適正深度



リビングに集まって寛いでいる時に、ふと遼が「綿棒ないかな」と言い出した。


「綿棒?綿棒って、あの綿棒?」


伸が指でこれくらいの、とサイズを示しながら聞き返す。
遼はそれに頷いた。


「そう、それくらいの」

「綿棒なら薬箱で見たと思うけど、何に使うんだい?」


何事にも一生懸命であると同時に不器用でもある遼は、気が付くと怪我をしている事が多い。
切り傷から擦り傷、痣までバリエーションは様々だが、戦いの中になくとも彼は兎に角怪我をしやすいらしい。
薬箱で見かけた道具を頭に思い浮かべ、伸は見える範囲で遼の体を検めた。
手当てが必要なら手伝おうかと思ったのだが、見たところ今回は怪我を負っていないようだ。
それに首を傾げると、遼もきょとんとした顔で伸と同じ方向に首を傾げた。


「え?耳掃除しようと思ったんだけど…」

「耳掃除?」


それに反応したのは秀だった。


「遼って、耳掃除は綿棒派?」

「え?うん。そうだけど…?」

「綿棒ってさ、何か取れた気しなくねぇ?」

「秀は耳掻き派か」


そこに征士が参加すると、伸が意外そうな顔をした。


「何その顔。伸ちゃん、何か言いたそう」


普段はとても温和だが、仲間相手で更に秀相手となると皮肉や手厳しい言葉がポンポンと出てくる伸の表情に目聡く気付いた当麻が、
読んでいた本から顔をあげて食いついた。
口端には、少々の意地悪さを浮かべている。


「秀でも道具を使うんだー、と思ってね」


その末弟の意地の悪い笑みを窘めるどころか便乗した長兄は、ニヤニヤと笑って言った。
勿論、言われた秀はぶすっとむくれるだけである。


「っどーゆー意味だ!コラ!!」

「いやー、僕ぁてっきりキミなんかは、適当に小指で穿ってその辺にポイっと捨てそうなイメージがあったもんだからねぇ?」

「う、おおお、…っ!聞き捨てならネェな!!んな事するワケねぇだろ!!」

「そうだぞ、伸。よぉっく見て見ろよ。秀のあの太い指じゃ、耳の中に入るかどうか怪しいじゃないか」


伸に噛み付いていると、横から当麻が茶々を入れてくる。
秀はぐるりと首を回してタレ目を睨みつけるのだが、同じタイミングでそのタレ目は目を逸らす。
幼馴染はこういうタイミングまでしっかりと息が合っていて、それが余計に秀を煽る。


「おい、とーま…!」

「な、なぁ、それより綿棒……!」


秀が怒鳴ろうとしたのに重ねて、遼が悲痛な声を出す。
耳が痒くて仕方ないらしい。


「じゃあ取ってくるから待ってて」


大将の情けない声でじゃれあいは一時中断。
他の4人より一足先に柳生邸で生活していた伸は、主の次にこの屋敷の物の配置に詳しい。
ソファから立ち上がると薬箱を取りに行った。





綿棒を手にした伸の前に、クッションを枕代わりにした遼が寝そべる。
遼が落ち着く体勢を見つけると、すぐに伸が手にした綿棒を遼の耳に近づけた。



「良かったら僕がしてあげようか?」


薬箱ごと戻ってきた伸は、遼に向かってそう言った。
他人の耳を掃除するのが趣味というわけではないが、自分以外の人間にしてもらう耳掃除の気持ち良さなら知っている。
屋敷での共同生活を始めるまで、幼い頃に母親を亡くし、父親は多忙な身である遼は殆ど1人で暮らしていた。
そんな彼にそういう思い出がないという決め付けはなくとも、そういった事は久しいだろうなという事を考えた伸からの、ちょっとしたサービスだ。
遼も最初は照れもあってその提案に遠慮をしたのだが、遠慮しないでという兄の言葉と、やはり他人にしてもらう耳掃除のあの気持ち良さには
勝てなかった。
ほんのりと期待に頬を染めてしっかりと首を縦に振ると、ソファから適当なクッションを1つ取り、伸の前に横たわったのだった。


