見つめて抱き寄せて
学校から帰るなり目がおかしいと征士が言うので見てみれば、普段は前髪で隠れている右の目が真っ赤になっていた。
翌日は土曜日で、大抵の病院は午前中しか診察をしておらず、幾ら授業が半日とは言え絶対に間に合わない。
だからナスティは慌てて車で征士を眼科へ連れて行った。
結果、結膜炎と言われ帰ってきた。
ウィルス性のためあまり人と接触してはならないし、風呂も最後に入らなければならない。
色々と注意は受けたが治療自体は点眼薬を決められた通りに差しておけば、早ければ2日から3日ほどで症状は治まると言われ、
翌日の学校も、目には眼帯を付けて通常通りに通う事にした。部活は勿論、欠席だ。
「…元々右目、使ってねーよーなモンなのにな」
とは、眼帯を見た秀の言葉だったが、前髪が触るのも駄目なんだよという当麻の言葉ですぐに納得していた。
ただ通学するにもバスも電車もある程度混雑している為あまりオススメできない状態の征士だから、明日はナスティが車で送るという。
勿論、征士だけ。
これには当麻辺りがブーブーと文句を言うかと思ったが、うつると厄介だから、とアッサリした態度だった。
先ほどの言葉といいこの態度といい何だろうかと不思議に思ったのだろう。
「…当麻、もしかして結膜炎、したことあるのか?」
と遼が聞くと、うん、と素直な返事が返って来た。
「小学校の時に1回。目ぇ痒いし真っ赤になるし、目脂も凄くてビックリしまくった。偶々お袋が家に居たからすぐに気付いてもらえたけど、
流石にアレにはビビッた」
さり気ない話ではあったが、家に誰かがいたという部分だけで何となくその場にいた全員は安心し、だが本人にはそれは言わずに、
そう、とだけ返しておいた。
土曜日。
伸は学校帰りに商店街へと寄って昼に食べるパンを買い込んでから帰っていた。
征士は先にナスティが迎えにきていたのを教室から見かけたし、遼と当麻は並んで帰っていたはずだ。
確か秀だけは一旦実家に寄ってから柳生邸に戻ると言っていたが、早く帰らないと成長期の子供ばかりだから腹を空かせているかも知れない。
自身も成長期だというのに伸はそんな事を考えながら、ちょうど来ていたバスに急いで飛び乗って屋敷へと戻っていった。
玄関を開けると征士の靴と当麻の靴があったが、ナスティと遼のものがない。
それに首を傾げたが、どうせそのうちに帰ってくるだろうとリビングへと向かう。
そこで伸はメドゥーサに睨まれたかのように固まってしまった。
ソファに座った征士は上向き加減で、その膝を跨ぐようにして膝立ちしている当麻を見上げている。
2人は対面したまま沈黙だ。
「……………………。………、何を、してるのかな、君たちは」
驚きのあまり反応が遅れたが、何とか声を絞り出して伸が尋ねた。
だがそれには征士が、少し待てと言いたげに、当麻の腰に回していた手を上げて答えただけで、当麻は振り返りもしない。
それは僅かな時間だったが伸は妙に苛立ちながら、彼らが答えるまでの間中待ち続けた。
「で、何してたの」
漸く膝から当麻が降りたのを見て、もう一度聞いた。
今度は声が冷たかった。
「目薬だよ」
その伸に応えた当麻の手の中には、目薬が握られていた。
「……?…それって、昨日眼科で貰ってきたやつ?」
「うん」
「で、それが何」
「当麻に差してもらっていた」
「何で」
それくらい自分でやりなさい。
そう思って聞き返した伸だが、すぐにある事を思い出した。
何日か前のことだ。
リビングでみんなで寛いでいた時に、書斎から当麻が目を擦りながら現れて「ティッシュかなんかない?」と聞いてきた。
どうしたのかと聞けば、本を読んでて目が疲れてきたから目薬を差そうとしたらティッシュがなかったのだという。
「キミ、集中してる時って瞬き回数少ないもんね。ドライアイにならないよう気をつけなよ?」
と伸がボックスごとティッシュを差し出すと、うん、という返事の直後に当麻はポケットから目薬を出してソレを差し、溢れて流れた分をティッシュで拭った。
それは見事なほどに無駄の無い、素早い動作で、その場にいた全員が思わず感嘆の息を漏らしてしまったほどだった。
