作戦会議
ただいま、と玄関から聞こえた遼の声に元気がない。
何かあったのだろうかと伸は思いながらも、下手に気を遣うと彼はそれを上回って気を遣うタイプだと解っているので特別何も対応を変えずに
彼がリビングに姿を見せるのを待った。
それはどうやらソファに座っている征士も、そしてその征士の膝の上に遠慮なく膝から下を乗せて寝そべるようにしている当麻も同じだったらしい。
「おかえり」
伸が何事もないように声をかけると、遼は改めて「ただいま」と言った。
その表情には苦しみも悲しみもない。
ただ困っているように見えて、彼に気付かれないように3人は目を合わせた。
「………どうしたの?遼」
何か考え事?と続けたのはやはり伸だ。
こういう時に話を切り出すのは伸の役割と言っても過言ではなかった。
秀も上手いといえば上手いが、彼の場合話を聞いて元気付けたり気分転換をはからせる事はできても、根本的な解決に繋がらない場合が多い。
征士はというと、マイペースな彼は最終的に「納得するように動けばいい」と言って終わってしまうし、当麻だと理論的過ぎて解決は早いが、
遼のような性格の人間だと気持ちが頭に追いつかず、本人の中で消化不良になってしまうことが多かった。
ナスティがいれば彼女もその役割を担うのだが、生憎彼女は現在、街へ買い物に出ている。
屋敷は広く、大型の冷蔵庫のほかに貯蔵庫も備わっているのだが、食べ盛りの少年5人(それもその内2人は人並み外れて食べる)を預かっていると
そこに幾ら食料を置いておいても3日もあれば空っぽに近くなってしまうのだ。
兎に角、ナスティがいないので伸が切り出した。
すると遼は、
「……うん、……ううん……」
とやはり表情と同じでスッキリしない返事を返してくる。
何か悩んでいるのだろうか。そう思って伸は広げていた雑誌を一旦閉じて姿勢を正した。
「どうしたの?何か困ってるなら話を聞くよ?ちょうどいいアドバイザーも2人いることだし」
そう言ってソファにいる2人を見る。
仲介人がいれば彼ら2人の答えが正論過ぎようとも、相談者を傷つけることは回避できるものだ。
征士が無言で頷き、そしていつまでも寝そべっている当麻の腿を軽く叩いて話を聞く体勢に入るよう促した。
叩かれた当麻はその箇所を擦りはしたものの文句も言わずにソファに座りなおす。
もうこういう光景も慣れっこだった。
「ありがと、………うん、その…さぁ…」
「うむ」
「その、……サッカー部で一緒のヤツが遊びにきたいって…」
「どこに?」
「ここに」
「ココって、…柳生邸って事かい?」
3人から聞き返されてる間も遼は困った顔のままだった。
部活の友達が来る。
少年5人はこの屋敷に下宿している身だ。
自宅ではないのだから、確かに考えようによってはそれは迷惑なことなのかもしれない。
だがこの屋敷の主でもある姉代わりの人物は、そんな事を気にするような人間ではない。
そもそもそういう事を気にしているのなら最初から彼らと共同生活を営もうなどと思いようもないはずだ。
だから遼が友達を連れて来たいと言うのなら、常識範囲内でというのは勿論あるにしても、反対する理由は特にはない。
のだが、遼のこの表情だ。
何かあるのだろうかと訝しみ、今度は征士が口を開いた。
「部活の友人が来ると何か困る事があるのか?」
そう聞くと、遼は困り顔に更に複雑な感情を上乗せして曖昧に頷いた。
「何?ソイツは遼の事を友達って思ってるけど、遼は好きじゃないとか?」
何事もストレートに言う当麻は、こういう時もオブラートに包む気がない。
それを伸が、ちょっと、と嗜めたが今度は遼が曖昧ながらも苦笑いをして頷いた。
「好きじゃないの?」
それに伸が意外そうに反応する。
好ましい好ましくないがハッキリしている征士や、人付き合いの下手な当麻と違って遼は”得意ではない”人間はいても、好きではないというのを
あまりハッキリ見せない。
なのに彼は当麻の問い掛けに頷いて見せたのだから、これは伸でなくとも意外だろう。
「好きじゃないって言うか………そもそもあんまり話した事がないんだ」
「話した事がないのに遊びに来たいと言ったのか?」
「うん」
「何故?どういう話の流れでそうなった」
さして親しくない人間が、自宅に来たいと言うよりもハードルが高い筈の下宿先に来たいと言うのは妙だと征士は言外に言った。
「その、俺たちが下宿してるっていう話になって…」
「それで来たいって?お屋敷だから?」
そう言ったが当麻は既に他の可能性を見ているらしく、目が少し厳しくなっていた。
眉根も寄せて、顎に手をやっている。
何か考える時の彼の癖だ。
「…ソイツ、何てやつ?」
「後藤っていうんだけど」
「誰?」
遼に問い掛けた直後に、当麻はそのまま視線を征士に向けた。
