もしも、もしも
「なぁなぁ!あのさ、問題!」
学校から帰ってくるなり、秀は部屋にカバンを置きにも行かずにリビングにいる仲間の下へと駆け寄った。
「なに?」
ちょっと面倒臭そうに聞き返した伸とは違って、遼は既に身を乗り出して秀の話を聞く体勢に入っている。
「あのさ、あのさ、もしもの話しな」
「うん」
「もしも、だぜ?もしも、」
「解ったから早く話を進めてよ」
妙に笑顔でもったいぶる秀を伸が急かすと、どーにゅう部って大事だと思う!と、恐らく当麻から聞いたばかりと思われる言葉を使って秀が言う。
言い方に慣れが見れないのだ。
それを、いいから、と少し突き放すように言えば、口を尖らせて渋々、けれどすぐにまた人懐っこい笑顔に戻って秀は続けた。
「もしも、新宿のスクランブル交差点に全裸で放り出されてさ、隠せるのは両手使ってだけ…ってなったらどこ隠す?」
「……………………………は?」
「…えっ」
新宿というのは自分たちが出会ったあの場所で間違いはないのだろうか。
そこに、裸で?
あまりに突然すぎて意味が解らず、遼と伸はほぼ同時に聞き返した。
「全裸?」
「素っ裸?」
それに秀は、何故か自信満々にそう!と胸を張った。
「そこの、スクランブル交差点に?」
「放り出されるのか?」
「そう!言っとくけど俺らが会った時みたいな非常事態でもなけりゃ、人がいない状況でもないぜ?普通の、いつものあのワーって状態な!」
それぞれが地元にいたときからテレビなどで見た事のある、そして今ではたまにではあるが直に見る事もある、あの人込みを想像する。
沢山の人がいて、それが一斉に動き出すあの場所。
そこに何も着ていない状態で、一人ぽつんと佇む自分。
隠すものもなく、使えるものは己の両手のみ。
一対一なら相手の目を隠せば済むが、そこは多対一だ。
「……………や、やっぱりアソコ隠すかな…」
恥ずかしそうに遼がボソリと呟いた。
「そう、……だね。僕もそうするかなぁ……女の人じゃないから胸は隠さなくていいし…」
少し考えて伸も同じような答えを出した。
それを聞いた秀の笑みが深くなる。
そして得意げに鼻を膨らませ、甘いなー、と言った。
「じゃあキミならどこ隠すってのさ」
何となくその態度が気に入らなかった伸は刺々しい声で聞き返すと、やはり秀は得意げ胸を張り、今度は腕組みまでして偉そうな姿勢になった。
「俺ならぜってー、顔、だね!」
「かお?」
秀が言うにはこうだ。
方法などはこの際置いといたとして、全裸で放り出された時点でもうどうしようもない。
衆人環視の下、全ての人の記憶を消すことも事情を説明するのも相手が多すぎて無駄だ。
股間を隠すのは人の羞恥心が働くからだとしても、それでもそれで全てが解決するわけではない。
だったらせめて”自分”を必死に隠すのであれば、それは最も有効なのは顔という個人情報だ、というのだ。
「……顔かぁ…」
有り得ない話に何を言うかと思っている伸の隣で遼は感心しきりの様子だ。
そもそもまず、一体何がどうなって全裸で突然そんな場所に放り出されるような目に遭うというのだろうか。
伸はそう考えて、馬鹿馬鹿しい、と結論付けたがどうも2人は盛り上がってしまっている。
秀すごいな!そうだろそうだろ!なんて。
「……キミさ、若しかして帰ってくる途中ずぅー…っとそんなコト考えてたの?」
呆れて冷たく言えば、秀は首を横に振ってくる。
「まっさか!…ま、俺もさ、最初はチンコって考えたんだけど……」
「どこで」
「え?ガッコで」
「学校?俺、知らないけど」