「………なに?」
浸透させるために閉じていた目を開ければ全員に注視され、妙に居心地悪そうに当麻が顔を顰めた。
「いや、……当麻、お前目薬差すの、うめーな」
「……そうかな」
「うん。俺、駄目だ。何回か失敗する」
「僕も」
「私も失敗して目以外のところに落としたりするわ」
「……私もそうだな」
「……………あ、そう」
そう言われても…と当麻は困って良いのか照れて良いのか悩んでしまう。
そうしていると突然、
「な、教えてくれよ」
と遼が言い出した。
「…え、何を」
「目薬の差し方。だってプールの授業始まったら差すだろ?目薬」
「あぁ、それもそうだね」
「っえー、どうせその時期しかお前ら差さないんだろ?だったら別に…」
「いや、いやいや、やっぱ一発で差したいじゃん、面倒くせぇしさ!」
「えええ………俺は今面倒臭ぇよ」
「少しくらいいいではないか」
「そうよね」
なんて皆に詰め寄られ、結局当麻は書斎に戻ることも出来ずに全員に目薬の差し方を教える破目になった。
と言っても口で説明するわけにはいかない。
かと言って自分の目薬を貸すわけにもいかない。
「お前ら、目薬あんのかよ」
と、本の続きが読みたい当麻が若しかしたらと期待を込めて聞けば、全員首を縦に振った。
当麻からすれば、振り”やがった”。
一応、持ってはいるらしい。
だが上手く差せないから面倒臭くなってきて、段々使わなくなってきたのだとそれぞれに言った。
遼と秀は兎も角、征士や伸、それにナスティまでそんな事を言うから当麻は物凄く意外に思い、聞こうとした矢先に秀からせっつかれる。
おら、早く。と言われて、面倒ごとはさっさと終わらせたい当麻も渋々”目薬の差し方”の説明を始めた。
「だから何でお前は眼球に直接落とそうとするんだよ。だからビビって無意識に目ぇ以外の所に差すんだろうが」
「だぁってよー!」
「こう、…下瞼と眼球の間に差すんだって。で、目ぇ閉じて中で眼球動かして、まんべんなく行き渡らせるんだってば」
「だから当麻、さっき目ぇ閉じてたんだな」
「そう。って遼、本当に不器用だな…」
何度か説明して出来るようになったのは伸とナスティだけ。
秀は何度言っても眼球に落とそうとしてしまうし、遼は持ち方自体が不自然すぎて目薬の容器ごと眼球に落としそうで怖い。
さっきから無言ではあるが征士も何度も失敗しているようで、頻りに頬を拭っている。
「………。しょうがない、別の方法教えてやるよ」
何か女っぽくてあんまり好きじゃないけど、と当麻が教えてくれたのは鏡を使った方法だった。
鏡を、顔が見えるように片方の手で持つ。
残りの手の人差し指と親指で目薬を持ち、鏡を見たまま首をやや上方向に傾げ、目薬を持った手の中指や薬指で下瞼を引っ張りそこに落とす。
確かに失敗は少ない方法だが変に力が入って小指が立つし、首を傾げなければいけないし鏡も見なければならない。
言われて見れば少し女性的な体勢になってしまう。
だから当麻はあまり好きではないと言っていたのかと、それを見ながら伸とナスティは納得していた。
だが不器用な3人だし仕方がないだろう。
実際、これで遼と秀は何とか差せるようになった。
だが征士が駄目だった。
下手糞すぎるのだ。
「………物凄く、意外」
伸のその呟きにナスティも同意した。
凄く器用というワケではないが、遼ほど不器用でもない征士だ。
なのに目薬だけは上手く差せないようで四苦八苦している。
あまりの出来なさに当麻も、そして本人も疲れてきてしまったのだろう(何せずっと首を傾げっぱなしだ)、その日はやめにして、
今後少しずつ出来るようになっていけばいいという話でその日は終わった。
…のだから。
「いい機会なんだし自分で差しなよ」
と伸が冷たく言い放つ。
練習も兼ねて自分で差せばいい。何も当麻が差さなくたっていいはずだ。
だが2人揃って仲良く首を横に振って返してくる。
「駄目だって」
「何でさ」
「だってコレ、市販してないのに無駄打ちしたら勿体ないだろ」
「……………それは、…そう、だけど」
