スーパースター
純は誇らしげに顔を輝かせて400字詰めの原稿用紙に向かった。
国語の授業で作文を書く事になったのだ。
テーマは”スーパースター”。
ここで指すスターというのはテレビなどで活躍する憧れの芸能人やスポーツ選手などは勿論のこと、自分の身近な人間でも良いと先生は言った。
本人がこの人こそスーパースターだと思うのならばそれが自分の両親であっても、勿論良い。
1人でも構わないし複数人でも構わない。
兎に角その人の素晴しいと思うところを書くことが今回の作文のテーマだった。
スーパースター。
その単語で考えると少し照れも混じって違和感を産むのだが、純は誰の事を書くか、テーマを聞いた時から既に決まっていた。
純には兄が5人いる。
それは純とも、そして彼らの誰もが血の繋がらない兄達だ。
兄達と知り合ったのは2年前の新宿。
まだ中学生だった兄達は大人と言い切れない年齢で、体格で、それでも密かに東京と、そして人類を救った。
その兄達の事を純は書こうと決めていた。
大将でもあった兄の事を思う。
不器用だからこそ真っ直ぐに仲間を思い、本人の鎧の性質を現すように時に激しく、時に温かく人の心に向かい合う彼はいつだって一生懸命だ。
ボロボロになりながらも何度も立ち上がり、最後まで諦めずに前を見据える彼の姿に、俯きそうになる心を何度も奮い立たせることが出来た。
義に厚い兄の事を思う。
どれ程追い詰められて苦しい時でも笑顔を絶やさなかった彼は、その鎧のように大地に足をしっかりとつけ、振り返るといつもそこで笑顔で頷いてくれた。
寂しくて辛くて何度も泣いたが、その度に彼は気を紛らわせてくれて、そしていつだって俺たちが何とかしてやると安心を与えてくれた。
信じぬく強さを持った兄の事を思う。
少し先さえも見えない状況に焦る心を穏やかに宥め、仲間のことや、戦うことの出来ない自分たちのことを常に気遣ってくれていた彼は、とても優しい。
時には敵の命さえも傷つけることに迷う彼の姿は、深い情を見せ、それでも立ち向かわねばならない時がある事を幼い純に示してくれた。
信念を持って真正面から物事と向き合う兄の事を思う。
心の中に守り貫くべき固い信念を持ち、仲間を守るために先陣を切って太刀を振るっていた彼の背は、いつだって頼もしかった。
いかに不利な状況であっても最後まで前を向き背を伸ばし、真実を探し続けるその姿には人の思惑ではなく自身の足で立つことの大切さを教えられた。
人が生み出す智恵を象徴する兄の事を思う。
素直に情を表現する事については不器用ながらも、それでも仲間を思い、誰よりも仲間の性質を見抜いていた彼は常に自身を犠牲にしていた。
打つ手がないような状況でも冷静に状況を把握し、慎重に、時には驚くほど大胆に動く彼は、全ての事にあらゆる可能性があることを見せてくれた。
誰も彼も、純の自慢の兄達だ。
だがその事をそのままに書くわけにはいかない。
彼らが文字通り命を懸けて守った事を、誰も覚えてはいない。
平和な日常はあっという間に戻り、何事もなかったかのように普段の生活は返って来た。
その陰に未発達の身体で必死に抗い続けた者の存在があった事を誰も知らない。
兄達もそれを知らせようとはしない。それでいいのだと誰かが暢気に言っていたのを純は覚えている。
だから、この事をそのまま作文に書くわけにはいかない。
書いたところで誰も信じないだろう事も解っているわけだし、尚更書くわけにはいかない。
だが兄達の存在は自慢だ。
今も時折、あの懐かしい屋敷に行けば遊んでくれるし、共に時間を過ごしてくれる。
大好きで身近で、憧れる5人の兄。
ではその5人の事を、作文に書けるようにと純は彼らの別の面に目を向ける事にした。
人としての心の鎧を受けた兄の事を考えてみる。
不器用だ。とても不器用だ。
この間など脚立を出すだけで何故か2回も転び、昇る途中でも動きが怪しかったのですぐに身軽な末の兄と交代になっていた。
そして自分の不甲斐なさに涙ぐみ、長兄に人には向き不向きがあるからと慰められていた。
人との付き合いで欠いてはならない心の鎧を受けた兄はどうだろうか。
よく食べよく笑いよく遊ぶ彼はいつだって元気だ。
人を楽しませることも好きな彼は、そういえば先日遊びに行った時、鼻に割り箸を入れて変な踊りを踊り、みんなを笑わせてくれたが調子に乗りすぎて
転倒し、両方の鼻から思いっきり血を流して周囲を慌てさせていた。
最後まで信じぬく心の鎧を受けた兄の事はどう書こうか。
とてもとても優しい彼は、同じ人間以外の命に対しても優しい。
が、確か屋敷から少し離れた場所に住む家族が釣りに行ったからとお裾分けを受けたとき、保冷ボックスに入った魚を見て涙ぐみ、最終的に
持って来てくれた家族にまで気まずい思いをさせていたような気がする。
真の意味で相手を敬うための心の鎧を受けた兄はと言えば。