「…………いいなぁ、遼…」


それを見ていた当麻が、ぼそりと呟いた。
単なる独り言だ。

遼と同じく当麻も殆ど1人で暮らしていたから、やっぱり遼と同じくそういった事を経験したのは過去の話だ。
あの心地よさを思い出して、ついぽろりと本音が出た。
だが声は小さく、本当に単なる独り言になっていた。

筈だった。


「お、だったら俺がしてやろっか?」


少し離れた位置にいた筈なのに、秀がしっかりとその声を聞いていたらしい。
秀も秀で、伸と同じ事を当麻に対して思ったのだろう。
さっきまで鼻息荒く睨みつけていた相手に、今ではお人好しの笑みを向けているところが秀の良いところだ。
当麻の返事も待たず、綿棒を1本手に取ると器用にくるくると回してニカっとひと際良い笑顔を見せた。


「……え、……いいのか?」


その言葉に当麻の青い目が子供のような輝きを見せる。
子供の頃にしてもらった耳掃除の気持ち良さは、やはり誰でも一緒らしい。
普段なら、結構です、などと言って可愛げもなく断る智将は、キラキラとした目で義の男を見つめ返した。


「あったりめーよ!おら、お前もクッション持って来い!」


頼もしく秀が胸を叩くと、当麻もソファに駆け寄ってクッションを1つ、手に取った。



耳に綿棒が入ってくるときの、くすぐったさ。
微かに痒い場所に触れた瞬間の、言いようのない心地よさ。
人の体温が近くにあると、つい眠たくなってくる。
あの懐かしい感覚。

…が、訪れる前に。


「ぃ……っ………って…!!!!」


当麻の短く鋭い悲鳴が上がった。
遼は寝転んだままに閉じていた目を開け、遼の耳掃除をしていた伸が顔をあげ、そして1人本を読んでいた征士も悲鳴の方に顔を向けた。


「え、痛い?」


秀はきょとんとした顔をしているが、その足元に寝転がっていた当麻は、今ではダンゴムシかアルマジロかと思うほどに身を丸くして右の耳を押さえている。


「痛い、痛過ぎる…!!!」

「えー?んな強くやってねぇだろ?」

「強くとかじゃなくて、お前、いきなり奥まで突っ込んだだろ!それも思いっきり!!!!」

「んな大袈裟な」

「大袈裟じゃない!物凄く痛かった…!!」

「んだよ、…軟弱者かよー」

「軟弱じゃない!お前、今、綿棒、何センチくらい突っ込んだ!?」

「何センチって……細けぇなー……」

「どんくらいだよ!!」

「どんくらいって、……こんくらい?」


勢いよく跳ね起き、涙目になってまで喚く当麻に、秀は綿棒の入ったあたりを指で示す。
それを見た当麻は一度絶句した後で眉を吊り上げた。


「あ、アホか!アホなんか!!!」

「何だよ、人が好意でしてやったのに何でアホとか俺、言われんだよ!」


負けじと秀も眉を吊り上げる。
彼の言うとおり、悪意でもってやったわけではない。
だが当麻の怒りはそれで治まる筈がない。


「お前、それ、2.5センチは入ってるだろ!!」

「はぁ!?」

「耳掃除の時は入り口から1センチが適切なんだよ!」

「はーぁ!?だってお前、こんくらい入れないと気持ちよくねーだろ!」


細かい数字を持ち出されても、元々数字関係が苦手な秀にはそんな事、知ったこっちゃねー、なのだ。
だが当麻は当麻でちゃんとした理由を持っているので、知ったこっちゃねー、では許せない。


「馬鹿か!アホか!!いいか、3センチも突っ込んだら人間の耳は鼓膜があるんだぞ!お前、そこを潰す気か!!俺の耳を潰す気か!!!」

「んなモン、知るか!何だよ、お前、俺は良かれと思ってなぁ!!」


座り込んだまま言い合いを続ける2人だが、このままでは良くない。
悪童コンビはつまらない遊びをするときには息がピッタリ合うのだが、つまらない意地の張り合いも息がピッタリ合ってしまうらしく、
不毛な喧嘩に発展しやすい。
命に関わる戦いの場ならばお互いに冷静に、どっしりと考えられるのだが、何故か2人は日常だとまるで小学生のような言い合いをしてしまう。


