カウントダウン
「ところでさぁ…」
山の中にあり周囲を森に囲まれていると言っても過言ではない屋敷は、朝から蝉の鳴き声で煩い。
ましてや夏休み中ともなれば毎朝毎朝、遼と秀が釣りに行こうだの森探索しようだのと元気いっぱいに騒ぎ立てて更に煩い。
そんな彼らは今朝も朝食を食べている最中からそんな計画を立てていたのだが、そこに伸が口を挟んだ。
「ところでキミら、大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「何が?」
黒髪の2人はキョトンとした顔で長兄を見る。
解ってないなぁと言いたげな伸は、壁にかけてあるカレンダーを指差してもう一度言った。
「大丈夫なの?」
壁の日めくりカレンダーは朝一番にナスティが捲ってくれている。
日付は29日。
夏休み中のそれは7月なら良かったが、残念、8月の29日だ。
「大丈夫なの?」
もう一度繰り返された声色は先程よりもトーンが落ち、彼の目はどこか厳しい。
それに気付いた遼と秀の顔は引き攣ったり目を白黒させたりと、どうやら伸の予想通りの反応だった。
「信っじらんない!どうして宿題、1つもやってなかったの!?」
朝から雷である。
光輪様のではなく、水滸様の。
怒られている2人はしゅんと項垂れて大人しく聞いているが、それで許すほど兄は甘くない。
仲間といるのが楽しくて、森の中という事が楽しくて、ついつい毎日、それこそ日時を忘れて遊び呆けたのは確かに彼らだ。
伸のお小言がいつもより少しばかり長くてもそれは仕方がない。
寧ろ新学期3日前に現実に引き戻してくれたのだから優しいほうと言っていいだろう。
「夏休み明けには実力テストがあるのだぞ」
ついで真面目な征士も加わる。
休み明けそうそうにある実力テストは、夏休みの宿題に使われている冊子からの引用問題や応用問題になると各担任から告げられているはずだ。
つまり宿題さえ真面目にしていればそうそう酷い結果を招かないテストでもある。
それを解っていて、いつもテスト前に当麻に泣きつく2人は遊び呆けていたというのなら、彼からの説教も致し方ない。
「そうだよ。馬鹿だナァ、ちゃんと自分のペース掴んで計画立てろよな」
だが当麻がソレに加わったのには正直、正座をさせられている2人も、そして並んで雷を落としている長兄次兄も思わず彼を見てしまった。
「………なに」
不機嫌そうではなく、心底不思議そうな顔で末っ子が首を傾げる。
それに少し申し訳無さそうに伸が口を開いた。
「…当麻、キミ、宿題、片付けてたんだ…」
天才は天才だがマイペースで面倒くさいことは大嫌いな当麻のことだから、てっきり”あちら側”にいると思っていた伸は素直に驚く。
「いつの間に……いや、すまない。勝手に決め付けていて悪かった」
征士も謝る。
同室の彼がいつ宿題をしていたかは知らないが、何も四六時中一緒にいるわけではないのだ。
自分の留守中に、それこそ彼なら数時間もあれば渡されていた冊子の全てを片付けるくらい、どうという事はないのだろう。
「………?誰が宿題片付けたって言ったよ」
「は?」
「へ?」
「何?」
「ちょっと待って」
集中した視線を物ともせずに、そして空気を読みもせずに当麻はけろっと答えた。
「ちょっと待って、…待って、ねぇ、当麻、キミ、今こっちの2人にエラソーに言ったよね」
「偉そうって…当然の事を言ったまでだ」
「自分のペースがどうのと言っていたではないか」
「そうだよ。だから、自分の頭のペースを考えて計画的にやれって言ったんだ」
ワケが解らなくなって、伸も征士ももう一度彼の言葉を頭の中で繰り返す。
…やっぱり意味が解らない。
伸が確認作業に入る。
「当麻、キミ、自分のペースは解ってるんだね?」
「当然」
「で、宿題は、やったの?」
「まだ」
両脇に立っていたお兄さんコンビは、真ん中にいる天才児の頭を同時に遠慮なしに叩いた。
「ってぇ!何すんだよ!!」
「何するじゃないよ!キミ、何さも当然のようにこっちに立ってるのさ!」
「お前もあっちだ!馬鹿者!!!」
「俺は計画的に過ごしてたよ!」
「毎日クーラーの効いた部屋か木の陰で寝てたくせに、何が計画的だ!」
「人を寝てばっかみたいに言うな!俺だって外に出てってたじゃないか!」
「ええい反論するな!馬鹿者!」
「何回馬鹿って言うんだ、この堅物奇天烈野郎!それに俺は最終日にやる予定だったんだよ!」
「最終日にやるなんて褒めれた行為じゃないんだから堂々と言うんじゃないよ!!!」
