お弁当
自信がないわけではなかったが、経験は乏しく、1年という実績だけでは不安があった。
それに、その1年を経験させてくれた少年はあまりにも優しく、正当で公平なジャッジを下してくれているとは思い難い。
彼を信用しないわけではないが、兎に角その少年は優しいのだ。だから。
「お弁当、美味しかったかしら…?」
ナスティはまず帰ってきた黒髪の少年に尋ねた。
釣りあがった眦の少年は母親を早くに亡くし、写真家の父親は世界中を忙しなく飛び回って滅多に家に帰ってこないために、
山に近い実家では殆ど一人暮らし同然だったが、割と好き嫌いなく何でも食べる。
味の好みに偏りはあるが味音痴というワケではない。
ただ嘘が吐けない性質だ。思っていることが顔にすぐ出る。
そんな彼にこの質問をするのは少々勇気が要ったが、先に帰ってきたのが彼、遼だったので仕方がない。
「お弁当?美味しかったよ」
笑顔付きの答えと共に彼の鎧とお揃いの赤い包みが返って来た。
手渡された弁当箱は軽い。
それにナスティはホッと胸を撫で下ろした。
「そう、なら良かったわ」
次に帰って来たのは、秀だった。
中華街でも人気の料理店が実家と言う彼だ。ここは中々にハードルが高いかもしれない。
だがナスティはまた勇気を振り絞って、遼にしたものと同じ質問を彼にも向けた。
「え?弁当?」
斜めにかけたエナメル素材のバッグを漁り、彼の鎧と同じ色の包みを取り出すと、弾んだ声が返ってくる。
「すっげー、美味かった」
「そ…そう?でもアナタのお母様の方がお料理は上手でしょう…?」
「そりゃ母ちゃんのは美味かったけど……味はいいけどホラ、なんてーの?彩り?そういうのに欠けてたからさぁ」
そう言って秀は苦笑いをした。
だがそれは母親の料理を卑下しているのでもなく、ナスティに気を遣っているのでもないのは、彼の人柄からもよく解る笑い方だ。
「あんなに綺麗な弁当、俺、初めてかも」
そう言って秀は部屋へと上がっていった。
続いて帰って来たのは、青い髪の天才だ。
寄り道をしてきたらしい当麻は、手に本屋の袋を持っていた。
普段面倒臭がりの癖に好きな本ともなるとどれ程の分厚さがあろうとも、全く意に介さず持ち帰る彼は相当趣味が偏っている。
そんな彼も遼と同じく両親が不在がちの家庭で育っている。
ただ遼と当麻の違いは母親は健在だという事だ。
両親は離婚済みだが好き放題の両親を見て育っている彼は、人に気を遣わないでもないが本人も好き放題という面が強い。
その彼にもやっぱりナスティは尋ねた。
お弁当はどうだったか、と。
「え?弁当?」
肩にかけていた鮮やかな青の合皮鞄を開けると、同じく青い包みを出してくる。
それをナスティが受け取る前に軽く振って、その音を聞かせた。
「ちゃんと残さず食べたよ」
「そ、…そう」
把握しにくい答えだ。美味かったのか、腹が減っていたから食べただけなのか。
食道楽な上に地元が食文化の土地だ。味に煩いといわれる土地生まれの彼の口に合ったのかどうか聞きたいのに、解らない。
少しだけ不安が滲んだのか、姉代わりの人物の顔を見た当麻が口端に笑みを浮かべる。
「美味かったよ、当然じゃん」
最初からハッキリ言わないのは彼の性格だ。
別にイジワルがしたいわけではないが、人の感情や意図をあまり意に介さないところがある。
けれどその言葉は、素直だ。
「それにさ、俺、人の作ってくれた弁当って久々で、ちょっと……………うん、…その、…嬉しかった、かな」
そしてその態度はもっと素直だ。言葉なんかよりもずっと。
思い切って伝えた後で耳を赤くして「本読んでくる」とだけ言ってそそくさと去っていった末弟を、ナスティは安堵も込めて微笑みながら見送った。
お次は征士だ。
高校に入るなりさっさと剣道部に入部している彼は中学での功績が既に教師の耳に入っていたらしく、まだ部活動の勧誘も始まっていない4月の初っ端から