「私に聞いてどうする。お前、心当たりがあって聞いたんじゃないのか」
「今の隣の席の女子の名前もあやふやな俺が他のクラスのヤツなんて知るわけないだろ」
「そんな事を威張らないでよ、当麻………じゃあ何で聞いたのさ」
「いや、征士知ってるかなって」
「私も知るわけないだろう。よほど興味のある人間でなければクラス外の人間など」
「だから征士も威張らないでって。兎に角、その後藤君だっけ?その子、遼とそんなに話した事もないのにココに来たがってるんだ?」
「……………うん」
「で、困ってるのは何を話していいか解らないから?」
「……………………うん、…まぁ」
「いや、遼。お前、本当は断り方で悩んでるだろ」
「…………………………………………………うん」
遼の性格や表情から察した当麻が、また言い難い事をズバっと言ってしまったが、間があったものの遼もそれに素直に頷いた。
「だってここはナスティの家だろ?俺の自宅じゃないし………それに……」
「それに?」
「………ここはさ、その…俺たちの、特別な場所でもあるから…」
「そこに他人に入り込んで欲しくないんだね?」
「……うん」
あの苦しい戦いを共にした仲間達の生活する空間。
特別な絆を持った自分たちの、自分たちだけの空間に他者が入ることを遼は嫌がっているらしかった。
それは考えようによっては排他的で心が狭いとも取れるかもしれない。
だがここにいるほかの仲間もそれを否定するつもりはなかった。
そこまで歳が離れていないが、母のような優しさを見せる姉代わりの女性の家は少年達にとっても第二の我が家のようなものだ。
そんな大事な場所に他の者が踏み込むのは、譬え何と言われようとも首を縦になど振れない。
「じゃあ断ろう」
「うん。でも……」
「”でも”何だ。まだ何か引っ掛かるのか?」
「いや、何で急に後藤はそんな事を言い出したのか俺、解らなくって…」
「解らないから断るのも踏ん切りがつきにくいんだな?」
「うん。だって来て欲しくないのは俺の理由だから。…後藤に何か非があるわけじゃないけど、理由を誤魔化す自信がなくて…」
「後ろめたいわけだ」
苦労する性格だな、という言葉を飲み込んだ当麻は代わりに溜息を吐いた。
「確かにソイツのことがよく解らんのはあるな。…なぁ、遼、そいつ、何組?」
「4組」
「では秀に聞けば人となりはおのずと見えてくるはずだな。……そういえば秀はどうした?」
「あ、そういえばいないな………秀、若しかしてまだ帰ってなかった?」
「いいや、部屋にカバンがあったから帰ってるはずだよ。どこ行ったんだろう」
「いやいや、いやいやいやいや…お前ら正気か」
「何だ当麻」
「秀、風呂の掃除当番だろうが、今週」
「…あ」
「そう言えばそうだった」
「すっかり失念していたな」
「ヒデェな、おい……ってなワケで………………っしゅー!ちょっとコッチこーい!」
空気を多めに吸い込んで当麻がリビングから呼びかける。
何て横着なと伸も征士も呆れたが、よく通る声に反応した秀がジャージを膝下まで捲り上げた姿のままリビングに現れた。
「んだよ、一生懸命掃除してるってのに…せめて呼びに来いよ!俺は犬か!」
秀はどんぐりのように丸い目で呼び出した張本人を睨みつつ、その肉の薄い頬を抓った。
「イタイイタイ、放せって馬鹿」
「何が馬鹿だ!この横着モン!」
「はい、そこまで。続きは後でやって。用があって呼んだんだから」
幼馴染のこの2人は一度じゃれあうと中々終わらないので伸が割って入った。
それも釈然としない秀はぶぅっと頬を膨らませたが相手が相手なので早々に気持ちを切り替える。
「で?何で一生懸命な俺を呼んだわけ?」
「秀のクラスに後藤というのがいると聞いてな」
「後藤?あー、いるけど……何?」
声のトーンは変わらなかったが、秀の眉間に珍しく皺が寄ったのを全員、見逃さなかった。
「なに、何か面倒なヤツなのか?」
「いや…そこまでじゃねーけど……後藤が何?」
「何でもその後藤君がね、ここに遊びに来たいって」
「はぁ!?誰に、んな事言ったんだよ!?」
「俺に」
「いつ!?」
「今日。部活の休憩中に」
「何で!?」
「俺たちが下宿してるって話になって」
鼻息を荒くして興奮気味の秀に気圧されつつも遼が律儀に答えると、秀はアイツ…!と短く怒声を放った。
それを真正面から聞かされた遼は目をパチクリとして驚き、伸も同じく、そして征士は険しい表情になってその様を見守ったが、
何か思い当たる節のある当麻だけは冷静なままだった。
「………ナスティ?」
そして何やら怒りを覚えているらしい秀が言葉を続けないので、代わりに当麻が静かに言った。
「え?」
「ナスティ?」
「それがどうしたというのだ」
わけの解らない3人の視線が秀から当麻に移る。
だが当麻が答えを言う前に、秀が激しく「そー!絶っ対、そうに決まってる!!」と喚いた。