「計画的だろ!自分のペース把握してやってんだからいいじゃんか!」
わーわーぎゃーぎゃーと喚き始める3人を正座したまま見ている2人の足は、そろそろ痺れ始めて限界だ。
モゾモゾと動かすがそれを目聡く見つけた征士に、意識が足らん!と怒鳴られ、彼らはまた大人しくじっとする。
埒が明かない。
そんな様に何だか笑いたいけれど笑ってやっては可哀想だと思った優しいお姉さんは、
「じゃあ今日は朝から宿題をする日にしましょう。ね?」
と提案したが、それには全員異論のある顔をした。
そりゃそうだ、遼と秀は今日はまだ遊びたいし、当麻は自分のペースがある。既にノルマを達成している伸と征士に至ってはトバッチリでしかない。
「ゼリー作ってあげるから。真面目にやった子にはご褒美。お兄ちゃんたちはちゃんと弟たちの世話を見てあげる事への報酬よ」
これでどうかしら?と微笑まれては、誰も反論できない。
取敢えず朝食を済ませてからが勝負だ。
場所はリビング。
ローテーブルの上には”何たら堂”だの”うんたら館”だのの漢字3文字の出版社が出している冊子が5教科分並べられている。
遼の隣には征士、秀の隣には伸が腰を下ろした。
「…俺は?」
1人ぽつんとお誕生日席に座らされている当麻が聞く。
「キミは補助なしで出来るだろう?ハッキリ言うけどキミは兎も角、本当にやばいのはこっちの2人なんだから」
それとも寂しいの?と聞かれ、当麻は顔を顰めた。
その表情を了承の意と捉えた伸は、今度は隣の秀と向かいの遼に向かって少し厳しい声で話しかける。
「いい?僕も征士も隣にいるけど、本当に判らないトコロだけ聞くんだよ?」
「え、全部見てくんねーの!?」
「甘ったれるな。どこが理解できて何が解らんのかをハッキリさせる為でもあるのだ。全て人を頼っていては意味が無いだろう」
「甘ったれるなって……もうどこからも何も、殆ど解らないってのに…」
「だから、解らなかったら幾らでも聞いていいから」
「そんなんしてたら幾ら日があっても足りねーよぉ!」
「だったらもっと早くに着手しろ。大体伸に言われるまで今日が何日かさえ気付いていなかったではないか」
「そんな過ぎた事をグダグダ言われてもよー…」
途中から反論が秀1人になる。
遼はさっさと終わらせてしまおうと冊子を開いて取り掛かり始めていたからだ。
「って遼!抜け駆けしてんじゃねーよ!」
「だって本当に早くやらなきゃ間に合わないかも知れないんだ…っ!」
「秀、抜け駆けってなんだい!キミもとっとと開いてやる!」
「解ってっけど、今は試合前の睨み合いみたいな状態だろ!?そこも含めて試合パフォーマンスだろ!?」
「ワケの解らんことを言っている暇があったらとっととやれ!」
「味方、味方いねーのかよ…ってとーま!何で物理がもう半分以上終わってんだよ!?ちゃんと問題見てるのか!?」
「うるさいなぁ見てるよ……やるからにはとっとと終わらせるんだよ、俺は」
「当麻、いい心がけだよ…!」
「うむ」
「終わらせてゼリー食うんだ…っ!」
「って結局食欲かよ!くっそー、俺もさっさとやるぞークソー!」
スタートこそ喚き声が飛び交ったが、それでも始めてしまうと後は大人しかった。
いや、何も言えないのだ。
ページを開くと同時にまるでただの書き取り練習のようにスラスラと答えを書いていく当麻と違い、遼と秀はずっとうんうん唸っている。
どうやら1度は何かを書かない限り隣についている補助の2人はヒントさえ与えてくれないらしい。
遼はまだいい。時々何かを書こうとする努力が見られる。
だが秀は本当に駄目だ。紙にペン先を置いたかと思うとスグに離してまた唸るばかり。
遅々として進まない秀から伸の視線は当麻の方へと流れた。
既に5教科中、物理を終わらせており、その上にたった今し方終わった数学の冊子を乗せた。次は現代国語に取り掛かるらしい。
こういうのを見るにつけ、どういう頭の構造をしているのだろうかと伸は感嘆の意を込めて彼を見てしまう。
「せんせー」
声は当麻のものだった。
伸の見ている前で、問題から一切目を離さず右手は休めず、左の手を挙げている。
「…なに?」
「せんせー、ぼくの解答を秀君が盗んでいきましたー」
「え?」
「げ」
当麻の手元に集中していた伸の隙を突いて、秀がさっき積まれたばかりの当麻の数学の冊子を手に取っている。
「……こら!何してんの!!」
「いーじゃんっもう駄目だって、俺、まだ3問も解けてないんだぜ!?こんなんじゃ夏休み終わるまでに終わらないって!
