困るんですよ



お湯がコポコポと沸く。


「っもー、勘弁して欲しいんだけどよー」


机に、ダン、と両肘を突いた秀が情けない声を出した。


「さて、何を勘弁してあげたらいいんだろうねぇ」


話を聞いてやる事にしたらしい伸だが、その表情から話の内容の凡その検討はついているようだ。
茶葉を出している目が既に疲れていた。


「せーじととーま!」


構わずに秀がナゲヤリに、半ば叫びに近く仲間の名前を出す。
やっぱり、と肩を落とした。

屋敷の主であるナスティは友人とお茶をしに出かけている今、この家にいるのは高校生の5人だけだ。
お茶の時間ではなかったが単に何か飲みたかったため、伸はキッチンでお湯を沸かしていた。
秀はさっきまで確かゲームをしていたと思ったが、どうやら何か思い出したらしく、誰かに話を聞いて欲しくて伸の元へ来た。
遼と、そして征士と当麻の姿はない。
近くには居るのだろうけれど声がしないあたり、外にいるのかもしれない。


「何か飲む?」

「伸と同じのでいー」

「じゃあ日本茶になるけど」

「充分だよ」


お兄さんは何か言いたくてたまらない弟の1人の分の湯飲みも出してやった。


「で、今度は何やっちゃったのかな、あの子らは」


お茶を注いで目の前に出してやる。
このまま機嫌悪くワーワーと喚かれては、下手をすれば夜も消化不良で騒ぐに違いない。
同室の伸はそれだけは勘弁して欲しかったので、仕方なく置いておいた羊羹も切って出してやった。

ソレを嬉しそうに見つめた秀は、さっきまでの様子を一変させ大人しく椅子に座る。


「うめー」

「うん、そうだね。で、何やったのかな?」

「え、何が」


話しかけたのはキミだろ、と伸に睨まれて初めて秀が慌てる。


「あ、そそそ!征士と当麻ね!」

「そ」

「いやー、も、マジ、ビビッたの!」

「だから何で」

「俺さ、今日、数学の教科書忘れてさ」

「うん」

「借りに行ったんだよな、当麻に」

「征士じゃなくて?」

「当麻。だって征士に貸してつったら絶対説教されるし、それに比べて当麻なら勝手に持ってけって言ってくれそうだし。
何よりアイツ、教科書殆ど開かねぇらしくて綺麗だからさ、見やすいんだよな」


当麻が教科書を開かない理由なんてたった1つしかない。
授業中に起きている事が少ないからだ。
それが解っているので伸は話の腰を折らなかったが、ちょっと当麻にチクリと言わなきゃねぇ…なんて考えている。


「で、何。借りに行ったら何か言われたの?」

「言われたんじゃねーよ!!!!」


憤怒。
突然である。
秀は立ち上がり、伸は驚いている。






秀は今日、教科書を借りに6組へ向かった。
廊下の女子が何やら女子特有のキャッキャとした雰囲気を醸し出していたので、何か嫌な予感はした。
だが教科書を借りねばならない。
何故なら、次の授業の教師はねちっこい性格なのだ。
誰か1人でも教科書を忘れようものなら、ネチコチネチコチ、下手をすれば50分の授業のうち30分を説教に使うような性格なのだ。
授業は嫌だけれど、身動き一つ取れないあの空気はみんな大嫌いだった。
だから忘れ物はしてはならない授業だったのに。
なのに忘れてしまったのだから、大人しく、何だか嫌な予感のする教室に入った。


