停のところまでナスティが車で迎えに来るほどになっていた。
そして夜になっても雪がやむ様子はなく、朝になる頃には随分と深く積もっていた。
流石にこの状況では近くまで来るバスは運休となり、また、ナスティが車を出そうにも除雪車が近くの道路にくるまで身動きさえ取れない。
例年はこんなにも積もる事がなく、祖父が存命だった頃に何度か屋敷を訪れていたナスティも初めての事だという。
では仕方がない、学校へは通学できないということを理由に彼らは本日を休みとしたのだが、ふと思い出したように征士は庭に出て、そして屋敷を見上げて
女主人を呼びつけ、そしてマズイと告げた。
「雪は意外に重いし、急に滑り落ちてくると怪我の恐れもある。雪下ろしをした方がいいのだが」
東北の地で生まれ育った征士はそこまで言って、一旦言葉を区切った。
この屋敷の倉庫には何度か入ったことがあったが、自宅で見ていたような雪下ろしに使う道具の類があったか思い出せない。
どうだったか、と考えているうちに、伸、秀、そして遼と当麻がぞろぞろと出てきた。
(但し、当麻は気にはなるもののやっぱり寒さに顔を顰め、すぐにでも室内に戻りたそうな素振りを見せていた)
「どうしたんだい?」
いつまでも部屋に戻ってこない2人を心配した伸が尋ねると、ナスティが征士の言っていた内容を4人に伝える。
伸は一度目を丸くしてから屋根を見上げ、ああ、と白い息を吐きながら同意なのか感想なのか曖昧な声を漏らした。
「確かにこれは危ないかもね。……ねぇ、ナスティ、博士はここを別荘にしてたって言うけど、こうやって積もるのは完全に初めてなのかな?」
他の4人より一足先に屋敷で世話になっていた伸の記憶では、少なくとも去年はこんなにも積もった事はなかった。
全く積もらないわけではないが、タイヤにチェーンを巻けば充分に走行可能な程度の雪しか見ていない。
以前はどうだったのかと思って尋ねたのだが、ナスティは首を横に振った。
「それが私もこんなに長くお爺様の所に滞在したことがないから詳しくは判らないんだけど、確か代理で管理してくれる会社と契約をしていて、
そこに全てを任せていたと思うの」
その管理会社も、彼らとの共同生活の場にこの屋敷を選んだ時点で一旦契約を解除してしまっていた。
若しかしたら祖父が居ない間は彼らがどうにかしてくれていたか、あれば業者に依頼していたのかも知れない、と彼女は口にするが
それだって確かな情報ではないので、どこか歯切れが悪い。
ううん、と唸っていると、遼が「まぁ、さ」と口を開いた。
「したらいいんじゃないか?」
「したら?何が?」
秀が聞き返すと遼はどこか嬉しそうな顔になった。
その後ろで当麻がクシャミを1つした。
「だからさ、雪下ろし。俺たちでしたらいいんじゃないのか?」
遼の言葉に、全員揃ってもう一度屋根を見上げる。
屋根には角度があるというのに、不思議と今のところ落ちてくる様子はない。
みんなの視線が今度は遼に向かった。
「雪下ろしするって簡単に言うけど……どうなの?」
伸は征士に意見を求めた。こういう時は、経験があるであろう者に尋ねるのが一番だ。
「雪下ろしは出来んことはないが…」
そして征士だけの視線が再び屋根に上げられ、黙った。
何かを考えているらしいのだが、仲間に向けられているのは彼の顔は前髪に目が隠れているために表情が読めない。
一先ず全員、征士の言葉を待った。
「………如何せん、私の実家の屋根より角度が少し急だから、慎重にやらねば危ないだろうな」
典型的日本家屋の伊達家と違い、柳生邸は洋風家屋だ。
しかも2階プラス屋根裏つきとなると、日本家屋だが2階建ての伊達家とは屋根の高さも違ってくる。
下が雪だとは言え、下手に滑り落ちると怪我をする可能性は高かった。
「じゃあ、…はい、征士」
一旦屋敷に戻って準備を、となって少しした時、そう言う伸から、どうにか見つけ出したスコップを手渡された征士は判りやすいほどに顔を顰めた。
「じゃあ、とはどういう事だ」
「だから雪下ろし。お願いねって」
お願いね、と言われても。と征士は眉間の皺を深くする。
雪下ろしはした方が良い。
そして出来れば経験者の方がいい。
というのは征士にだって解っている。
だが、幾らなんでも。
「何故私1人なんだ」
不愉快そうに声にすると、仕方ないじゃない、と伸が間髪入れずに返してきた。
「仕方ないとは言うが、あの屋根の雪を1人で下ろすのは幾らなんでも、」
「キミ以外で出来る人間、誰が居るってのさ」
重労働だし不公平だ、と思って言った言葉は言い終わる前にピシャリと返されてしまった。
「屋根の上のことだ、私以外なら当麻が、」
「あの子、この前の雪合戦やった日に何回転んだと思ってるの?それこそ1人だけズボンのお尻がベシャベシャになるまで転んだんだよ?