夏休み、もう遊べねーじゃん!」
「それこそ自業自得というものだろう!悪行に手を出すとは、恥を知れ!」
「悪行って…俺、まだ見てないじゃん!取っただけで!」
「万引きは商品を消費したところで発生するんじゃなくて、商品を持ち出した時点でアウトだからね!?」
「万引きとか、俺にばっか言うなよ!大体征士が目ぇ離した隙に、今、遼だって当麻の解答カンニングしたぞ!」
「ちょ、ちょっと見ちゃっただけだって…!」
「遼!」
「ごごご、ごめんって言うか、あ、当麻、もう次のページいったのか!?」
「悪いが今回ばかりは待ってやらん。俺はゼリー食うんだ!」
外の蝉に負けないくらいの煩い声。
伸1人だけが下宿していた去年の夏とは違う光景に、ナスティは声こそ立てないがずっと笑いっぱなしだ。
2年前には彼らはもっと難しい顔をして、何度も辛い思いをさせられていた。それこそ身体も心もボロボロだった。
大将である遼はいつも自分の力不足を悩んでいたし、優しい伸は自分だって当事者なのに皆の精神面を気に掛けてばかりいた。
ムードメーカーでもあった秀は自分も辛かったろうに暗い顔を見せるわけにはいかないと、常に笑顔を心がけていて、
征士はいつも前を見据えてみんなが迷いそうなときでもそれらを断ち切っていた。
軍師である当麻なんて普段からそれこそロクに眠りもせず書斎に篭り、戦いの場においては何歩でも先を読んで殆ど笑いもしなかった。
その彼らが、子供らしく騒いでいるのだ。
あの戦いの中では守られるばかりか、時には足手まといにしかなれずいつだって心苦しかったナスティは、こういう彼らを見るとどこか安心する。
あの時は殆ど役立てなかった。
だが、今は彼らを見守る事が出来る。
力不足を悩んだのも、精神面を気に掛けたのも、笑顔でいるよう心がけたのも、迷わないようにしたのも、そして眠らず調べ続けたのも、
どれも自分にだって当て嵌まっているのだ。
少しは力になってやりたかった。けれど出来なかった。
少しでも癒してやりたかったが、それが出来ていたかどうかは今でも判らない。
だけど。だから。
こういう、普通の高校生の彼らを大事にしてやりたい。
今は彼らのご褒美の時間なのだ。
可愛い弟5人はまだまだ騒いでいる最中だし、ゼリーは3時のオヤツに出すと決めている。
時計は10時半を回った。
飲み物くらいなら出しても邪魔にならないだろうし、彼らの気分転換にもなるだろう。
夏休みも残すところ、今日を入れて後3日。
それまでに当麻は兎も角、あとの2人の宿題は終わるのだろうか。
それを思うとまた笑えてきたナスティは、床下に作りつけてある野菜専用の冷蔵庫の中にあった果物を使ってミックスジュースでも作ろうかと、
騒がしいリビングから1人離れていった。
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昼過ぎには当麻も先生側に回ります。
で、宿題もしたし勉強も見たからとゼリー2個を要求します。