バスタイム



育ってきた環境云々というよりも、生まれた場所がそもそも本州の北と南ほど離れている人間がいるくらいだから、
少年達の柳生邸での暮らしはそれぞれの個性も手伝って、互いの普通が互いの驚きになることが幾つかあった。
その1つが風呂だ。

まあ伸は長風呂だし、秀の入った後はお湯が半端なく減っているし、遼の後は浴室全体に泡が飛び散っていたりする。
そして当麻が入った後はお湯が温くて、征士の後は逆にお湯が熱すぎる。

だが彼らはお互いに自分の普通こそが一般的だというほど頭が固いわけではないし、お互いを尊重しあっている。

だって伸はしっかりとお湯に浸かる事が健康に繋がるというし、大家族で育った秀は各個人の好

の温度・湯量で入れるようにと足し湯をしないと言うし、
遼は不器用だし当麻は低体温だし、征士は寒い土地の生まれだ。

だから彼らは自分自身がある程度譲歩して、そしてお互いにある程度許容して、度が過ぎる場合だけサラッと相手にそれを告げるに留まっていた。


柳生邸には特別な絆を持った少年達が、屋敷の主の優しい気遣いを受けてお互いに仲良く暮らしている。
彼らの中に特に誰と誰が気が合うというのはあっても、誰と誰の仲が悪いという事はない。
彼らはお互いが大好きだ。




「…………………くじのやり直しをしたい」


見事な渋面になった征士が小さな白い紙切れを握り締めたまま、全員に向けて言い放った。


「何言ってんだ、一発勝負だって言っただろ?」

「そうだよ、時間がないんだから文句言わないでさっさと入ってきてよね、お風呂」


自分の引いたくじをさっさとゴミ箱に入れた当麻が首だけで振り返って言うと、伸も椅子から腰を上げて食卓の上の食器を片付け始めた。
遼は首を傾げて不思議そうに征士を見ている。


「何か観たいテレビでもあったのか?」

「そうではない。ただ、」

「おーい、征士、早くしろってー」


肩を落としている征士の背に秀が声をかけた。
手にはバスタオルと着替えを持っている。


「…………………」

「ほら、征士何してんだよ。後がつかえるから早くしてってば」


食卓に戻ってきた伸が今度は少し厳しい声で征士を追い立てると、彼も諦めたのか溜息1つだけ吐いて漸く椅子から腰を上げた。




「…征士、秀と風呂入るの、嫌なのかな?」


征士が去った後の部屋で遼がこっそりと尋ねた。

柳生邸は大きな屋敷だが、元はナスティの祖父が別荘兼研究所として使っていた建物だから、部屋数はあるものの風呂は大きなものが1つしかない。
そこに現在6人が暮らしているために、風呂は次々に入らなければならなかった。
誰の後でも誰も文句はないのだが、ただ自分たちの後に唯一の女性であるナスティを入浴させるのは何だか申し訳ない。
だから風呂はいつもナスティが最初に入っている。
そしてその後で5人がそれぞれに入っていくのだが、時々その入浴の時間が大幅に遅くなることがある。

柳生邸で暮らす上での決まりごとに、食事はなるべく全員揃ってから、というのがあった。
食事は大勢の方が楽しいというのもあったし、これには今まで一人暮らし同然だった遼と当麻に対する気遣いも含まれていた。
ただそのルールを守ると、例えば誰かの帰宅が大幅に遅れたときにはその後に控えている風呂の時間までずれこむ事になった。
翌日が休日であるのならナスティもそこまで気にしないが、明日は平日で、そして預かっている弟たちは育ち盛りだ。
幾ら彼らの自由があるといっても預かっている以上、ナスティには責任がある。
どの家庭からもそう言った細かい申し出はないが、彼女自身の彼らを健やかに育ててやりたいという思いから、夜更かしは基本的に良しとしていない。


少年達の入浴時間は大体1人30分ほど。
今日のように9時半を過ぎての入浴となれば最後になった人間は11時半以降に風呂に行く事になってしまう。
それは良くない。

こういった場合の解決策。
それが、2人ずつ入浴する、というものだった。

組み合わせをどうするかで揉める時間が惜しいので、決定方法はくじ引き。
文句なしの1回勝負。
用意された紙に書かれている数字は、「1」が2枚、「2」が2枚、そして「3」が1枚。
くじを引いたらそこに書かれている数字の順番に従って風呂を済ませていく。

というルールだ。
これでやるのは共同生活が始まってから今回で3回目。
今日は伸の委員会が長引いたために食事が遅れたので久々のくじ引きとなっていた。

その紙を引いてお互いに数字を申告しあったところで、征士が急に渋面になり、先程の言葉を口にした。


「別に秀、風呂の入り方、変じゃないと思うんだけど…」


お互いにお互いを尊重してそれぞれの個性を受け入れ合っていると思っていたのに征士のあの態度を見て、遼が少し不安そうな声を出す。
ずっと1人に近かった彼は人見知りが激しいという事もあって、今の仲間との生活が最高に幸せだ。
なのに征士が急に、仲間に対して否定とも取れる言葉を口にしたから不安になってしまったのだろう。
征士は一度決めた事を曲げたり撤回したりするような性格ではないから尚更だ。