そんな子が屋根の上にのぼって無事で済むと思うのかい?」
5人の中で一番身軽な当麻は自分の手が届く範囲なら木に登る事だって上手いし、屋根裏の窓から屋根に上がる事だって平気でやっている。
だが、それは雪がない状態での話だ。
確かに先日の雪の日など、彼は1番転んでいた。
それを思い出した征士は苦虫を噛み潰したような顔になって、それなら、と他を挙げた。
「遼はどうだ。長野の山奥で住んでいたんだから、アイツだって雪を下ろすくらいは出来るだろう」
サンタに扮した父が屋根に上った時に雪が落ちたと言っていた事を思い出して征士が言う。
屋根に雪があるのなら、早くに母親を亡くしてから殆ど1人暮らしに近かったという彼だ、雪下ろしの経験くらいあるだろうと言ったのだが、
伸は首を横に振った。
「遼がどれくらい不器用だと思ってるんだよ。あの子、雪のない日に当麻と一緒に屋根裏から屋根に出ようとして、足滑らせてるんだよ?
あの時は当麻が一緒だったから大事には至らなかったけど、多分、…ていうか、絶対、無理」
「なら秀は」
尚も征士は食い下がった。
が、また伸は首を横に振った。
「あんなすぐにテンションの上がる子なんて、雪の上にあげられると思う?下に当麻がいたら絶対、当麻目掛けて雪を下ろすよ。危ないよ」
冗談も度が過ぎれば危険だ。
何も秀が限度を知らない男だとは思っていなくても、何が起こるかわからない。
特にテンションが上がった時の行動などそうそう読めるものでもない。
若しかしたらはしゃいで滑り落ちる可能性だってあるのだから。
「じゃあお前はどうなんだ」
「僕も駄目」
「何故。雪の上でも平然と歩けていただろう?」
アレも駄目コレも駄目と言われ続け、少し苛立った征士が尋ねる。
山口県の降雪量がどれ程のものかは知らないが、雪合戦の時に走り回っていたのだから多少は慣れているはずだと思って言ったのだが、
伸はノーと言う。
「山口は確かに日本海に面してるけど、そこに近くなきゃドカンと積もらないし、僕の所だってせいぜい5センチ程度だ。歩けたのは、スキーに行ったりしてたから。
雪下ろしなんてしてないよ。それに何より、」
と伸はここで一旦言葉を区切り、心持、征士に顔を寄せた。
「僕が上にあがったら、一体誰が下の3人を止めるのさ」
そう言って伸が立てた親指で示した先には、征士が屋根から降ろした雪(これは決定事項)を下で他へ移動させる作業をするために、遼と秀と当麻の
3人がそれぞれ防寒対策として着込んでいる姿があった。
カイロを腰と腹に張っている当麻の耳当てを秀がからかうように引っ張ったり、遼がマフラーを頑丈に巻きすぎて息苦しくなったりしている。
彼らは単独でならちゃんとしているのだが、2人以上揃うと妙に浮かれる傾向があった。特に、秀と当麻に。
確かに…
そう思った征士は、スコップを手に渋々屋根裏へと向かって行った。
人の居る階下と違い、人気のない屋根裏はしんと冷えていた。
その空気の冷たさにどこか懐かしい気持ちになりながら、征士は窓を開ける。
すぅっと流れ込んできた冷気に、今度は目を細めた。
「…流石に寒いな…」
吐く息が白い。
窓枠に手をかけて、慎重に身を乗り出した。滅多に屋根に上がらない征士は、実家とは違う高さに一瞬息を飲んだがこうしていても仕方が無いと
腹を括って外へと出た。
窓枠を掴んだまま、屋根の角度を確かめるように何度も足元を踏みつける。
慣れた実家との違いをある程度把握すると、そっと屋根の上へと歩き始める。手には伸から渡されたスコップを握り締めて。
「…………出てきたか」
下が騒がしくなったのに気付いて目を向けると、先ずは遼が、そして秀が続き、更に後ろを気にするようにしている伸が出てきて、最後に当麻が姿を見せた。
寒いのが嫌いだという軍師は相変わらずへっぴり腰で歩いている。
その姿勢が却って危ないのだと、あの雪の日に散々教えたのにまだ直らんのか。と征士は1人溜息を吐いた。
すると屋根の上に居る征士に気付いたらしく、秀が「おーい!」と声を上げ手を振ってくる。
「おーい、せいじー!よろしくなー!」
「ごめんなー、征士、頼むー!」
両手を振っている秀は本来登校日である日に休みという状況と、初めての雪下ろし体験(自分は下側だけど)に浮かれているのがバレバレだ。
申し訳無さそうには言っているが、遼も秀と同じくという感じだった。
まぁ気持ちは判る、と彼らの性格をよく理解したうえで征士は征士なりの笑顔で彼らに手を振り返す。
「無理して落ちんなよー」
