ばか



その朝、いつも通りに動いていた面々が完全に動きを止めた。
当麻が誰に起こされるでもなく自分で起きてきたからだ。
いつも素振りを終えた征士が着替える時に起こしてやっとなのに、自分から、部屋から出てきた。
いつもならついている寝癖も綺麗になっているし、制服もきちんと着ている。
寝癖はいつも征士が直しているし、制服のネクタイなんて無言で征士に突き出し、
征士もそれを無言で受け取り結んでやっていると言うのに。

その場にいた全員が、咄嗟に時計を見た。
7時15分。
まだバスの時間まで猶予はたっぷりある。
もう一度当麻を見る。
この時間だと仮に起きたとしてもボーっとしているはずなのに、目の前の当麻はスッキリとした顔をしている。
徹夜明けでもないようだ。
となると。


「……当麻、キミ、自分で起きたの…?」

「おう」

「当麻の目覚まし、鳴ったっけ?」

「いや、鳴る前だったから止めた」

「よく眠れなかったとか?」

「そうでもないと思う」

「何か悪い夢でも見たの?」

「まさか」


どうやら本当に夕べちゃんと寝て、スッキリシャッキリ、自力で起きてきたらしい。


「たまーにさ、あるんだって。自然に目が覚めて何かスッキリしてる時」


普通ならそれが通常で、寝起きが悪く起きてからもボーっとしているのがたまに、ではないのだろうか。
そういう疑問がその場にいた全員の頭を過ぎったが、普通で考えてはいけないのが当麻だ。
IQが高すぎるせいできっとどこか頭のネジが5本も6本もぶっ飛んでいると思って、やっと付き合える男だ。


「伸、俺にも牛乳ちょうだい」


呆気にとられるみんなを余所に、席について朝食をとり始める。
驚いていても仕方がない、と全員、通常通りの朝の光景に戻った。

その時。

ガタン、と部屋の入り口で派手な音がした。
目を向けると胴着姿で手に竹刀を持った征士が、派手に壁に張り付いている。
次に慌てて時計に目をやった。


「……何故」


言葉は短いが視線が当麻に釘付けになっている時点で言いたい事は解る。


「なんか自然に目が覚めたんだって」


伸が溜息混じりに教えてやる。
さっき自分だって同じようなリアクションをした癖に、面倒臭そうな顔をして。


「たまにあるんだってさ、面白いよな」


などと遼は暢気に言っているが、征士は驚きすぎてまだ壁から離れない。


「夢じゃねーぞ。ホラ、お前、朝やる事減ったんだからラッキーじゃん」


当麻の寝癖も、ネクタイも、何も構わなくて済むのだから確かに秀の言うとおり、ラッキーではある。
が、いつまでも壁に張り付いて時間を潰しては勿体無い。


「征士、あなたも着替えてらっしゃい」


ナスティにそう言われて漸く征士はのっそりと壁から離れた。
その間も視線は当麻に張り付いている。
訝しげなその目を向けられた本人は全く気にせず朝食を胃に詰めていた。







「どーせ授業中になったら眠っちゃうよ」


と、通学中のバスの中で伸は言ったが、そうでもなかった。
ならば注意をしておかねば、と征士が思い、時々後ろの席を振り返ったのだが、
何と当麻は眠ってなどいなかったし、ノートもちゃんと取っていた。
それどころか、古典の授業で教科書の朗読を当てられた当麻は普通にその場に立ち上がり、
つらつらと教科書を読んでいったのだ。
滅多と見ないその光景にクラスメイトどころか、当てた教師でさえも目を剥いて驚くばかりだった。

それは午前の授業全てが終わるまで続いた。



昼休み。
毎日ではないが、週に1度ほどは5人揃って、校庭近くの芝生の辺りに陣取って昼食を共にする。
その時に今日の様子を征士が話すと、やはり他の3人は目を剥いて驚いた。


「だからたまにあるんだって、…何でか俺もよくわかんないけど」


流石にそこまで異様がられると居心地が悪いのか、当麻が少し口を尖らせる。


「たまって、どれくらの、”たま”?」

「うーん………年に1回?かなぁ……いちいち覚えてない」


年に1回。
どういう周期だと思ったが、誰もそれを口にはしなかった。
どちらにせよ当麻が通常の人間と同じように、ちゃんと生活をできる時があるというのは奇妙ではあるが、喜ばしい事だ。
そう思っていたが、その感想は