「あー、言い方が悪かった。俺のクラスで今日そういう話が出たんだよ」
「クラス?友達の間じゃなくって、クラス?」
「そ!」
どうやったらクラス単位でそんな話になり、ベスト回答を募る事になるのだろうか。
伸はコメカミを押さえてしまう。
「で、そこで出たのがそういう答えだったってワケ!」
「なるほどな。凄いな、ソレ!」
「おう!本当、そんな目に遭ったらまず落ち着いて冷静に、俺は顔を隠すと誓った!」
「うん、俺ももしそうなったら、顔を隠すよ!」
いや、だから滅多にそういう目には遭わないから。
そもそも最初に”もしも”の話って言ってなかったっけな、キミ。
言いたい事は山とあれど頭が痛すぎて伸が声にも出来ずにいると、2階から征士と当麻が降りてきた。
「あれ?秀、帰ってるじゃないか」
飯、まだ?とお腹を撫でている当麻の後ろで征士も同意している。
その彼らを見つけた秀が、また笑顔を浮かべて先程の質問を投げ掛けた。
今度は遼も何故か得意げな顔で。
「………全裸?」
「何も着ていない状態でか…?」
やはり数分前の遼や伸と同じく要領を得ない顔をした彼らを、秀は益々得意げな顔で見ている。
普段頭がいい2人に、顔と告げてやる瞬間を思うと早く言いたくて堪らないのだろう。
「そう、もう全裸、真っ裸。隠す道具って手しかねーの!な、なっ、どうする?お前らだったら、どうする?」
口早にまくし立てる秀を一度見て、そして征士も当麻もそれぞれに考える時の癖となっている姿勢になって。
そしてほぼ同じタイミングで答えに達したのだろう、もう一度秀に視線を戻した。
「諦めるかな」
「そうだな、どうしようもないのだ。寧ろ堂々と警察に行くしかあるまい」
沈黙。絶句。驚愕。
何でそうなった。
遼も秀も、そして伸でさえもそういう顔をした。
「え、ちょっと待って。ねぇ、解ってる?妖邪が現れたときみたいなパニック状態じゃないんだよ?普通に人がいっぱいいるんだよ?」
「全裸だぞ、全裸。お前ら、チンコ丸見えなんだぞ」
「ちゃんと考えてくれよ、なぁ、ちゃんと考えて答えてくれって」
一瞬の間を置いて3人は怒涛の勢いで2人に詰め寄る。
一体何をどう考えてそういう結論に達するのか。
しかし2人は冷静な顔のままで、ふざけた様子も、からかっている様子もない。
「いや、だから考えた結果、諦めたんだけど」
「うむ。そうなってしまったものは仕方が無いからな」
「仕方が無いって…」
まさかの結論だ。
素っ裸にされて諦められるというのがおかしすぎるし、それを仕方が無いと割り切れるのもおかしな話だ。
予想外すぎる答えに、先ほどまで誇らしげだった秀の顔はもうただ只管に驚いている。
「あ、あのさ、普通、どっか考えねぇか?隠すトコ」
必死に言葉を繋いで2人に食い下がってみれば、征士は当麻を、そして当麻は征士を見た。
「……無理だろぉ」
「無理だな。下手に隠す方が気まずいような気がする。寧ろそういう時は堂々としていた方がいい」
2人だけに通じる何かがあるのだろうか。
変わり者と天才の2人にしか解らない何かが。
そう思うと何だか悔しい。
確かに征士は5人の中でも一番均整の取れた身体をしているし、当麻だって手足が長くてバランスが綺麗だ。
2人揃って顔もいいし、寧ろ眼福モノの光景かもしれないが、だからと言って裸で平気とは。
「裸に抵抗がないとは思わなかった…」
意外すぎて遼がポツリと呟けば、何故か征士も当麻も顔を顰める。
「あれ?違うんだ…?」
「そんな恥ずかしい真似、抵抗がないわけではない」
「それにストリーキングの趣味もねぇよ。でも…」
言ってもう一度互いを見る。