「おーい、とーまー、教科書貸して欲しいん……」


そこで秀は固まった。

だって、教科書を貸してくれと声をかけた相手が、金髪のもう一人の仲間に両の頬に手を添えられて無言で見詰め合っているのだ。
それも目なんか潤ませて。


「お、お前ら、何してんだよ…っ!!!」


慌てて間に入った。
当麻の頬から征士の手を引き剥がして、場を弁えろよ!と怒鳴りつけて。


「……何の話だ」


声のほうを振り返ると、征士の眉間に皺が寄っていた。
まるで自分が悪い事をしたかのようなその表情に、秀も腹が立ってくる。


「お前ら、何してんだよ!」

「何とは…?」

「だ、だから、…その、何、してたんだよ、顔固定して!」

「あぁ、当麻が…」

「当麻が!?何だよ!」

「あ、取れた」


今度は秀の背中の方から間抜けな声が聞こえた。
顔だけで振り返る。


「ああ、取れたか」

「うん、取れた。ホレ」


意味の解らない会話に置いていかれながら、突き出された当麻の指を見てみる。

青みがかった短い毛が1本、そこにはあった。


「……まつげ?」

「おう、さっき抜けて目に入ったみたいでさ、凄い痛かったんだよ」

「力任せに目を擦ろうとするから、涙で流させようとしたのだ」

「だからって瞼、押さえんなよ。すげー乾いて痛かったんだぜ、こっちはさ」


要は、単に、そう。
痛さのあまり目を閉じてしまう当麻の瞼が下りないように、征士が指で押さえつけていたらしい。
そのために手の平で頬を包むような形になっていたという。

けれど、だからって。









「っどーよ!?っもー!!!!こっちは焦りまくったっつーの!!!」


怒っている割に、羊羹はちゃんと口に含みながら秀が伸に同意を求める。
確かにそんな現場を見たら焦りはするだろう。


「何なの、アイツら!馬鹿なのか!?」

「まぁ成績云々ではない方向に馬鹿だろうネ」


学年の違う伸は別にどうだっていいと思ってはいたが、取敢えず今夜、同室の秀が夜までグズグズ言わなさそうな雰囲気になったのを
一安心と言う表情で見ている。


「何てーかさ、ホンっと、アイツら本当は全部解っててやってんじゃねーの!?って思う時あんじゃん!」

「そうだねー」

「いーみーがー解んねぇっつーんだよな、ホント!何かもう人目とかもっと気にしろっつーんだよ!」

「だよねー」

「ああいうモンなの!?仲良しって、ああいう感じなの!?え、俺、何か若しかして理解力たらねーの!?」

「いやーどうだろうねー」


胸にたまったモヤモヤを発散するために怒鳴り散らしていると、その声を聞いて遼がキッチンに入ってきた。


「どうしたんだよ、秀。凄い大きな声出して。玄関まで聞こえてたぜ?」

「あ、遼。今ね、秀はご機嫌ナナメなの」

「ご機嫌ナナメなんじゃねーよ!あのアホ2人をどうにかしろつってんの!」

「アホ?」

「せーじととーま!」

「あぁ、…2人がどうかしたのか?」

「秀はね、征士が当麻を構いすぎるのを、もう少し外では自重した方がいいのにって思ってるんだよ」

「あぁ」

「…っそ、そー!…そ、……そー、かな…?いや、そういう事になんのかな、俺」

「だと思うけど」

「言われて見ると確かに征士って当麻の世話焼くの、上手いよな」

「「うまい?」」


その発想のなかった2人は、今度は遼の言葉に揃って固まった。
果たしてアレは、上手い、と言えるのだろうか。


「上手いって……上手いかぁ?」

「え、うん。アレ?違うかな?」

「いや、僕の認識ではアレは上手いと言うより……甘やかしてる?」

「あ、そっちの方が近いかな?」

「まぁ確かに世話はよく焼いてるよね」

「まーな。焼きすぎだろうけどよ」


2人の言葉に、それはそうかも知れないな、と遼は笑った。


「だって今も、裏の木の辺りで当麻が寝てたけど、征士ってば膝を貸してあげてた」


そう言って笑い続けている遼を置いて、2人はダッシュでその場を去った。
取敢えず、一先ず、当麻を言葉どおり叩き起こして、征士に何がいけなかったのかを懇切丁寧に教えるために。




*****
取敢えずイチャつくんじゃねーよという事だそうです。
この後、叩き起こされて不貞腐れる当麻と、理不尽に怒られた征士が部屋に入ってきてみんなでお茶。