そんな遼の肩を、伸が慰めるように軽く叩いた。


「大丈夫だよ、そういう事じゃないと思うよ」

「そうだよ。……ま、征士が秀と入るの嫌がるのはしょうがないと思うけどな」


根拠はないが大丈夫だと伸が言うと、リビングのソファに移動した当麻が意味ありげな言葉を口にした。
咄嗟に2人がそちらを向く。


「……どういう事?」


何かあったのかと長兄が少し問い詰めるような口調で聞くと、末弟はソファの背凭れに頭を乗せて「あれ?」という顔を見せた。


「何?…何かあったっけ?」


意味が判らず遼も尋ねると、当麻はもう一度「あれ?」という顔をする。
今度はその後で遼と伸の顔をマジマジと見た。


「あれ?お前らもう忘れたのか?」

「忘れたって、……何を?」

「何かあったっけ?秀と征士」


当麻の口振りではどうやら皆知っている”事件”が何事かあったようなのだが、思い出せない遼と伸は互いに顔を見合わせる。
昼間の学校での事は同じクラスではないから判らないから朝の様子や最近の彼らを思い出してもみたが、やはり思い当たることがない。
仲良く2人揃って視線を当麻に戻すと、当麻は体ごとソファの上で反転させて背凭れに肘を置くと、その上に顎を乗せた。


「本当に忘れた?」


からかうというよりも、本当に何故思い出せないのかと問い掛ける口調に遼は首を傾げる。


「え、いつ?」

「いつって?」

「その、何かあったのって、いつ?」


判らない。と聞くと、今度は当麻は少し首を伸ばして台所の様子を伺うような仕草を見せた。
それにつられて伸も台所に目を向ける。
姿は見えないがナスティが食器を洗っている音が聞こえてきた。
彼女の作業がまだ終わる様子がない事を確認した当麻は、小さく手招きをして2人を自分の傍に呼び寄せる。


「ほんと、何?」


当麻の傍に寄った伸は状況にあわせて声を潜めて尋ねた。
すると尋ねられた当麻はもう一度だけ台所を確認してから2人にそっと顔を寄せて、囁くような声で話し始めた。





以前にも似た状況で風呂の時間が大幅に遅れたことがあった。
あの時は、征士の部活のミーティングが長引いたのが原因だ。

食事が遅くなったし、前にもくじ引きで一緒にお風呂に入ったし平気でしょう、という事で早速くじ引きが行われた。
その時の組み合わせは、伸と当麻が1番で、秀と征士が2番、遼は最後に1人で入る事になった。
1番になった2人が風呂を済ませ、そして交代だよと声をかけると2番を引いた2人が支度をしてさっさと浴室へと向かって行った。

秀は元々何でも楽しむ性格で、お風呂だって1人でもそこそこ、誰かがいるなら当然遊び混じりで入ってしまう。
勿論、時間が押している事は解っているから後の人のために長風呂をする事はしないが、それでも風呂場から楽しそうな声が聞こえてきた。
それに混じって何度か征士が相槌を打ったり笑ったり、時には窘めたりしている声が入る。
「楽しそうだナァ」と1人だけの入浴になった遼が羨ましそうな声を出したときだ。

秀の大きな大きな、屋敷中に響き渡るような笑い声と共にある言葉が聞こえてきたのは。





「……そう言えば何か言ってたな、秀」


そこまで話を聞いた遼が、それでも思い出しきれずに呟いている横で、伸はどうやら思い出せたらしく形容し難い表情を浮かべている。
それは怒りでもなければ哀れみでもない。


「…そういうコトね…」


当麻に応えるように一応は相槌を打ったが、それが仇となったのか、伸は堪えきれず噴出してしまった。
彼は笑うのを堪えていたらしい。
それにつられて当麻もつい笑ってしまう。
思い出せない遼だけが置いていかれた形になって、笑っている2人の顔を交互に見た。


「え、ホント、何だよ、なぁ」

「いや、だからさ」


伸が説明しようとしたところで、風呂場から秀の大きな笑い声が聞こえてきた。
そしてすぐに、征士の「もういいだろう!」という声も。

すると遂に当麻が腹を抱えて大笑いし始める。


「え、え、何だっけ、なぁ、何だっけ」


判らないままの遼が秀に負けないくらいの大声で聞くと、その口を伸が慌てて遮った。


「っし!ナスティに聞こえる!!」


小声で、でもしっかりと窘めれば、遼は何か悪いことだという事だけは解って口を塞がれたまま何度も頷く。
秀が笑うことで、征士は言わないで欲しいこと。そしてナスティにはあまり聞かせたくない内容。
それを必死に考えてみても、マイペースな遼には周囲の人の気持ちを汲めないことが多くて、やっぱり何も思い当たるものがない。
そんな彼の様子に気付いた当麻が必死に笑いを堪えつつ、そして声が大きくならないように気を付けながら身を乗り出し、
彼の耳元に口を寄せた。


「あのさ、前にアイツらが一緒に入った時にさ、」





征士のアレ、デッケェ!って秀が笑ってたろ。



耳元で囁かれた声と重なって、同じような事を言う秀の声が風呂場から聞こえてきた。
当麻が”アレ”と伏せた部分を、秀は遠慮なくモロに言葉にしながら。




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征士のはデカイと思います。勿論、イチモツ様。