「え、何。俺、全然わかんないんだけど…」
「ナスティがどうしたっていうんだい?」
「うん、だからさ、ナスティが目当てかなって」
「…何だと?」
そうだろ?と当麻が秀に聞くと、また秀は、絶対それしかねぇ!とやはり喚いた。
「つまり、どういう事?後藤君は、ナスティに会いたいの?」
「だと思う。なぁ、秀、そいつ、そういうヤツ?」
「そーゆーヤツ!」
「どういう奴だ。ちゃんと説明してくれ」
征士が若干宥めつつ聞くと、秀はふぅふぅと鼻を鳴らしながらどうにか落ち着きを取り戻そうとする。
少しだけ間を置いて、漸く秀の興奮が収まったようだ。
「後藤はさ、そこまで悪いヤツじゃねーんだよ。お調子者だけど面白いし。けどアイツ、ちょっと面倒なトコロがあってさぁ…」
聞くとその後藤君とやらは、男ばかりの3兄弟の長男らしい。
歳の割りにガタイのいい彼の弟たちも兄と同じく、という。
そんなむさ苦しい環境で育った彼は、どこか夢見がちな部分があるというのだ。
どこに、というと、女性に対して、夢見がちなのだと。
曰く女性はいい匂いがするだとか。
女性は無駄毛など生えないだとか。
そして、女兄弟がいればちょっとエッチなハプニングが日常にある、だとか…
そんな風な彼は、秀に妹が2人いると知ったときも大層食いつき、1人大盛り上がりを見せてちょっと鬱陶しかったのだという。
いや、鬱陶しいくらいなら性格的なものだと割り切ればいい。
だが彼はそこで留まらなかった。
秀の家にやたらと行きたがり、洗濯物、特に下着についてそれはそれはしつこく尋ねてきたというのだ。
これには流石に長兄である秀は憤慨した。
別に妹たちは目に入れても痛くないほどの溺愛対象ではないが、やはり大事な存在に変わりはない。
そんな彼女達を邪な目で見、その上冗談交じりとはいえ下着を盗めないかと口にする彼を、秀は危うく殴り飛ばしかけた。
そんな事をすれば如何に理由があろうとも停学処分は免れないため他の友人が慌てて止めてくれ、その場はどうにか収まった。
が、秀の中にもやもやとした感情は残ったままだ。
「ホント、調子乗りってのがネックだけど普段は胸糞悪いヤツじゃないんだ。でも…」
何だか彼を庇っているような発言になっているが、やはり秀も彼がここに来るのはヨシとできないようだ。
「多分、ナスティが困っちまうような質問とか絡み方をする気がするんだよな、俺…」
そう続けた秀に、誰もが同意した。
「当麻、よく気付いたね」
「そうだよ、当麻、後藤のこと知らなかったんだろ?」
「下宿の話したら来たいって言い出したっていうから、ひょっとしてって思ったんだよ」
「確かにそういう話になれば自然とナスティの存在も話す可能性は高いからな」
「ま、兎に角当麻の予想通りって事だろうな。何にしても俺は反対だぜ。ナスティ困らせるのは嫌だ」
秀の言葉にまた皆が同意する。
彼の来訪は却下。それが決定した。
さて、暫しの沈黙。それを破ったのは遼の呟きだった。
「………………白炎がいるからって…言おうか」
「何がだい?」
「断る理由だよ。白炎がいるから困るって言ったら角がたたないかなって」
「いや待て遼。冷静に考えて家に白い虎がいるなどと言ったら却って興味を引いてしまうぞ」
「だから、白炎が怖がるからって…」
「いやいやいやいや、どっちにしろ意味ねーと思うぞ。ここは”征士がいるから”ってのにした方が…」
「どういう意味だ、秀」
「や、だからさ、家には礼儀に煩い征士がいるからって…」
「失礼な…!そもそもそういう事なら、当麻がいるからと言った方がいいではないか!」
「お前っ…!お前こそどういう意味だよ!」
「あー、神経質な当麻がいるからって言うってのかい?」
「うむ」
「俺はどういう風に見られてんだよ!」
「そうだよ、当麻は神経質なんかじゃないって」
「そんなん、俺らは知ってるよ。どっちかっつーと神経の図太い男だってさ」
「秀!」
「でも確かに当麻ってパッと見は繊細で神経質そうだもんね。それを言えばいいかも?」
「良くない!ちっとも良くない!俺が納得せんわ!」
「煩いな、ナスティのためだ。ちょっと理由に使われろ」
「おーまーえーらーなぁ!!」
「大丈夫だって当麻、俺、言わないから!絶対に言わないから……!」
「んじゃどーすんだよ」
「え、…………ど、どうしよう……」
あわあわとしていると、外から車のエンジン音が近づいてきて主の帰宅を告げる。
兎に角、続きは夜で。
誰ともなくそう言いあうと、大量の食料を抱えた彼女を手伝いに5人は勝手口へと向かっていった。
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深夜にはナスティに内緒で遼の部屋に集合して、会議の続きをするんだと思います。