子犬のワルツ



「この子、3日ほど預かる事になったんだけど、みんな大丈夫よね?」


とナスティが連れて帰って来たのは、それはそれは可愛い子犬だった。

白い虎(と言っても正しくは霊獣だけれども)が平然とリビングにいるような家ではあるが、
家主は念のため動物が苦手な者がいないか確認を行った。
伸などはつい当麻を見やったが視線を送られた当の本人は、何だよ、といやそうに顔を一瞬しかめ、
しかしその後すぐに抱かれたままの子犬を見て微笑むのだ。


「…意外」

「何が」

「当麻、動物、大丈夫なんだ」

「あのな……俺のこと、何だと思ってんだよ…犬とか、俺全然へーきだって」


人間は駄目なのにね、とはさすがに伸も言わなかった。
別に当麻の事を本気で人間嫌いとは思ってはいないが、高すぎるIQと狭すぎるEQの持ち主である彼は、
どこか生物全般に対して苦手意識が強く見えていたので今回の事は正直に意外だった。


「きちんと認識を改めさせていただきます」


だから伸はそう言って言外に謝罪を返した。





さて、この可愛い子犬。
ナスティの友人の飼い犬で、旅行に行くあいだ預かっていて欲しい、という事らしい。
躾けはきちんとされている。
その上まだ子犬らしい体つきに愛らしい顔立ち。
それこそ嫌がられるわけがない。

伸は預かったドッグフード以外に食べさせて大丈夫な物をナスティに確認をし、
その間、当麻が犬を抱き上げ、その横で秀が頻りにその小さな頭や身体を撫でさすっていると、
白炎も近くまで来て優しげな眼差しで子犬を見守っていたりするから自然と和やかな時間が訪れる。
遼は犬の玩具を一通り物色した後で、そう言えば今日は白炎を洗う日だったと思い出したらしく、
見事なまでに後ろ髪を引かれながらその準備をしに浴室へ向かって行ってしまった。

しかし征士は。


「……………………」


ナスティの帰宅した時と同じようにソファに座ったまま、表情も変化させないまま、だった。
それに最初に気付いたのは秀だった。


「どしたよ、征士。コイツ、抱いてみたくねぇの?」

「…いや、私は………」


どこか歯切れの悪い返事しか返って来ない征士に当麻も気付く。


「何。”私は”、何だよ」

「いや、その……いい」

「何で」

「理由は無い」

「なに」

「だから理由は無いと言っている」

「……………………………………怖いんか」

「怖いわけがあるか!」


言葉を濁していたくせに変な所で力いっぱい答えた姿に、当麻も秀もニタリと人の悪い笑みを浮かべる。


「え、なになに?征士ってば犬、こえーの?」

「おい、秀。滅多な事を言うなよ。怖いものなしの伊達様だぜ?そんなワケないって」


あからさまに笑う秀と、否定しながらもニタニタと笑みを浮かべる当麻。
幼馴染の2人は完全に悪ガキの顔をしている。
対して征士は口をきつく結んで、ついでに腕組みまでして抵抗を姿勢で表した。


「怖くなどない」

「ほら」

「でもよー、当麻、征士ッたらコイツ見てニコリともしないどころか、顔面チョー硬いぜ?」

「何言ってんだよ、征士は滅多と笑わないしいつも仏頂面じゃないか。
なぁ、征士。お前、犬が怖いなんてないよなぁ?」


そう言いながら2人が征士ににじり寄った。
その時。

キャンキャンキャンキャン!

先ほどまで愛らしく大人しく抱かれていたはずの、躾をきちんとされているはずの子犬が激しく吠え始めた。
その上、当麻の腕から逃げようと暴れ始める。


「あっ、ちょ、……っああ!!」


そして脱兎の如く、子犬は自分が入ってきたバスケットに逃げ去った。

騒ぎに気付いたキッチンへ向かっていた伸とナスティが何事かとリビングへ戻ってくる。
そこには腕に少しばかりの傷をつけた当麻と秀が呆然としているのと、
そして項垂れて多少へこんで見える征士の姿があった。