他の上級生に混じって竹刀を振っている。
その彼に、やっぱりナスティはこれまでと同じ質問をした。
「ああ、とても美味しかった」
ありがとうと丁寧に礼を言いながら緑の包みを出してくる。
やっぱり箱は軽かった。
「そう?ありがとう。……もう少し和食寄りの方が良かったかしら…?」
さり気なくリクエストを聞いてみる。
彼の実家は地元でも有名な名家だ。そしてどこか時代遅れにも見えるほどに、純和風だ。
征士自身はとても派手な容姿で到底、生粋の日本人には見えないが、それでも彼の家は純和風だ。
和食が作れないわけではないが、フランス育ちのナスティとしてはやはり洋食のほうが手馴れている。
不慣れな上に朝の忙しい時間の弁当作りは中々に大仕事で、だからこそつい、慣れたフライ物を作ったのだが、それが彼にはどうだったのか気になるらしい。
だが征士は少しだけ笑って首を横に振った。
「確かに実家の料理が基本的にそうだし、食べ慣れているといえばそうだが、私だって洋食は好きだ」
そう、幾ら落ち着いていると言っても征士だって育ち盛りの10代だ。
エビフライやコロッケなんかの解りやすくエネルギーにもなりやすい物だって勿論、好きなのだ。
それを言うと、ナスティはまた1つ安心して微笑んだ。
「そう?だったら良かったわ」
その言葉を聞いた征士も笑って、それから彼も着替えるために2階にある自室に上がっていった。
最後に帰って来たのは、クラス会で遅くなった伸だ。
水色の包みを鞄から出してきた彼に、ナスティも今更かもしれないけど、と切り出して弁当の味について尋ねた。
「え?お弁当?」
どうしたの急に、とやっぱり伸は目を丸くして驚いていた。
そりゃそうだ。去年1年間、他の仲間より先に高校生になった伸は柳生邸で一足早く生活をしていた。
その間中、弁当を作っていたのはこの姉だ。
確かに弁当箱は今日から新しいものに変わっている。
5人揃ったのだからと言って、春休みの間に彼女は張り切ってそれぞれの鎧の色に合わせた弁当箱と専用の包みを購入していた。
勿論、秀と当麻のものは他の3人よりも大きいものをちゃんと選んでいる。
箱が変わったからと言っても、別に中身が突然変わるわけではない。
ちゃんと去年1年と同じく、ちゃんと、ちゃあんと、美味しかった。
「美味しかったよ。どうしたの?ホント」
聞き返した伸の表情に不安が混じり始める。
もしかして、と声を潜めた。
「誰かの口には合わなかった?」
自分以外の4人は個性が強すぎるからなと伸は考えた。
傍から見れば伸だって結構個性的な気がする姉は苦笑して、違うの、と告げる。
「単にね、…その…心配だったのよ」
料理は好きだが、お弁当と言う文化には少し縁が無かった。
フランスにいた頃にもランチボックスは持っていたが、何と言うか日本のお弁当文化は他国から見ても特殊だ。
栄養バランスも彩りも、全てに配慮がある。
普段の食事でもその辺は気遣っているものの、”冷めても美味しい”という条件が入ってくるお弁当は更に難易度が上がる。気がする。
だからみんなの”お弁当初日”の反応が気になっていた、と。
「でもそれって去年1年、僕のを作ってくれてたときは心配じゃなかったの?」
「その時も色々心配だったけど……その、…あなたは優しいから、私がどう?って聞いたら絶対、大丈夫だよって答えると思って」
5人の中で一番気遣いが出来て一番優しいお兄ちゃんの意見は、こういう時にはあまり参考にならない。
悪いわけではないが、困ってしまう。
「うーん……それを言われると僕自身もちょっとどう答えるか解らないなぁ。でもナスティの料理はみんな大好きだから大丈夫だったでしょ?」
「ええ。嬉しい事にみんな、綺麗に食べて来てくれたわ」