そして少し諦めたように溜息をほぼ同時に吐いて。
「しょうがないもんなぁ…」
「ああ」
だから何がしょうがないというのか。
それが解らずに次第に苛々とし始めた秀は、
「顔隠せよ、顔!」
と、その感情そのままに先程の答えを彼らに突きつける事にした。
その答えを聞けば2人も少しは驚くかと思ったのだが、やはりそこにあるのは諦めの混じった冷静な目だ。
「顔隠して何になるってんだよ」
そして秀につられたのか当麻も不機嫌な声になった。
「顔、隠せば自分が誰かって隠せるだろーが!」
「顔隠したって意味ねぇだろ」
何故か喧嘩腰になる秀に当麻はぴしゃりと言い放つ。
それが更に秀を苛立たせた。
「何で!」
「何でって、」
「見たままだ」
2人だけで会話をさせれば本当に喧嘩になりかねないと判断した征士が割って入る。
幼馴染の2人は時折凄くつまらない事で子供っぽい言い争いをしてしまう。
割って入った征士を、今度は当麻以外の3人が見た。
「見たまま?」
遼が聞く。
征士は頷いた。
「顔を隠してもどうしようもない」
「どうしようもなくは、ないと思うけど」
「無理無理」
伸の言葉には、少し落ち着いたのか当麻が答えた。
何故という顔で自分のほうを向いた伸に、当麻は自分の髪を摘まんでみせる。
「俺、髪の色こんなんだから、無理。俺以外でこんな髪の人間、見たことある?」
暗い部屋でも薄っすらと青みがかって見えるその髪は、光の下へ行けば鮮やかな青になる。
確かにそんな髪の色の人間を伸は今まで見た事がない。
それは遼も、そして秀も同じだった。
「だから顔隠したって、その時はバレなくてもどっかでまた見かけられたら”あっ裸の人だ”って俺、思われちまう」
それは征士も一緒、と当麻が続けたのに征士が頷いた。
「こぉんな特徴的な癖ッ毛のヤツ、コイツくらいだろ」
「自慢にもならんが私の家族もここまでの癖毛ではないからな」
つまり彼らは顔を隠した程度ではもうどうしようもないのだ。
だから素直に冷静に、状況を判断してその後の行動に移すしかないのだ。
言われてみればご尤もな回答ではあるが、それはあまりにも現実的過ぎる回答ではなかろうか。
「………つまんねぇヤツらだなぁ」
「しょうがないだろ。俺たちにそういう質問をしたのが悪い」
不貞腐れた秀の額を、当麻がデコピンで叩く。
「そもそもそういう目に遭う事などそうそうないのだし、そういう事に巻き込まれないよう真面目に生きていけばいいのだ」
5人の中で一番落ち着いている征士がそう言うと、さっきまで秀の回答に感心していた遼は妙に納得して今度はそっちに感心し始める。
真面目に生きていれば絶対に何も起きないかと言うとそうでもないが、まぁ同じ感心してくれるならソッチの方がいいかと伸は胸を撫で下ろした。
どうも遼は純粋すぎて時々心配になるような信じ方をする。
さぁ話も終わったしナスティが帰ってくる前に彼女が作っておいてくれた料理を温めなおそうかと席を立った伸の耳に、
「ま、もしそうなったら武装しちまえばいいしな」
「それでその後は煩悩京に引き篭もらせてもらって、何ならそこで暮らすのも手かもな」
という、もっと馬鹿な答えを出す変わり者と天才の声、そしてそれに感心する純粋な大将と義に熱い男の声が届く。
その手があったか!とかナイス名案!とか盛り上がっている彼らには、その直後に心優しいお兄さんの怒声と拳骨が落ちたのだった。
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そんな事に鎧や煩悩京を使うんじゃない!て伸ちゃんが。