「……キミ達、何してたの?」


伸の声が少し低くなる。
それに先程の悪ガキ2人はほんの少し居心地が悪そうにしながら事の成り行きを話した。


「じゃあ征士にあの子を近づけただけなのね?」


雷を落としかねない伸に代わってナスティが優しく尋ねる。
当麻も秀も素直に頷いてみせた。


「それだけなの?」

「ホント、ホントそれだけだって!な!?当麻!」


伸の問い掛けに半ば条件反射のように秀が答える。
当麻は先ほどと同じように無言で頷くだけだ。


「じゃあ征士、きみ何かしたの?」


へこんで見えるから、先ほど2人に向けた声よりは幾分か優しく伸が聞く。
征士は首を横に振ることで否定した。
そりゃそうだ。
犬を近づけたのは当麻で、そして何もないのに去ったのが犬なのだ。

ナスティが心配そうにバスケットを覗いて、


「兎に角この子は大丈夫そうよ。だからそんなに落ち込まなくて良いわ、征士」


と微笑んでくれた。






「私は………」


と、暫くの沈黙の後唐突に征士が口を開く。


「私は別に犬が嫌いなわけでもなければ、動物全般が苦手なわけでもないのだ。ただ…」


ただ、動物に好かれないのだ、と彼はボソリと続けた。
その言葉に思い当たる節のあるナスティが、あ、と声を上げた。


「そういえばアナタ……手を…」


噛まれてたわね、あの時。
妖邪との戦いの真っ只中であった日の事を思い返しているらしい。
それを言われていると解った征士は頷いて返した。


「あの時だけではない…昔からそうだったのだ私は」


道にいる猫が逃げる。これはまだいい。
校庭に入り込み生徒を追い掛け回していた野良犬が自分を見ただけで綺麗に回れ右をして逃げた。
クラスで育てる事になったオカメインコは籠に近付くだけで鶏冠を立て警戒を示し、挙句パニックを起こす。
通学路の途中にある家で飼われている最早寝ているだけのはずの老犬が自分にだけ激しく吠え立てる。
そして親戚の家で飼われていた犬などは、鎖を振り千切ってまで逃亡し、そしてそのまま遂に帰る事はなかった。


「そりゃあ……」


すげーな、と秀は顔で言った。
傍で聞くとまるでネタのようだが、どうも本人は気にしているらしい。
話す事によってさらに凹んでしまった。


「私だって動物は好きなのだ。撫でたいし、抱き上げてもみたい。しかし駄目なのだ。全く懐かない」


何が悪いのか…と項垂れる。
その姿に、そりゃその威厳と威圧感たっぷりの姿だろうよ、とは流石に当麻も口にはしない。
幾ら精神面での成長が人より遅いと言われていてもそれくらいの空気は読めるのだ。
因みにその向かいで、そう言えば征士って当麻のことコッソリ犬猫扱いしてたよね…などと伸が思っているなんて
この場に居る人間は誰一人気付かないが、気付いた所で征士に動物が懐くわけもないのでどうでもいい事だ。

場に広がる悲しい沈黙。

それを破ったのは、遼の大きな声だった。


「びゃくえーん!お風呂、入るぞー!こっちにこーい!!」


遼の声に白炎はそこから動かない5人を気にしながら、それでも風呂場へ向かう。
その姿がリビングから完全に消えた頃、また征士がボソリと呟いた。


「………私だって動物を洗ってみたい…」


こんなにあからさまに落ち込む伊達征士の姿があっただろうか。
あの戦いの最中、敵中に落ちて憔悴はしても、こんなに悲しいほどに項垂れてはいなかった。
その征士が!見る影もなく!
それは他の4人に衝撃を与えた。
与えすぎた。
特に悪戯に子犬を近づけた当麻には本当に深い罪悪感を生んだ。

そして。


「………代わりに、俺、洗う?」


などとまたズレた代替案を言い出すのだ当麻は。
この辺りが、天才と何とかは紙一重だと秀はいつも思うところである。
流石にそんな慰め方はないだろう、とナスティも思う。
しかし。


「……いいのか?」


征士は違った。
俯いていた顔を上げ、そして少しばかり目に力を取り戻し。


「では、遼と白炎が戻ってきたら早速取り掛かろう」

「おう。不本意ではあるが仕方あるまいよ、俺も悪かったし」


なんて、どこをどう取ってもちっとも何の解決になっていないのに晴れやかに言葉を交わすのだ。
何とかと紙一重の天才と、大胆通り越して奇天烈な男はこれで何かが解決したらしい。

そんな2人を見ながら、これは犬猫の延長線上なのかそれとも別の感情か、と伸は少しばかり不安を抱くのだった。




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征士も当麻も多分、素。
思うところがあって風呂場でイチャイチャしてくれてもいいけど。