と言った当麻には、お前が言うな、と言おうとした矢先、急に上を見上げたせいでバランスを崩した当麻が早速こけそうになっていた。
それを咄嗟に後ろから抱くように伸が支え、征士の一瞬詰めた息を吐く。
「…お前こそ気をつけろ」
安心してそう言うと、はいはい、と照れ隠しの混じった、だらしのない返事が返ってくる。
それには征士はとやかく言うのは止め、取敢えずは大丈夫だった事に安心してスコップを握る手に力を込めた。
下の様子を見ながら雪を下ろす。
下ではその度に楽しげな声が上がる。
押し車に乗せた雪を運んでいた秀が戻ってくると、今度は笑い声が聞こえてくる。
それを聞きながら征士の胸にふと、懐かしさと苦々しさの混ざった感情が上がってきた。
屋敷よりももっと雪が身近な実家での暮らし。
窓から見た一面の銀世界。
雪のひどい日は部活もなく、早くに帰宅。
そして自宅での遣り取り。
男なんだから。部活がないのなら体力も持て余しているでしょう。
そんな感じの言葉を母や姉妹たちから言われ、雪下ろしは征士の仕事となっていった。
その間、彼女達は室内でそれぞれに過ごす。勿論、夕食の準備や勉学であったりと怠けているわけではないが、それにしたって正当性のある役割分担と
征士が割り切るのには少し時間がかかったものだ。
「……………まぁ今は下で雪をどけてくれる人間がいるだけ、マシか」
完全に1人での作業ではないことに若干感動しつつ、それでもやはり自分1人だけが屋根の上という状況に微かな寂しさを感じ、
征士は苦笑いと共に呟いた。
下では相変わらず笑い声が聞こえてくる。
暫く作業に集中していたが、流石に疲れてきて征士は一旦手を止めた。
集中している時は屋根の上以外全く見ていなかったし、下に居る仲間の声も耳に入ってこなかったのだが、気付くとさっきまでの笑い声が聞こえない。
不思議に思って覗くように下を見ると、どういうわけか下ろした雪があまり移動されていないことに気付いた。
「………………?……どういう事だ?」
まさか自分を除いて全員室内にでも入ったか、と怒りが沸いてきた征士だったが、更に身を乗り出して覗くとちゃんと仲間はいた。
最初にいた位置に比べて屋根の上の方へと移動した征士の視界には見えていなかっただけらしい。
それに安心した征士だが、何故か雪を移動させていない彼らが、更に何故か4人で向き合って何か相談しているように見えたのが気になってくる。
「…一体何をしているんだ?」
健全な視力の征士は、彼らの表情が充分に見えていた。
一番見易い位置に立っていた当麻の表情は、真剣そのものだ。
その腕を伸の手が掴んでいる。こけないよう、対策しているのだろう。
何を、と気になった征士は耳を欹てる。
すると。
「だからさ、かまくら。固めてって中をくり抜きゃ、できんじゃねーの?」
秀の声だった。
「だからそういう問題じゃない。どれくらいの硬さにまで固める必要があるのか、俺たち6人が入ろうと思ったらどれくらいの大きさがいいのか、
高さが必要なのか解らんって俺は言ってるんだ」
そして当麻。
どうやら彼らはかまくらを作る相談をしているらしい。
そんなもの、後でも出来るだろう…!と征士は心の中でだけ叫んだ。
しかし声に出していないので当然、下の連中に届く事はなく、相談は続いている。
「んーじゃ何か、かまくら作んの、お前、反対なのかよ」
「反対だなんて言ってないだろ?俺だってかまくらの中で餅を焼いて食べたい」
結局お前は食欲か!と今度も心の中でだけで征士は叫ぶ。
「下らんことをしとらんで、さっさと片付けんか!」と実際に声に出して一喝しても良かったのだが、下手に声を出して屋根から落ちるのは嫌だったし、
何よりどういうわけだか盗み聞きをしているような気持ちになって、征士は後ろめたさからそれが出来なかった。
「ほら、秀も当麻もその辺にして、さっさと続きしようよ」
伸が仲裁に入る。
彼が屋根に上らなかったのは正解だったらしい。確かに彼らにはストッパーが必要だった。
が、その伸の手に道具はなく、作業をしている様子はない。
複雑な思いでそれを見た征士は、今度は遼を見る。
言い合う2人の間でオロオロしているのは想像通りだったが、その手には何故か雪ウサギが乗っていた。
「…………………………………」
言いたい事や思う事は色々あったが、一体何を優先して何を諦めるべきかわからなくなった征士は、取敢えず彼ら目掛けて控えめな量の雪を
落とす事にした。
*****
こういう時に雪が当たる本命は当麻。次点で秀、伸、遼と続いて、大穴がナスティだと思います。