何も眼科で処方されたものは必要最低限の用量が入っているわけではない。
だが先日の征士のように失敗してばかりいては、確かに完治する前に薬が無くなってしまいそうだ。
それに薬は2種類あり、最初に差した物の5分後にもう一方を差さねばならないが、それも征士には無理な相談だ。
だから上手い当麻が差してやる事にしたのだろう。
それは解る。
それは解るが。
「何もさっきみたいな体勢じゃなくてもいいと思うんだけど…」
膝の上に当麻が乗る必要なんてないだろう。
妙にアヤシイ雰囲気があるような体勢だったよとは言わずに伸がそう告げれば、それには征士が答えた。
「いや、立ったままだと安定せんのだ」
「…そうなの?」
「うん。それに征士にしゃがめって言っても無理だったし」
「………へぇ」
「だから昨晩、気付いてこうしたのだ」
その時はベッドに腰掛けてやったのだと言われ、伸は頭が痛くなってくる。
だが今日はもう土曜日だ。
幸い明日は日曜で学校は休みだし、医者も2日か3日で治ると言っていた。
ならばその光景も明日1日我慢すれば済むのだろうと考え、もう伸は諦めの境地に入る。
彼ら2人は何故かこう、無駄にくっついている事が多く、それは伸の頭痛の種になっている事が多いがソレだって外でするなよという事からだ。
つまり屋敷内ならもう仕方がないかと半ば諦めているのだ。
元々潔癖症のきらいがある征士とスキンシップ不足で育った当麻だから、人に触れることを拒まないのは寧ろいい事だ。
仲間内でも特に気を許しているお互いだし、そこで徐々に慣れていけばいいと思うからこそ屋敷内ではある程度は許容している。
ただソレを外でやるとあらぬ誤解を招く可能性が大きいから、毎回伸は怒るのだ。
なまじ容姿の整っている2人だから洒落にならない。
だが、今日は土曜日だ。大丈夫だろう。
そう安心した伸が時計を見る。
1時半を回っているが、未だナスティと遼が姿を見せない。
どうしたのだろうかと気に掛けていると征士の声が耳に入ってきて、適当に聞き流す。
「次は……3時半か」
「おう、わかった」
「すまんな」
「いや。別にいいよ。2時間おきにやんなきゃなんないのは俺も経験済みだし」
へぇ、2時間おきか、面倒だな。
そう思った伸だったが急にある疑問に辿り着き2人を、ぐるんと音が鳴るのではなかろうかという勢いで首を巡らし見た。
「……なに」
「…2時間?」
「ああ。そうだ。勿論寝ている間は不要だが、起きている限りは2時間おきだそうだ」
「……2時間おき?で、今で何回目?」
「今で?朝起きてから4回目」
「朝……」
「ああ。当麻が起きてくれんとどうにもならんから7時半過ぎに1回、」
「それから9時35分の授業終わりのチャイム後で1回と、11時35分のチャイム後で1回で…」
「それから今、だな」
な、と2人並んで頷いているが、それに伸のコメカミがひくついていく。
「……え、で、何。学校にはソファやベッドがないけど、どうやったの…?」
「いや、それは仕方ないから征士は席に座ったままで俺は立ってたけどさ」
「立つって…どうやって」
「私の膝を跨いでに決まっているだろう」
「…さっきみたいに?」
「さっきみたい?」
「その…………征士の手、どこにあったの」
「私の手か…?手持ち無沙汰だし、当麻を支える意味で同じようにしていたが?」
何て事のないように言う2人だが、伸は眩暈を覚えてその場にへたりこんでしまった。
お綺麗な顔の伊達君と羽柴君が授業が終わるや否や、何の前触れもなくそんな事をし始めたら一体周囲はどう思うのだろうか。
いや、仕方がない。仕方がないのは解る。
解るけれども。
「…………今更言っても仕方ないけどさぁ………!」
何でこういう時に僕しかいないかな!と伸は自分の運の悪さを嘆くしかなかった。
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無言で目薬を出す征士と、前髪を上げて眼帯を外してやる当麻です。淡々とこなします。
結膜炎、もう随分昔ですが私は2時間おきに差せと言われたものですから。