「だろうね。実際美味しいしさ、綺麗だから僕、去年結構羨ましがられたんだよ?」
「そうなの?」
「そう。下宿してるって言うのは最初から結構みんな知ってたけど、作ってもらってるお弁当は綺麗だし、運動会に来たお姉さんは綺麗だしで、
暫くは他のクラスからも冷やかされたりもした」
笑いながらそう言った伸はナスティに包みを手渡し、後で夕飯の準備手伝うよと言って2階へと上がっていった。
出身地も味覚も、個性もバラバラの5人の少年は育ち盛りだから栄養面に気を遣ってやりたい。
食事は目で楽しむものでもあるから、彩りだってそう。
だからこそドキドキしていたが、彼らの反応は素直で正直で、そして嬉しいものだった。
いつもおしとやかで、典型的な”綺麗なお姉さん”のナスティがこの日、静かにガッツポーズをとったのを、少年達は知らない。
「中庭でみんなで、って何か遠足みたいだな!」
「天気も良くて良かったよなー!何かテンション上がってきた!」
「ほら、解ったから秀も遼も座って」
「そうだよ、早く食べよう。俺、腹減った」
「だからもう少し待て、当麻。遼と秀がまだ包みを開けてないだろう。昼休みまで我慢できたんだから、もう少しだけ我慢しろ」
何となく遼が口にした、みんなでお弁当を食べたいと言う要望は、案外早くに実現した。
のは、みんなも何となくそういう気持ちがあったからなのだろう。
昼休みのチャイムが鳴るなり教室を出て、そして下足室で待ち合わせてから伸の案内で中庭で食べる事になった。
円を描くように座り、5人それぞれににこにことしている。
遼と秀は無邪気に目を輝かせて。
征士と当麻は仲間でしか見れないような笑みを浮かべて。
そして伸は、そんな彼らを微笑ましく見守りながら。
「いっせーのーせ、で開けようぜ!」
秀が言った。
中身は5人とも同じだ。
同じクラスになった征士と当麻の弁当の中身は大きさの都合から量に違いはあったが、内容は同じだったと言っていた。
それは解っていても、やっぱり何となくそういう事は楽しみたい。
「うん、わかった」
「フライング無しだからな」
「それはお前が一番疑わしい話だ」
「もう、征士、そういう事言わないの。ほら、じゃあ秀、言いだしっぺなんだから掛け声よろしく」
色も形もそれぞれの手が、色違いの蓋に伸びる。
「よし、じゃあ……いっせーのー…せ!!!!!!」
一斉に開けた。
満面の笑みだ。
「………っ」
「…!?」
「………………」
「!!!?」
「……………………。」
その笑みも、動きも、全部全部、揃って止まった。
そして再び全員揃った動きで蓋を閉める。
「……見た?」
「…え、……っと」
「…………うん、凄い…上手いと思うよ…一瞬しか見てないけど」
「いや、確かに上手いは上手いがこれは…」
「……すごい食べにくい……のは、俺だけか?」
言いながら当麻がゆっくりと蓋を再び開けた。
そこにあったのは、ハムや茄子などを駆使して再現された、
「……これ、…俺、だよね?」
当麻の顔があった。
全員それを見て頷き、そしてそれぞれに自分の弁当箱の蓋を開ける。
そこにあったのは、同じくハムや海苔や玉子を駆使して作られた、彼らの似顔絵だ。いや、正確には似顔絵が描かれたご飯だ。
「いやー……ナスティ、上手いわ、ホント」
「こういうの、何て言うんだっけ、リアルの反対って言うか何て言うか…」
「デフォルメ?」
「そうだな、それだな……自分でも似ている気がするほどに、上手いな、これは。…だが…」
5人の視線は膝に乗せた弁当箱に注がれている。
そして誰もが思った。
”教室で食べなくて良かった”。
*****
遼と伸と征士はそれぞれ回して別の仲間の分を、秀と当麻はお互いに交換して食べました。
自分の顔は食べにくい!って。
そして帰ったら5人揃って言いにくそうに切り出します。「流石にアレは…」