ゴーゴー銭湯



「どうしようもないから、今日は銭湯に行きましょう」


リビングに姿を現すなり、どこか嬉しそうにナスティがそう言った。
シャツの袖は捲くられ、腕はまだ濡れた箇所がある。
彼女は確か風呂の用意をしていたはずだと、誰とも無く少年達は思った。


「銭湯って…何かあったのかい?」


彼女の今の状態と発言から大体の予想はつくものの、取敢えず伸が尋ねた。
するとナスティは小首を傾げ、やっぱりどこか嬉しそうな顔をする。


「お湯が出ないのよ」

「風呂、壊れちまった?」


続けて秀が聞くと、ナスティは頷いた。
どう見たって嬉しそうだ。


「ええ。それでさっき修理屋さんに電話したんだけど、今日はもう来れないって言うから」

「じゃ、修理は明日?」

「そう。それでね、だからね、」


銭湯に行きましょう。
彼女はとてもとても、とても嬉しそうに言った。
特に異論の無い伸と秀は顔を見合わせて、そして彼女の嬉しそうな顔から何となく察して頷いた。


「銭湯って……」

「銭湯…」


だが直後にソファに寝転がっていた当麻と、そのソファの近くに腰を下ろしていた征士が同時に呟く。
そこで伸は心の中でだけ、「しまった」と言った。

ナスティはどこか嬉しそうにしている。
きっと銭湯に行きたいのだろう。
だが当麻は結構神経質だ。
そして征士は潔癖症だ。
この2人が公共の場とも言える銭湯に対して抵抗が無いとは言い切れない。

何も銭湯が好きというわけではない伸でも、折角ナスティが嬉しそうにしているのだからその気持ちに水を差したくは無い。
だがこの2人の性質を考えれば、無闇に叱ることも出来ない。

さあ、どうしようか。
そう思案している横で、やっぱり秀も同じ事を考えていたのか顎に手をやっていた。


「銭湯って、風呂が大きいから楽しいよな!」


すると遼がこれまたナスティに輪をかけたように嬉しそうな声を上げた。
彼の場合、この状況を打破するための助け舟、というわけではないのは伸も秀もよぉっく解っていた。
素直に彼も嬉しいのだろう。

これで意見は2対2。
征士と当麻がどういう風に出るのか、伸は様子を見るために注意深く次の言葉を待った。


「銭湯って言ったらさ、………富士山?」


当麻が伺うように言った。


「それからマッサージチェアか」


今度は征士だ。


「風呂上りはやっぱりコーヒー牛乳?」

「いや、フルーツ牛乳と言うのも捨て難い」

「体重計、あるよな」

「番台にはやはり穏やかな老人だろう」


表情が乏しいながらも、2人の声は段々とヒートアップしていく。


「やっぱ風呂、熱いかな?」

「東京ではないが、ここは仙台や大阪よりも近いからな。江戸っ子は熱いものを好むというし、やはり覚悟は必要なのではないか?」

「あ、石鹸持参?」

「桶の中でカタカタ鳴らすにはケースに入っていた方がいいのだろうか?」


伸、秀、絶句。である。
神経質や潔癖症は最初から何の心配もなかったのか、2人はまるで初めての海外旅行が目前に迫ったかのように
僅かに頬を高潮させて、浮かれ始めている。
まだ山奥の屋敷の中だというのにすっかり心は銭湯へと飛んでいるようだ。

だが、このままではいけない。


「あのー…よぉ、お二人さん」


秀が申し訳無さそうに挙手して、会話に入った。


「何だ」

「なに、他にまだ何かあんのか?」


普段とてもクールだといわれる2人だが、珍しく目がキラキラとしている。
その純粋すぎる輝きを前に秀は一瞬だけ怯んだが、このままではいけないのだ。
腹に力を込めて、2人を見据えた。


「注意がある」

「風呂で泳いだりはせんから安心しろ」

「そうじゃねぇ。それ以前の問題だ」

「何だよ。あ、大丈夫大丈夫、ちゃんと湯船に入る前に体は洗うって。それくらい、俺らだって知ってるって」

「だから、そうじゃねぇ!いいか、よぉっく聞けよ」


それくらい解ってますと言う2人に秀は凄んだ。
そのあまりの気迫に、流石の2人も生唾を飲み込む。


「………何だ?」


問い掛ける征士の声に、僅かに緊張が走っていた。


「あのな、…………………風呂屋の壁に、富士山が必ずあるとは限らねぇ」

「…えっ!?」

「そ、……そんな……!…………で、では松の木、…っ、松の木なのか!?」

「それもネェ」

「何と……!!!」

「じゃあ何があるんだよ…!」


どうやら征士も当麻も、銭湯は入ったことはおろか、実物を見たこともないらしい。
夢敗れたらしい2人は、青褪めている。
伸は、大袈裟な…と思っていたが何となく面白くて、敢えて口を挟まないようにした。


「大抵は、修学旅行とかで入ったみたいな感じの壁だ」

「あんな味気ない壁なのか!?」


征士がひと際大きな声を出す。
伸はここで一度、噴出した。
秀は真顔のままだ。よく堪えられたものである。


「それから」


わざとらしく秀が声のトーンを落とす。
それだけで征士と当麻は喉を鳴らして身構えた。


「”それから”!?まだあんのか!?」

「マッサージチェアも、無い場所もある」

「マジかよ!」

「あと番台もない場所が多い。受付カウンターならある」


見ていて面白い、もとい、可哀想な位に2人はショックを受けていた。
征士の容姿をメインで考えてみると、まるで日本文化にショックを受ける外国人のように見えなくも無い。
当麻に至っては地球の文化に疎い宇宙人だ。


「でもな」

「……………何だ…」

「牛乳も、コーヒー牛乳も、それからフルーツ牛乳も、大体の場所は置いてある」

「!!!!!」

「!!!!!」


さっきまで打ちひしがれていた2人の顔がパッと明るくなった。
その落差が激しすぎて伸はまた噴出した。
視界の端の遼は、牛乳のラインナップに顔を輝かせている。

嬉しそうで何より。
伸は本格的に笑い出すのを堪えながら、遼に向けて心の中で呟いた。


「ただな…」


再び秀の声のトーンが下がる。
それだけで征士も当麻も、そしてつられて遼も身体が強張った。
秀もそれが面白いのか、わざと間を空けて勿体つける。


「…な、何だよ、秀。早く言ってくれよ…!」


痺れを切らして言ったのは遼だった。
それに秀が重々しく頷く。


「風呂屋の桶は……………………”ケロヨン”じゃねぇ場所も、ある」

「嘘でしょう!!!?」


黄色い例の桶ではない事を告げると、悲鳴を上げたのはナスティだった。
リビングの入り口を振り返ると、膝から崩れ落ちたらしい彼女がそこにいた。
フランス帰りの彼女もどうやら銭湯に対して、偏った美意識があったようだ。

駄目だこりゃ……
伸は溜息と共に天を仰ぐ。

各個人の中にある銭湯への過剰な期待をある程度崩す必要があると思うと気が重かったが、明日も学校はあるのだから、朝は早い。
こういう時にいつも常識人は苦労が多く不公平だとは思うが、仕方がない。
伸は先ず、調子に乗り始めた秀を黙らせることから手をつけるのだった。




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馬鹿ばっかり。勢いで書きたくなったもので。
私も銭湯って行ったことが無いので、あくまでイメージです。