「なぁ、秀……お前、まだ腹、入る?」


という当麻の一言で、変だ、という不安に変わる。

いつもナスティが作ってくれている5人の弁当は、大食漢の秀と当麻の分は多い。
2人はいつもソレを綺麗に平らげる。
どころか、たまに食べたりない時など食堂の購買部に行って、何か買い足してまで食べるほどだ。
残す事など今まで無かった。
なのに当麻は人並みの量だけ食べ、そしてどうやらもう満腹になってしまったらしい。


「……………おなか、入らないの?」

「うん…言うの忘れてたけど、俺、こういう時ってあんま食べないんだよ」


朝食の時はどうだったかと伸は思い返す。
当麻はいつも朝が遅いためバスの時間に間に合わなくなる可能性があり、その為に朝食は人並みしか食べない。
だから気付かなかっただけで、どうやらアレもそれだけで満足していたらしい事を知る。

その後の伸の行動は早かった。
全員その場に残るように告げ、小走りに去った伸が暫く後に戻ってくると、手には体温計が握り締められていた。


「当麻、体温測って」

「…?俺、別に熱っぽいとかないけど」

「いーから!」


調子悪いとかないってー、とブツブツ言いながらシャツの裾から体温計を差し入れ、脇に挟む。
暫しの無言。
そこに響く、ピピっという電子音。
取り出したソレを、本人が見るより先に伸が奪った。


「………38.4℃…」


読み上げられた数字は、充分なほどの高熱だ。
全員の視線が体温計を見、そして当麻へと流れる。


「さんじゅう…?」


言われた本人はケロっとした顔をしているが、体温計の数字はケロッとした顔をしている場合ではないと言っている。


「当麻、本当にしんどいとか、ないのか?」

「え、うん、全然…寧ろ元気」

「フラフラするとか?」

「いや、体育も普通に受けた」

「当麻、いつから…その…、スッキリした感覚はあったのだ?」

「今朝起きたら、だから、昨日は別に」


怒涛の質問攻め開始。
取敢えずこの高熱は今朝からで、何も誰も気付かなかったが完全に彼は異常な状態に陥っていたという。
そして次には4人は揃って盛大な溜息を吐き、視線を合わせ頷き合う。


「遼、悪いけどコレ、保健室に返してきて」

「え、何、伸、顔怖…」

「わかった。ついでに俺、ナスティに電話してくる」

「おい、遼、何でナスティに電話するんだよ」

「では私は担任の所に行って、早退の手続きをしてこよう」

「いや、征士、俺、平気だから。授業、たまにはちゃんと受けねーと内申書が…」

「じゃあ俺、教室行って当麻のカバン、取ってくるわ。お前、荷物って筆記用具くらいだよな?」

「うん。じゃなくて、秀、おい、ちょっと聞けって!」


立ち上がろうとする当麻を、その場に残った伸がガッチリと押さえつけてその場に留める。


「い・い・か・ら・す・わっ・て・な!キミ、自分の平熱が35℃台って解ってるの!?」






子供の頃から殆どの時間を1人で過ごしてきた当麻は、常と違う自分に気付いてくれる人間が傍に居なかった。
寧ろいつもよりも元気に見えるせいで外でも誰も気にかけない。
それにもし病気になったとしても、頼る人間が傍にいなければ全てを自分でカバーしなければならない。
そんな生活を、もうずっと、1人でしていた。

それが4人には心苦しくてたまらない。

皆で暮らすようになって少しは人との生活に慣れてきたと思っていた。
けれど時々こういう所で、当麻の孤独を垣間見る。
自分の事さえ解っていないという、その、痛ましさ。

腹立たしいやら、悔しいやら、悲しいやら。

それぞれがそれぞれに同じ事を思い、兎に角、この馬鹿をどうにかしなければ、と思う。






すぐにナスティが迎えに来るってと言って遼が最初に戻ってきた。
お前のカバン軽いなーと言いながら秀が走ってきた。
最後に早退届を手にした征士が戻ってくる。
みな、必死だった。


「なぁ、別に今更だし、どうせならもう全部授業出ても一緒じゃないか?」


なのにこの期に及んで未だ自分の状態を知ろうとしない当麻に、全員の顔が険しくなる。


「バカヤロウ!」

「クソ馬鹿!」

「馬鹿者!」

「バカ!」






見事な四重奏で怒鳴られた当麻はその後、秀と征士に力ずくで迎えに来たナスティの車に押し込められ、その車内でも、


「馬鹿ね」


と、とてもとても心配そうにではあるが、同じ言葉を向けられたのだった。




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で、週末に遊びに来た純に、当麻兄ちゃんって時々信じられないくらい馬鹿だよね、と言われます。