「もういいではないか!」


それを止めたのは、征士の良く通る声だった。
年齢以上に落ち着いた雰囲気の彼に止められ、秀と当麻の言い合いは一旦止まった。


「当麻、秀がやるのだから多少乱暴になるのは解っていたのではないのか?」


大らかな彼は悪く言えば大雑把だ。
その性質から考えると解っていた結果ではないのかと征士が諭すように尋ねると、当麻は居心地が悪そうに首を竦めた。
耳はまだ押さえたままだ。


「……だって秀がやるって言い出したし…それにコイツ、下に兄弟がいっぱいいるから慣れてるかなって思ったんだよ…」

「…なるほど」


それは一理ある。
自分の家と違って兄弟仲の良い秀の家の事を思うと、征士は深く頷いた。
今度は秀の方を向き直る。


「そういう理由で当麻はお前を信用したそうだ。秀、当麻の言うとおり、慣れているから言い出したのではないのか?どうして思いっきり突き刺した?」


他の兄弟達は痛がらないのかという事を暗に聞くと、秀はばつが悪そうに頭をかく。
こういう時は決まって何かあるのが彼だ。


「………秀?」


普段から低い征士の声が更に低くなった。それに観念したように、秀が口を開く。


「いや、……俺………………………………人の耳掃除って、……初めて」

「っはぁ!!!?」


それに反応したのは当然ながら、当麻が真っ先だった。
声に出さないなりにも征士も目を見開き、驚いている。
伸も遼も、少し離れた位置で見守っていたが、やはり言葉を失っていた。


「お、おま、…え、…やった事ないのに、よくも俺の耳を…!!!」


再び当麻の眉がきりきりと吊り上がる。
これには征士も同意だ。


「秀!耳は当麻の言うとおり鼓膜もあるし、脳にも近い。それに敏感な場所だ。そんなところを不慣れな身で突くとはどういう事だ!」

「っちょ、だ、だけどよ、俺だってそんな痛いと思わなかったし、それにホント、俺、当麻に耳掃除してやりたかっただけで、
何も苛めようって思ったんじゃねぇし…!」

「そんな事は解っている!それよりも、どうしてそういう時に慎重にならないのかと私は言っているのだ!」

「そうだよ!お前、こっちはまだ耳が痛いんだぞ!!」


征士の言う事は尤もだ。
そして伸や遼の目にも、当麻の目が潤んでいるのがはっきりと解る。
よほど痛かったのだろう。
心地よい力加減で耳掃除をしてもらっている遼は、何だか申し訳ない気持ちになるほどだ。


「わ、悪かったって…!反省するからそんな怒んないでくれよ……!当麻、今度はちゃんと丁寧にすっから…!!」


もう一度チャンスを、と言う秀に、当麻は首を強く横に振って拒絶した。
その間も右耳は押さえられたままだ。


「も、いい!お前のは、ヤだ!」

「当麻、そんな事言うなって!!」

「やだやだやだ、絶対に、お断りだ!!」


頑なに嫌がる当麻だが、秀としてはお詫びの気持ちも込めて耳掃除を完遂したい。
だから必死に食い下がるのだが、もうご免被りたい当麻の気持ちも解らないでもない。


「…わかった」


追いかけっこのように言い合う2人の間に入ったのは、また征士だった。


「私がしてやろう。来い、当麻」


征士はそう言って正座すると、自分の膝を叩く。
どうやら膝枕付らしい。征士は真顔だ。
男同士の膝枕ってどうだという意味で伸が顔を歪めたのだが、当麻は別の意味で顔を歪めていた。