常に真っ直ぐ前を向き、有耶無耶のうちに闇に葬る事を良しとしない彼は、度が過ぎてちょっと変わり者だ。
そう言えばこの前、遊びで始めたバドミントンにムキになり、日が暮れても試合を続行しようとしてみんなに大反対されていたではないか。
負けず嫌いというのは何となく解っていたが、幾らなんでも度が過ぎる。
全てを知り活かす心の鎧を受けた兄はどうだ。
些細なことでも常に好奇心を示す彼の知能指数は高く、常人の領域とはかけ離れている。
それは知識のことだけではなく睡眠に対してもそうで、みんなで映画を観ようとリビングを暗くした途端、彼はアッサリと眠りの世界に落ちた。
別に眠るだけなら構わないが、いい所で寝言を言う、盛り上がってる所で寝返りを打ってソファから落ちると、ちょっと、いやハッキリ邪魔だった。
「……………………」
純は原稿用紙を前にして、迷いが生じ始める。
書きたいのは5人の兄のことだ。
だが書けない。
書きたくともかけない。戦いのことがどうとかではない。
”スーパースター”として書けるようなことが何一つ思い浮かばない。
そうではない筈だ。日常でも彼らの事は大好きだ。だから純は必死に思い出そうとした。
よく一緒に遊んでくれるのは遼兄ちゃんと秀兄ちゃん。
昔ながらの仕来りなどを教えてくれるのは征士兄ちゃんで、知らない世界を教えてくれるのは当麻兄ちゃん。
優しく話を聞いてくれるのが伸兄ちゃん。
なのだが、……アレ?ってな状態である。
解っているのに書こうと思って鉛筆を持つと、浮かんでくるのは兄達の駄目な姿ばかりだ。
コレじゃマズイな……
困った純は方向転換を図る事にする。
一方から見て手がない場合は、あらゆる角度で物事を見てみるべきだ。
それは末弟である智将が教えてくれたことだ。
純はそれを実行する事にした。
兄達を書きたい。
その一番の理由は、誰も知らない、けれど誰もが関わった筈のあの戦いのことが根底にある。
「………………そっか」
何も兄達だけが戦っていたのではない。
あの場には姉もいた。
自分と同じように実際には戦うことが出来ず、だからこそ彼らのサポートに懸命に回っていた姉がいた。
姉のことも尊敬している。
純は兄達の事は諦めて、姉の事を書こうと考えを変えた。
では姉はどういう人物だっただろうか。
いつだって穏やかに微笑んで、戦いで荒れた兄達の心をまるで母のように優しく受け止めていた彼女。
祖父を亡くしたばかりで辛い心を、戦いの終結に向けることで弔いとした、芯の強い彼女。
の、日常での側面を思い出してみる。
5人の兄達を預かり、今は毎日が本当に母親のようだ。
遊びに行くたびに長兄と共に美味しい料理を振舞ってくれる。少し後ろに控えて兄達の遣り取りを微笑ましく見ている。
そんな彼女だが、ちょっとズレているところがあるのは国外での生活が長かったからだろうか。
いや、そう言えば確か、いつだったか兄達がお弁当で似顔絵を作られたと言ってゲッソリとしていた事がなかっただろうか。
一緒に行った兄達の体育祭で、彼らの親に送る写真の撮影に夢中になる余り、コース内に踏み込む事は1度や2度では済まない。
サイクリングが好きらしいが夜道は危ないと言われたのを、電灯付のヘルメットを被れば大丈夫と見当違いの答えを返した事もあった。
「………………………」
駄目だ。
兄も姉も、もう全然、駄目だ。
彼らの事を尊敬している。大好きだ。面と向かって言う事に照れが出るくらいには成長してしまったが、それでも自慢したい兄と姉だ。
なのにどうして思い出せば思い出すほどに、何かもう、駄目としか言えない姿しか出てこないのは何故だろうか。
戦いの場だったから彼らが素晴しい人間に見えていただけなのだろうか。
いやそんな筈はない。実際に今も彼らと一緒にいると純は誇らしい気持ちになるし、自分ももっと頑張ろうと思えるほどだ。
なのに、何故。
原稿は真っ白のままだ。
隣の席からも後ろの席からも、そして前の席からも鉛筆の音が聞こえてくる。
みんな誰の事をどんな風に書いているのだろうか。
ちょっと覗こうかなと思ったが、そんな事をしてもどうにもならない。
自分の言葉で、自分の心で書き綴りたい。
何てったって他の誰のでもない、自分の”スーパースター”なのだから。
純は悩んだ。
悩んで悩んで悩みぬいた。
姉を含めて上から下の兄まで、みんな大好きだし本当に”スーパースター”だと思っている。これは本当だ。
「…………………………よし、…」
純は鉛筆を手に取った。
最初の行に、「僕のスーパースター」と書き込む。
二行目には自分の名前を書いた。
『僕のスーパースターは、お母さんです。何故ならお母さんは………』
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大好きなんですよお兄ちゃんたちの事もお姉ちゃんの事も。
それこそ駄目な点も含めて、全部。