「…?どうした?」

「征士のは……いい」

「何故」

「その気持ち、すげぇ解るぜ、当麻……」


若干青褪めながら断る当麻に、さっきまで対の位置に居た筈の秀が同意した。
それに征士が首を捻る。


「だから何故?」

「だって征士、お前、不器用じゃんか…」


そう。
遼ほどではないが、征士もコツを掴むのに時間がかかるタイプだ。
割と器用な秀で酷い目に遭った当麻が、そんな征士の耳掃除を受け入れられるワケがない。
まだ耳がジンジンと痛むのだ。これ以上、痛い目には遭いたくない。


「失礼な。私なら慎重にやるぞ?」

「慎重に奥まで突きそうなんだよ、お前…!」


この言葉には密かに伸も同意した。
確かに慎重に、真顔でゆっくりと奥を突きそうなのが征士だ。
そうでなくても手が滑ってやはり奥を突く予感がしてならない。
それを痛がって逃げると、今度はムキになって押さえつけてまで最後まで完遂しようとするだろうことは、
秀よりも明らかに征士のほうが結果として見えていた。
だから当麻は拒むのだが、そうなると征士はやはり彼の性格上、ムキになってしまった。


「そんな事は絶対にしないから、来い!当麻!」

「ヤだって…!」

「大丈夫だと言っているだろう!」

「お前のこういう時の大丈夫は、おっかないんだってば!」

「そーだぜ、征士!だから当麻、ほれ、耳見せろ!俺がやってやっから!」

「お前も、もうヤだ!!」

「秀、お前は下がっていろ!私がやるから!」

「せーじこそ!お前、ホント無理だって、俺以上に無理だって!!」


ある意味、修羅場だ。
必死に呼び込みをする2人の間で、当麻は既に両方の耳を塞いで首を横に振っている。

そりゃそうだよねぇ…と、伸はこっそりと溜息を吐いた。


「じゃあさ、俺がしてやるよ、当麻」


そこにまさかの遼の参戦である。
伸に耳掃除をしてもらっているため横たわったままの姿勢で、遼は実に爽やかに名乗りを上げた。
これには離れた位置にいる3人同時に絶句する。
伸も完全に動きが止まってしまった。


「え、りょ、りょーがすんの…?」

「それは……それこそ、何故…」


お互いにお互いよりはマシな結果を出すと息巻いていた秀と征士は、間に居る当麻と同じくらい青褪めながら尋ねたのだが、
聞かれた遼は無邪気に「え?」と聞き返す。


「だって当麻、秀も征士も嫌なんだろ?」

「いや、で、でも俺は別にそんな、……りょ、遼もその……」

「遠慮するなよ、当麻。力加減なら、俺、今伸にやってもらってて何となく解ってきたから」


解ってきた。その遼の言葉に3人は更に青褪める。
5人中、ダントツの不器用さを発揮するのは他の誰でもない、大将の遼だ。
初見でできることなどあるのかと聞きたくなるほどに習得に時間がかかり、本人に自信があることでも多少は疑ってかかった方がお互いのためと
言えるほど不器用なのが、彼なのだ。
その彼が自信満々に、当麻に呼びかけている。
俺がやってやるよ、と。


「い、いや、………そ、……その………」

「お……おお、そのー………いや、あー…うん、……えぇっと…」

「りょ、遼…、その、……伸、すまないが後で当麻の耳を、」

「何で。伸は俺のやってくれてるんだから、悪いよ。なぁ?伸」


悪意、ゼロ。
寧ろ好意しかない。
伸の労働を減らし、言い合いをする秀と征士の折衷案を出し、そして当麻の願いも叶える。
遼なりに出した結論は正しいのだが、それが導く結果は残念なほど真っ暗としか思えない。
3人は必死に首を横に振っている。
対して遼は、大丈夫だよ、と屈託なく笑っている。

遼相手では優しさを優先してしまう当麻のことだ、このままでは遼の提案に頷いて、しかも我慢するという悲惨な選択をしかねない。
4人の弟のやりとりをある程度見守った伸は、溜息だけ吐いて後で末弟の耳掃除もしてやろうと思うのだった。




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ナスティにしてもらうのは恥ずかしいので、選択肢に出ない5人。